第28話 なにも言えない!!

 返す言葉を必死で探しているそのとき、軽やかなドアチャイムの音が聞こえた。階段を上がる音に続いて、部屋の扉がゆっくり開いて現れたおばさんは、両手と背中に私と翠川くんの分の荷物を抱えていた。


「ただいま! あー、重い! こんなもの持って歩くなんて、高校生は元気だねえ……若さが眩しい……ってあれ? どうしたのふたりとも、そんな暗い顔して」


 おばさんが笑いながら言えば、太陽が曇天を押し除けたみたいに沈んでいた空気が一気に破れた。


 どさ、どさと、私と翠川くんの分の荷物を床に下ろしたおばさんは、「年はとりたくない」と口を尖らせて唸りながら肩をぐるぐる回している。うちの母もよく言うことだけど、女優さんみたいに綺麗な人でも同じ悩みを持つものらしい。玄関まで行くべきだったと反省した。


「わざわざすみません、先生、なんて言ってました?」


「いい、いい。月曜日は時間割通り、連絡事項も特にないって」


 ……あれ? 私のやったことを見て顔を真っ赤にしていたのに。


「え、他には?」


「ううん、何も。ああ、顔のケガのことは言うか迷ったんだけど……」


「……いや、言わなくていいです。ほんとうに、ありがとうございます」


 なんとかそれだけは捻り出すと、おばさんは満足げな笑顔になった。


「どーいたしまして。じゃあお昼できたら呼ぶから、降りてきて」


 おばさんが鼻歌を歌いながら階段を降りるのを耳で確認してから、カバンをこわごわと抱えあげた私はあることに気がついた。


 通学カバンもトートバッグも濡れていない。汚水を浴びせられた時、一緒にずぶ濡れになっていたはずなのに。中に入っていた教科書やノートも湿っていなくて、心配だった財布もスマホもカバンのポケットに収まっていた。中身もちゃんとそのままだ。


 次はトートバッグを開ける。中身は体操着入れと……今日は結び目がゆるいお弁当包みを恐る恐る解いて、私はさらに混乱した。


 取り巻きたちに蹴飛ばされ、壊され、踏み潰されたはずのお弁当が、今朝、家の台所で見た姿のままだったからだ。


「どうして……?」


 あれだけのことをしでかしたのに先生たちが私を探しに来なかったこと、燃えたはずなのに元に戻っていたカーテン、綺麗なままのカバンとお弁当。


 なにがどうなっているのかわからなくて、目の前が薄暗くなってきた。


「ごめん。言うのすっかり忘れちゃってたけど」


「え?」


「……朝のことは、全部なかったことになってるんだよ」


 翠川くんは、私の疑問を受け止めるように、そして、すでにはっきりと確信している様子でそう言った。


「えっ……」


 翠川くんはいったい何を言っているのだろう? 理解がまったく追いつかない。


「カーテンは燃えたから取り替えられたものではなくて、ずっとあそこにぶら下がってたもの。このカバンも最初から濡らされてない。うーん、なんて言ったらいいのかな。僕も正直何が何だかわかってないんだけど」


「あの、どういうこと……?」


 嫌な予感が這い上がってくる。でたらめな速さで打ち出した心臓を、もうどうすることもできなかった。


 翠川くんは、思考をまとめながらなのか、はたまた自分を落ち着かせようとしているのか、視線をわずかに揺らしながらゆっくりと続けた。


か、かしてるみたいな変な感じがした。とにかく、無理やりなかったことにされたみたい……って、確かにそこで起こったこととか、能力が使われた痕跡を読む訓練はしてたけど、本当に読めたのは今日が初めてで」


 翠川くんはやっぱり混乱しているらしく、唸りながら頭をガリガリかいている。


 頬に貼られたガーゼの下で、傷が熱をもつ。ここには確かにあいつらに切られた傷があって、制服も汚されてドロドロだった。だから、朝の出来事は夢などではなくちゃんと現実に起こったことだ。


 それに、私が火をつけたのだって、本当に起きたこと。なのに。


「たぶん、僕たちが教室を出て行ったあとで何かがあったんだ……って、大丈夫!?」


 それなのに、消えて、いや、消されてなくなったことになっている、というのだ。カバンが濡らされていないということは、発端となった揉め事ですらも。力が抜けて、床にへたり込んだ。


