第9話 魔法使いに出会ったような

 時を少し遡って、翠川くんと友達になった日の話をしようかなと思う。


 あの時はいきなり敷地内の木々が真紅色に染まってしまったことで学校中がパニックになり、授業どころではなくなってしまったクラスがたくさんあったそうだ。


「草壁さん、すごいね、葉っぱの裏まで真っ赤だ!!」


 しかし、そのことをまだ知らない私は、翠川くんが真っ赤に染まったイチョウの落ち葉を拾って歓声を上げるのをただじっと見ていた。こんな広範囲を染めてしまったのは初めてで、呆然としてしまっていたともいう。


 見渡す限り広がる燃えるような赤の中で、子供みたいにはしゃぐ翠川くん。しかし、少し時間が経ってようやく頭がまともに動き出した私は、今の状況がたいへんまずいことに気がついてしまう。


 そうだ、元に戻さなきゃ!!


 そう。彼が楽しそうなので忘れていたけど、こんなことができるのは学校どころかこの国を探してもひとりだけなので、犯人が誰かなんて明らか。


 騒ぎになる前になんとかしなきゃと、目を閉じて念じたけれど、


「草壁ェ!!」


 先生たちが駆けつけてきたのは、色が戻るよりも一瞬だけ早かった。私と翠川くんは、あえなく身柄を確保されてしまった。


 学校の敷地内に生える多くの木を赤く染め、そして瞬く間に元通りにした。『さすがにちょっとすごくない?』と自画自賛したわけだけど、それで能力のことを見直してもらえる……なんてことはなかった。


 むしろ能力を悪用し生徒たちに混乱を招いたことと、授業をサボっていたことを責められた。その場でだけではなく、その日の放課後に会議室に呼び出されあらためて厳重注意を受けた。


 ずぶ濡れになった私を心配してあとをつけて、授業をサボることになってしまった翠川くんも共犯として怒られる羽目に。


 幸いにしてそれ以上の罰は課せられなかったけれど、ようやく解放された頃には日が暮れかけていた。すでに誰もいなくなった廊下を、翠川くんと二人でトボトボ歩いた。


 生き甲斐にしている出来たて晩ごはんは諦めるしかない。しかしなにより関係ないはずの翠川くんまで巻き込んでしまったことに私はしょぼくれていた。


「ごめんね。私のせいで酷い目に遭わせちゃって」


 気が弱そうな翠川くんはきっと凹んでいるだろうなと思っていたけど、見上げた先にある翡翠色の瞳はなぜかキラッキラに輝いていた。


「ううん!! 一緒に怒られるのって、なんか友達っぽくてよかった!!」


「えーっ!?」


 腰が抜けるかと思った。どういう感性をしているのか謎だけど、翠川くんはめちゃくちゃ嬉しいらしい。


 繊細そうに見えて意外と豪胆なのか、はたまた鞭で打たれることに快感を覚えるタイプなのか? いや、否定はしないけど、こういう時にどういう顔をするのが正解なのかわからないや。


 翠川くんは、学園の王子様と呼ばれ、いつも女子の憧れの眼差しをその一身に受け止めている。でも中身は優しくてちょっと気弱で、このとおりちょっと、いやかなり変な人っぽい。


「だから大丈夫だよ。雨降って地固まる? って言うし……一緒に怒られたことで、仲がもっと良くなるというか。あれ、これで合ってるかな?」


「あってる……と思う。たぶん」


「よかった。それにほら。こうやっていっしょに綺麗な空を見られるのも、先生たちに捕まったおかげだと思わない?」


 そう言われて、足が止まった。翠川くんが指差した先の空は、赤からピンク、紫を経て藍色へと鮮やかなグラデーションを描いている。マジックアワーと呼ばれる、日没前後のわずかな時間に見られるたくさんの色が閉じ込められた空模様。思わず見惚れるほど綺麗ではあるけれど、別に珍しくない光景ではある。


 でも、今日はいつもより少し鮮やかで、特別なものに見える。だって、


「なんか、翠川くんが染めたみたい」


「ほんと? 上手くできてる?」


「うん、初めてにしてはすごい」


「お褒めにあずかり恐縮です……かな?」


 私に向けられた笑顔はまるで一番星のようだった。テレパシストである翠川くんに色を変えることはできないはずなのに、彼と手を取り合った瞬間から、なぜか景色がわずかに彩度を上げて見える。胸がウズウズする。


