第10話 好き嫌いはそれぞれ

 昼休み。私はいつもの場所で空を見上げていた。


 今日は夕方から雨の予報が出ているけれど、すでに空には雲が増えていて、風もわずかに冷たい。降るのが少し早まるかもしれないな、なんて思いながら、持ってきたお弁当包みを開いた。


 今日はとっても平和だった。


 教科書を忘れたことに対してのお叱りは、さいわいなことに軽い一言だけで済んだ。でも、石森先生は授業中に私たちの方を見るたびなぜか眩しそうに目を細めるので、ちょっと気味が悪かったけど。


 翠川くんにかなり接近したわけだけど、念動で奇襲されることもなかった。これはきっと教頭や補助の先生が授業中にかわるがわる教室を覗きに来ていたから。後ろにも目があるのに仕掛けてくるほどAもBもバカではなかったらしい。


 まあ、先生たちが見張っているのはヤツらでなくて私だけどね。


 そう、先日の私のやらかし――『教科書漂白事件』とか『無差別紅葉事件』とか陰で言われてるらしい――完全にアレのせいだ。


 ただ、私が見張られていることで、相手もうかつに手出しできないので結果オーライ。おかげさまでここ数日はとても平穏に過ごせている。


 翠川くんを前にして心臓が変にうるさかったのも、授業に集中しているうちにすぐに落ち着いて、そこからは通常運転。今もバッチリ異常なしである。


 お腹の虫が切なそうに鳴いた。それを合図にするように翠川くんがやってきて、私の隣に勢いよく腰をおろす。大きなきしみ音にドキッとしながら横を見ると、彼はらしくなく歪んだ顔で天を仰いでいた。


「翠川くん、大丈夫?」


「……うーん、なんか今日は妙に頭が痛いんだよね」


「雨が近いからかな?」


 雨の前に頭痛がする人がいるって話は聞いたことがある。どうやら気圧が関係しているらしいけど、彼もそうなのだろうか。テレパシストはその辺の感覚も鋭そうなイメージがある。


「……そうならいいんだけどね。さあ、食べようよ」


 翠川くんは意味深な苦笑いを見せると、持っていたお弁当包みを開き始めた。


 そう、私と翠川くんは、あの翡翠色のベンチで一緒にお弁当を食べるようになっていた。


 取り止めのない話をしながらご飯を食べて、その後は私は寝不足を埋めるために昼寝をして、隣で彼はスマホで漫画を読むかゲームをする。最初はちょっと恥ずかしかったけど、この付かず離れずな感じは意外と心地良かった。


 翠川くんと並ぶのはそれなりに慣れているはずなのに、どうしてさっき教室であそこまで大きく動揺してしまったのか。自分で自分のことがわからないのが気持ち悪いけれど、ご飯を食べたいのでここでいったん止めるとする。


 いただきます、と二人で手を合わせてから、お弁当箱の蓋をほぼ同時に開けた。


 今日の中身は私の大好きなシャケの切り身に、ほうれん草のおひたし、ひじきの煮物、あとネギ入りの卵焼きだった。母が私よりも早起きして作ってくれた、心尽くしのお弁当だ。ふりかけの小袋の封を切ってご飯にかけながら、どれから食べるかウキウキと考える。


 いっぽう翠川くんはわずかに顔を歪めていた。彼のお弁当はいつも彩りが良くて美味しそうだけど、肝心の彼はそれがご不満らしく、蓋を開けるたび一喜一憂しているようだ。


 そうして私のお弁当箱が空っぽになる頃。翠川くんのお弁当箱にはピーマンの肉詰めがふたつ、寂しそうに残されていた。


「ピーマンも嫌いなの?」


「うん。出来ることなら一生食べたくない」


 やっぱりね。翠川くんは今日のメインと思しきピーマンの肉詰めを、恨めしそうに見つめていた。今ばかりはふだんは澄んでいる瞳がちょっと濁って見える。


 お察しの通り、彼はずいぶんな野菜嫌いだ。ピーマンだけではなく、トマトにんじんほうれん草にブロッコリー、あと玉ねぎも嫌だという。まあ、散々文句を言いつつも結局はちゃんと食べるんだけど、今日はやや強めの抵抗を見せている。


 ピーマンが大っ嫌いで膨れっ面をしている。これがみんなが憧れる王子様の真実、その二だ――ガッカリするか、ギャップにときめくかは受け取り手の感性次第か。私は……うーん。


 翠川くんは口を尖らせ、箸をぐるぐる回しながら持論を展開しはじめる。


「母さんがさ、『超能力者は頭使うから栄養に気を遣え』って言うけどさ、別に肉と米だけでいいと思わない? 極端な話、糖分さえ取ってればいいんだし」


「それはそうだけど」


 超能力は脳波を高度に制御、増幅させることによって感覚を拡張、または物理的エネルギーに変換して、超常的に見える現象を起こすものだ。


 だからESPにしてもPKにしても、通常では考えられないほど脳を酷使する。しっかり食べないとあっという間に倒れてしまうし、それでもエネルギー切れを起こすこともあるくらいだ。だから即効性のある専用のブドウ糖飲料ブースターが自販機や購買で売られていて、私もたまにお世話になっている。