「う、うん……」


 そうか。そもそも何も起こってないのなら、先生たちが私を追う理由もない。市田先生の困惑したような反応も頷ける。


 今ごろ教室では、私と翠川くんがいないだけで普通に一日が進んでいるのだろう。


 取り消す、巻き戻す。起こってしまった出来事を、綺麗さっぱり無かったことにできる超能力は存在しない。


 ……存在しないのだけど、私には確かに覚えがあった。


 まぶたの裏で銀色がきらきら光っている。もうすっかり見慣れたピアスの輝き。訓練室で、図書館で、夕暮れの駅で彼が見せたおかしなもの。自分の本当の能力に気づいてしまった今ならわかる。


 もきっと、枠から外れた存在なんだと。


「いやでも、そんなめちゃくちゃな能力ってないよね……いや、色を変えられる人がいるんだから、いるのかな」


「私、知ってる……」


「知ってるって、なにを?」


「あの……それは……」


 今まさに思い浮かんでいる人物の名前を言おうとしたのに、翠川くんに伝わる、音声という形に結ぶことはできなかった。


 どうしてそんなことが起こったのかというと、また『ナイショ、ナイショ』の声がして、喉が巾着の紐を引いたみたいに締まってしまったからだ。


――鍵山くんは自分の力について濁し続けてきた。けれど、彼も私と同じ、『願ったことを叶えられる』力の持ち主だとしたら。彼もまた、超能力の枠を外れたことを起こすことができるのではないか。


 何もかもが繋がったのに、翠川くんに伝えるべきなのに、やっぱり喉はきゅっと締まったまま。どうしたことか声を張ろうとしても唸り声しか出てきてくれないのだ。


「草壁さん、どうしたの? もしかして、お腹痛いの!?」


「……大丈夫、これは。ううっ、なんなの、もう……!」


 いや、確かにお腹は痛い。本当は痛い。言いたいことも言えないのに、腹筋にはずっと叫び続けてるみたいにしっかり疲労は溜まっていく。悔しすぎる。


 落ちつけ草壁色葉、こういう時にどうすればいいのかを考えるんだ。


 そう、いつものように、目には目を、歯には歯を、能力には能力を。


 ……ならば、願いには願いだ。


 そうだ、【私はなんでも自分の意のままにできる】。


 私は目を閉じて、必死で『翠川くんには話したい』と胸の中で輝く星に願った。色を変える時と同じようにやればうまくいくはず。ベンチを元通りにした時もそうだったからだ。


 けれど、どうしてか今回はダメだった。いくら念を重ねてみても、耳の中で鍵山くんの笑い声が軽やかに、かつ怪しげな呪文のように響き渡って弾かれてしまう感覚があった。


 目を開いたり、閉じたりを繰り返す。言い回しを変えてみても結果は同じだった。能力の使い方を間違っているのか、あちらの方が上手うわてだからなのか。理由はわかるはずもないけれど、巨岩を必死で押しているような手応えしかないことに、とうとう精神力の限界が来てしまった。


「も、もうだめ……」


「草壁さん、さっきからどうしたの? なんか変だよ」


 床に座り込んで唸っているだけなのに、喉がカラカラに干上がってしまった。息も乱れて、まるでマラソン大会にでも出てきたみたいだ。


「……あの、申し訳ないんだけど、お茶が……」


 もう一杯欲しい、と言いたかったのに、呼吸が整わないせいで最後の方が思いっきり尻すぼみになってしまった。


「えっ、お茶?」


「そう、お茶……」


 よかった、それでもわかってくれたと安心したのも束の間、なぜか翠川くんがみるみる真っ青になっていく。


「も、もしかして、僕がいれたお茶にあたった……?」


 どうやら自分のせいで私がお腹を壊したと勘違いしてしまったらしい。


「え」


「うわ、ど、どうしよう。大変だ、く、薬とか探してくる」


 まあ、どう見てもお腹が痛くて唸ってるみたいだっただろうし、実際りきみすぎて痛いんだけど。そうじゃなくて。


「ちがう………あのねっ!!」


 急に突き飛ばされたようにまともな声が出たけれど、弾かれたように立ち上がった翠川くんが部屋を飛び出していく方が先だった。


 あれ、どうしてこんなことになってるんだっけ?


 部屋にポツンと取り残された私は、ひたすら意味のない瞬きを繰り返していた。

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