 こんな気持ちになるのは初めてのことだ。まるで名前のわからない不思議な力を操る、本物の魔法使いに出会ったみたいな気持ちだった。




――まあ、そんな感じで数日が経ち、今に至るわけだ。


 友達っぽいといえば、ふたりで一冊の教科書を見るのってまさにそうだと思う。


 隣の机で広げられたノートには、彼の柔らかなイメージからすると意外な角張った文字が並んでいる。隅には粘土の塊に割り箸を刺したみたいな形の、猫とも犬ともつかない生き物らしきものが何匹も描かれていた。下手なんだけど、なんだか可愛い。


 ああ、また色が変わる。


 落書きなんかするようなキャラだったんだ。追っかけの子達は知ってることかもしれないけど、自分一人だけに秘密を教えてもらえているような。そんなくすぐったい気持ちだ。


「こうやって隣の子と机くっつけると、小学生の時を思い出すよ。席替えの時に、好きな子と隣になれますようにって願ったりしなかった?」


 翠川くんは頬杖をついて目を細め、嬉しそうに言う。小さな翠川くんが好きな女の子の前でモジモジしている姿が鮮明に浮かんでしまって、思わず笑いがこぼれてしまった。


「好きな子の隣がいいなんて、男子でもそんなこと願うものなんだね。初めて知った」


「だって、嬉しいのはたぶん同じだよ。そうだ、草壁さんはどうだったの? 好きな子いたことある?」


 そう言われてギクっとしたけど、実は私は恋はしたことがない。男子からは小さい頃に癖毛をからかわれることが多かったから、むしろ苦手に思っているくらいだ。


 思春期を迎えても、別に告白されたこともないし、こちらからも特定の誰かに特別な感情を抱いたこともない。顔が好きだと思う男性芸能人や配信者はいるけど、それは恋とは違うことくらいはなんとなくわかる。


 まだ赤ちゃんですと白状しているようで恥ずかしいから、誰にも言えないけど。


「あんまり覚えてないなあ。でも、翠川くんには好きな子がいたことあるんだ」


「うん。いるよ」


 適当にかわした私に翠川くんは照れもせずに言ったけど、おや? と私は首を傾げる。


「ん?『いる』ってことは、今もってこと?」


「あっ」


 明らかに口を滑らせましたという顔をしてソワソワしだした翠川くん。それだけではない。私以外の人間もあきらかな反応を見せている。ESPの能力を使えば聴覚を拡大できるらしいけど、たぶんそれだ。


 そうか、こうやって聞き耳を立てているヤツがいるなら、教室で会話する時はあまり下手なことは言わない方がいい。いや、今はそんなことはどうでもいい。好きな子がいるなら、私なんかと仲良くしている場合ではないのでは。


 想いを寄せている人がいるなら、それ以外の子なんか全て邪魔には違いない。だからこそ『女の子が苦手』だったんだろう。それで納得はいったけど、同時に言葉にならない複雑な思いが湧き上がってきた。色で言うなら灰色、それから黒。


 満ちてはこないけど、心の底でぐるぐると渦を巻いている。


 そうだ、麗しの王子様と結ばれるのは、いつだって誰もが振り向くほど美しくて、心まで清いお姫様だ。容姿がド平凡で、腹の中は真っ黒い私は、どう考えてもそんな二人の前に立ち塞がるの魔女の方。


 悪い魔女はいつだって、ふたりの幸せのために、あるいは世界の平和のために、あっさりと退治されて消えてしまう。密かに胸に秘めていた、王子への想いと共に――


――いや、ちょっと待て。そんなお話ってあったっけ? こんな妄想をして、私はいったいどうしちゃったんだ?


 翠川くんに好きな人がいると聞いてこんなにも動揺しているのがどうしてなのか、自分でもよくわからない。ずっと耳の中で心臓がドコドコと鳴っている。授業の始まりを告げるチャイムの音が霞むほどに大きな音で。

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