 たしかに頭を働かせるだけなら、あのゲロ甘ドリンクをチョウチョみたいに吸っていればいい。けれど生きている人間である限り、脳のエネルギーのことだけ考えていればいいわけではない。


 それに翠川くんのつるりと綺麗な頬を見ていたら、やっぱり複雑な気持ちが抑えきれない。だって私なんて野菜をモリモリ食べていても、油断したらすぐに荒れてしまうのに。


「家にいたら兄さんにこっそり食べてもらったりできるけど、学校では無理だろ。母さんはそれをわかってて詰め込んでるんだよ」


 ああ、ずるい。ほんと色んな意味で。


「……私がお母さんでもそうすると思う。だから頑張って」


 観念したのか翠川くんは肩を落とし、弁当箱に目を落とし、それからこちらをチラリと見て、


「ねえ草壁さん、ピーマン好き?」


 と、どこか甘えたような声を出した。潤んだ瞳に捕まって、心臓がはねたけど、必死で持ち堪える。


「好きでも嫌いでもない。でもピーマンの肉詰めは大好き」


「……あげる!!」


「なにいってんの。自分で食べなさい!!」


 素早く胸元に押し付けられたお弁当箱を同じ速度で押し返す。とっても美味しそうなので少し心を惹かれたけれど、私が食べたら彼のためにならない。それに彼を思ってお弁当を作ったお母さんの心も踏みにじってしまうことにもなる。


 結局私に押し負けた翠川くんは、すっかりしぼみ切ってしまった。


「……これ食べないとカッコ悪い?」


「食べたらきっとカッコいいよ」


「うう……頑張るよ」


 翠川くんは取り残された肉詰めをしばらく睨みつけて、意を決した様子で口の中へ入れた。すると綺麗な顔が、みるみるうちにひしゃげていく。一生食べたくないと言うくらいだから、そうとう嫌いなのだろう。


「お肉の味と合わせると、ほろ苦いのが良いと思えない? 脂がサッパリするというか」


 ピーマンに罪はないのでフォローをするも、その表情はまさにどん曇り。例えるならば今の空よりもさらに暗い鉛色って顔だ。


「ほんと、草壁さんが見てなきゃ迷わず残すんだけど」


 そう言って二つ目も泣きそうな顔で数回噛むと、喉を大きく鳴らして飲み込んだ。


「よし食べた……ああっ!! こうしちゃいられない!! 次は体育だから早く行かなきゃだった」


 よくできましたと褒めようとした私を弾き飛ばすように、翠川くんは素っ頓狂な声を上げた。


 反射的にポケットから出したスマホを見る。まだ昼休みはだいぶ残っているんだけど、すぐ理由に思い当たった。


「ああ、柔道場遠いからね」


 お弁当箱を手早く包み直しながら、翠川くんは頷いた。


五限目の体育は男女で別々。女子は体育館でダンスの授業だ。何が悲しゅうて仲良くもない人たちと愉快に踊らなきゃいけないのかわからないし、私には単純にダンスのセンスがない。こっちは必死でやってるのにいつも笑われて、心一気にドドメ色に染まってしまう。


 でもこれは中学の時からそうで、葉月には『ある意味、唯一無二の天才』と評されている。うん、最悪。


そして、男子は柔道。柔道場は超能力科の隣、普通科の校舎のさらに裏手にあるのでここからは少し遠い。着替えの時間もあるだろうから、余裕があるに越したことはない。


「ああ。僕はいつも見学なんだけど、代わりに準備の手伝いがあるから早めに行かなきゃいけなくて」


「え、そうなの?」


「うん。草壁さんも頑張って」


「ありがと」


 体育を見学しなきゃいけないほど具合が悪そうにも見えないのに、どうしてなんだろう? 理由がちょっと気にはなるけれど、もしかするとデリケートなことかもしれないと思うと聞くに聞けない。そのまま立ち去る彼の背中を見送った。


 さて、いつものように昼寝をしようにも、さらに風が冷たくなってきて眠気をさらっていってしまう。身を震わせながら空を見上げると、西の方から流れてきた銀鼠色の雲が空をすべて覆いつつあった。雨は夕方からとは言わず、すぐにでも降るかもしれない。私も早めに教室に戻ることにした。


 ああ、そういえば。折りたたみ傘、持ってきてたっけ。残念ながら、現代文の教科書と同じで姿を見かけなかった気がする。


 雨が降るのはわかってたのに、また忘れ物かあ……次の時間のダンスのことと合わせて、一気に気が重くなった。

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