第27話 翠川くんの告白

 おばさんを見送ったあと、翠川くんの部屋に収まった私たちは向かい合って座っていた。


 彼との間を隔てるテーブルの上には、紅茶がなみなみと注がれた真っ白なマグカップがふたつと、個包装にされたクッキーが何個か置かれている。


 昨日おばさんに『お茶とお菓子くらい用意しなさい』と叱られていたからだろう。


「あ、お茶、ちゃんと時間測ったから。たぶん、大丈夫だと思うから……さ、冷めないうちに飲んで」


「ありがとう。いただきます」


 カップを手に取って中身をこぼさないように口に含んでから、翠川くんの様子を伺うと、彼も私と同じようにカップに口をつけて、しまった、という顔をしていた。


 彼はお砂糖がないと紅茶を飲めないタイプなんだと思う。私は甘党だけどどっちでも大丈夫だ。すこし薄めなのも乾いた喉にはちょうどよかった。


 それよりも、時計の針の音がやたらと耳にさわるのが気になる。お互い黙って紅茶を啜っているせいだろう。翠川くんは眉をひそめたままで、気まずさが重い毛布みたいにかぶさってくる。


 さて、どうしようと息をついた時だった。


「草壁さん、昨日の続きだけど」


「な、なに?」


 とは言いつつ、すぐに昨日のことを思い出したのだけど。


 目線が交わったのを合図に、彼は何かを決意したみたいに紅茶を一気にあおった。


「……ごめん。待ってって言われたけど、我慢できないから言う。僕は草壁さんが好きなんだ」


 鼓膜にぶつけられたのは予想していた言葉、生まれて初めて受ける愛の告白だった。ましてや目の前にいるのは思いを寄せていた人、今朝までの私ならきっと涙を流して喜んだと思う。


 けれど、伸ばされた手は取れない。


――取る資格は、私にはない。


 返すべき言葉を予行演習のように胸の中で唱えると、手に持ったマグカップがじわっと黒に染まった。


「ごめんなさい」


 私の言葉にまるく開く翡翠の目。胸が、まるで針を刺されたみたいに痛くなる。


「やっぱり僕は頼りないか。それとも不気味に思うのかな」


 翠川くんはすとんと肩を落とすと、力なく吐き出した。白い手を音を立てそうなほどに握りしめて、秋風に揺れる枯れ草のように寂しげに笑っている。


 彼を傷つけたいわけじゃない。心清き王子と悪い魔女は、決して結ばれてはいけないというだけの話。


「ちがうの。素敵な人だと思ってる。けど私は、翠川くんにふさわしくないと思うから」


「もしかして、僕が訳のわからないあだ名で呼ばれてるから? そんなの、周りが勝手に言ってるだけじゃないか。僕は」


「そういうことじゃないの。さっきの火は、あいつらを殺すために私がつけた。みんな死んじゃえばいいって、そう思った」


 もう少しで、本当にそうなってしまうところだったのだ。翠川くんは大きくかぶりを振る。


「そんなの何もかもおかしいじゃないか。だって君は」


 翠川くんの言いたいことはだいたいわかる。確かに私はカーテンに触れてもいないし、火種になるようなものも持っていなかった。


 ひっくり返して調べられても火をつけた証拠なんて出てこない。けれど、それは私がみんなが思っている通りのただの落ちこぼれだったらの話だ。


――私は、なんでも私の意のままにできる。


「とにかく私がやった。あいつらを殺したいと思ったのも本当。そんなことを考えるような真っ黒い人間なの。優しい翠川くんにはふさわしくない。だから、ごめんなさい」


 再び沈黙が訪れると、あの昏いささやき声がまた聞こえた気がして胸がざわめく。


 どうしてあんなものに耳を貸してしまったんだろう。取り巻きあんなヤツらなんかのために、両親から、友達から、翠川くんからもらった愛までも、全部あの青い火にくべてしまうところだった。


 それに、あんなにもあっさりと我を忘れてしまうようなら、私はまた同じようなことを起こしてしまうのではないか。いつか彼に対しても、『思い通りにならなければ』なんて考えてしまうのではないか。それが、ただ怖かった。


 翠川くんは顔をこわばらせて手を強く握り、いつもよりもさらに背中を丸めて身を小さくしている。


「……僕も、おんなじことを願ったことがある」


 彼はおもむろに、ため息のように弱々しくもつぶやきよりは通る声で言った。


「えっ?」


「みんな、消えていなくなってしまえって」


 しんと冷えた部屋に、翠川くんらしからぬ言葉がぽとっと落ちた。ゆっくりと顔を上げた彼の翡翠色には影が落ち、黄昏を過ぎた空のような暗い色に変わっていた。


「手術受ける前の話。能力が全然コントロールできなくて、他人の思念を根こそぎ拾っていつも混乱してた。いや、錯乱かな。とにかく脳にすごい負担をかけるからって、お医者さんの指示で部屋に閉じ込められることになった。学校にも行けない、友達にも会えない、同じ家の中にいる家族とも最低限しか顔を合わせられない。楽しいことや嬉しいことが、ひとつずつ消えていった」


 翠川くんは一気に振り絞るように言うと、すこし苦しそうに息をしている。私はそんな彼に目を合わせ、頷くのがやっとだった。告白はさらに続く。


「でも、能力はどんどん強くなってさ。最後は入院することになった。目が覚めたら暴れるからって薬で眠らされて、朝も夜もわからなくなった。眠ってる時くらい楽しい夢が見られたらよかったけど、現実とほとんど一緒の暗い夢ばかり」


 翠川くんはソファーに座っていたクマのぬいぐるみを抱き上げて、どこか愛しげに目を細めたのを見てふっと気がついた。おばさんが言っていた、一番の親友という言葉の意味を。


 他人の思念が苦しい彼のそばには、心のないこの子しかいられなかったんだと。


「だからね、同じ能力を持っていても、苦しまずに済んでる人たちが羨ましくて、悲しくて。時々、意識がはっきりすることがあったんだけど、その度にずるい、みんな苦しめばいい、消えていなくなってしまえばいいって願ってたよ。それだけになってしまった」


「願うだけなら仕方ないよ。だって、つらいよ、そんなの」


 自分で選んだわけではない、能力のせいで落ちた底のない孤独。翠川くんはまだ小さかったであろう心も体もボロボロになるまで痛めつけられた。


 同じ目に遭ったら、私だって、誰だって心を黒いものに塗りつぶされてしまうに違いなのに。


 だけど、翠川くんは目を伏せた。


「……病院に入れられたきっかけが、暴れて下の兄さんに大怪我をさせたことなんだ。大したことないって笑って許してくれてるけど、傷は今でも残ってる。なかったことにはならない」


 苦しみで紡がれた言葉は、塞がりきらない傷が破れてあふれた血潮と同じ色をしていて。私の胸にも切り付けられたみたいに暗い赤が広がっていく。


 時刻はまだ午前十時。外はすっきりと晴れていて明るいのに、部屋の中はまるで夜の闇に迷い込んだように暗く沈んでいる。


「ねえ、草壁さん。僕は、ぜんぜん優しくなんかないよ。家族に守られていたことにも気づけなくて、君に待ってほしいって言われたのに待てなかった。僕のせいで君が理不尽な目に遭ってるのをわかってても身を引けない。自分勝手で真っ黒だっていうなら僕の方だ。草壁さんはやられたことをやり返しただけだ。真っ黒なんかじゃない」


 それだけ言うと、翠川くんは諦めたように苦々しく笑ってみせた。

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