ターンアラウンドシュート

ターンアラウンドシュート 1

 夕方になる頃、瑠香は蒼幻のカウンター席でぬるいカフェオレをすすっていた。カウンターの中には店主の宗田がおり、カップを磨いていた。

 店内にはゆったりとしたジャズが流れていた。テナーサックスの濃密な音が夕刻に調和していた。しかしいかんせん、音が感傷的にすぎた。

 そこで宗田は言った。


「どうしたの? なにか思い詰めてる?」


 瑠香は答えた。


「ええ。とうとうなんです」

「とうとう?」

「はい。今週の金曜日、実技試験なんです。それも、実地の」

「実地の実技試験てこと?」

「はい。凛都さんから、そろそろお客さんをてみろって。それで、新しいお客さんで、事情を理解してくれる方がいて、そこでやってみることになって」

「いいじゃないか」

「でも、不安なんですよ」

「そうかい。でも、いつかはやらないといけないんだろう?」


 そんな中で瑠香は、街角で見るようないろいろな占い師たちが、よく平気な顔で鑑定できているものだと感嘆していた。そんな気持ちがため息になって口からこぼれてくる。


「はあ……」

「場数なんじゃないなかな」

「そうかもしれないですけど。やっぱり、大変ですね、占いって」

「そうか。そういうのって、いきおいなのかな」

「いきおい?」

「うん。まえに駅前で易占の人にやってもらったときは、ガンガンしゃべってきて、気がついたらなんとなく、元気にさせてもらったことがあってさ」

「そういうのも、スタイルですかね。でも、わたしには無理です。陰キャのコミュ障なんで」

「でも、瑠香ちゃんには、あの、なんて言ったっけ。特技があるだろう?」

「エンパス、ですか」

「そう、それ」

「いえ。どうも、怖くて」


 瑠香はふと、お客からネガティブな感情をぶつけられる様子を想像した。

 瑠香は占いの結果を伝える。しかし相手にとってはピンとこない。不満が溜まる。不信感が表出する。そして懸念の光がただよってくる。

 それがとにかく怖かった。できるだけ心を閉じて、タロットカードの技法をしっかりと駆使して対応すればいい。それがだれも傷つかない、最良の方法に思えた。



 そのとき、凛都が店に入ってきた。凛都はいつもの奥の席に座るなり「悩んでるのか?」と言った。


「はあ、わたし、むいてないんでしょうかね」

「なんだって?」

「おばあちゃんや、凛都さんみたいな、立派な占い師になって、人の役に立とうと思っていたのに。ほんとうに自分にできるのかなって。むいてないのかなって」

「そうかもな」

「え……」


 どこかで、凛都がなぐさめてくれることを期待していたのだが、それは甘かった。

 凛都に人間らしさを期待したのは間違いだったことを痛感し、瑠香はまたため息をついた。


「こんな稼業、オレはすすめないぜ。まともな仕事で食っていけるんだろ? エンジニアだとか」

「え、ええ。食べていくだけなら」

「だったら、それでいいじゃないか」

「でも。わたしは……」




 瑠香はリュックをせおって店を後にした。

 しばらくプラタナス並木を歩いていくと、痛みをこらえて歩く少女を見た。その少女は近くの高校の制服を着ており、紺色のサブバッグを肩にかけていた。どちらかというと小柄で細身だが、足や腕の筋肉を見ると、スポーツをやっていそうだった。

 ぱっと見ではゆっくりと歩いているくらいだが、彼女の右脚からは赤色と灰色がまじった、痛みの色がにじみ出ていた。

 すれちがうとき、思わず瑠香は声をかけた。


「あの。その脚、大丈夫?」


 少女はぴたりと脚を止めて、目を広げた。


「え? ど、どうして? そんなに痛そうでしたか?」

「うん。なんとなく、そう思って」

「隠しているつもりなんですが。あんまり、周りの人に目立たないように」

「そ、そうなの? それなら、早く病院に行った方がいいんじゃないの?」

「ええ。そうですね……」


 そのうち少女はうつむいて、目に涙を溜めはじめた。

 瑠香は近くの木のベンチに誘導した。夕刻の湿った風が吹いていた。


 やがて、少女が落ち着いてきたところで、瑠香はリュックの中のミルク味の飴をすすめた。少女は、ありがとうございます、と言って、飴をスカートのポケットに入れた。

 よく見ると少女の手首や指には白いテーピングが巻かれていた。瑠香は言った。


「あのさ。わたしでよかったら、聞くよ」

「え? そ、そうですか」

「うん」


 頭上の街灯が点った。西の空の灰色はダークブルーに溶けていった。


「ターンアラウンドシュートを、ずっと練習しているからかもしれない」


 と、少女は言った。


「え? ターン……」

「はい。ターンアラウンドシュートっていうのは、バスケのシュートの種類で。ようは、ゴールに背中を向けて、くるってまわって、後ろに反転してシュートを決めるやり方なんです」

「へえー。ってことは、バスケ部?」

「そうです。わたしは背が低いから、工夫しなきゃって。それで、いろんなシュートをとにかく練習していて。特に、左回転からのターンを」

「左回転のターン?」

「はい。なので、そればっかり練習していたから、右脚に負担がかかって」

「そうなの……」

「はい。おばあちゃんが、言っていたんです。背が低いことを、ほかの人と比べなくていいよって。みんなちがうんだから。だから、おまえの得意なことをやればいいんだよ、って」

「そう、すてきなおばあちゃんね」

「ありがとうございます。丸いメガネの、とってもかわいいおばあちゃんでした……」


 そのとき、少女のスマートフォンが振動した。


「あ、ママからだ。もう、帰りますね」


 少女は右脚をかばうように立ち上がると、またゆっくりと歩き出した。

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