第7話

 放課後、私は新山君に誘われ教室に残っていた。

 授業をこなした私達は、これから少しだけ自由な時間がある。部活動に専念している子もいるけど、私は帰宅部だ。

 教室の隅、私達と同じ学年の二人が同席していた。

 名倉哲人君は同じクラスで、新山君と仲がいい背の低い男の子。メガネをかけた秀才と言った感じだけど、とにかく要領がいい。

 羽田花凛さんは、違うクラスで私と背丈は同じぐらい。元気印を絵に描いたよう、いつも男子とやり合っている。

 知らないグループにどうして呼ばれたのだろう。

 居心地の悪さを感じながらも、割り勘という昨日の出来事から断り辛く、ちょこんと黒板を背に腰掛ける。

 新山君が窓を背に、四人で机を囲む形になっていた。


「わざわざ集まってくれてありがとう。これより会議を始める」


 新山君が音頭をとるよう話し始めた。議長然としてるのはなぜだろう。素早く名倉君が手を挙げた。


「議長、これは長くなりますか」


 鋭い問いかけに新山君は、


「君達次第だ」


 と県警の偉い人みたいな話し方で応じた。

 羽田さんと目が合い、彼女は肩をすくめている。私は愛想笑いを返し状況を見守ることにした。


「では始める。議題は日本文化の起源についてだ」


 起源……難しい話題だ、と少し気圧される。


「議長、文化の起源とはなんです。日本人の起源のお話でしょうか」


 名倉君はノリがいい。適応能力が高いのか慣れているのか。たぶんどちらも。


「そんな過去には遡らない。我々は奈良と京都、どちらを文化の中心と見るべきか、という程度の話だ」


 なんて冷静さ。昨日坂本さんを凄い勢いでまくし立てていた人とは思えない。

 そんな議題に羽田さんが応じた。


「京都でしょ」

「やはりそうくるか。なぜと訊いていいだろうか」

「だって小京都って言うぐらいだし、東京だって東の京って意味でしょ?」


 確かに、と私は納得していた。

 けれど新山君は顔をしかめる。


「では奈良の立場はどうなる」

「鹿がいるし、大和朝廷とかあるし別にいいじゃん」

「せめて東大寺の大仏と言ってくれ。奈良の文化遺産が鹿より格下と思われる」


 名倉君は全くその通りと言わんばかりに頷いていた。


「それに九州説を唱える不逞の輩は未だ多い。奈良は常に攻撃される立場と言っていい。鹿の面倒もみないといけないのに」


 それは、もしかしたら大変かもしれない。


「まあいい。京都優位は事実だ。では議題を変える」


 新山君、凄い速度で処理していく。ついていく二人も凄い。新山君は宣言通り話題を変えた。


「昨日、日本語について思う機会があった」

「どんなの?」


 羽田さんの素朴な問いかけに、


「月が綺麗ですね、について君達はどう思う」


 新山君は昨日私に話した台詞を繰り返した。あれ、その件で呼ばれたのかな。そっと二人の様子を窺うと、名倉君が驚愕の表情を浮かべていた。どうしたの……。

 名倉君は汗を拭うような仕草をしてから問いかけた。


「ぎ、議長、もしかして使われたのですか」

「そうなる。月など存在しないと言下に否定された」

「そんな……そんなことが……」


 名倉君、なんで落ち込むの。分からない。羽田さんを確かめると、スマホを片手に検索していた。そして零す。


「ああそういうこと」

「どういうこと?」


 思わず、初めて口を開いた。羽田さんは検索結果の出た画面を私に見せた。そこには、


 ――月が綺麗ですね。I LOVE YOU。

 愛の告白を意味する。


 一瞬思考が戸惑い、身体が固まる。

 え、あれ、なんで、どういうこと?

 私の戸惑いにお構いなく会話は続く。

 羽田さんが前のめりで口を開いた。


「高志、告白したの?」

「そうだ」

「そう。それはいいけど、伝わらなかったでしょ?」

「いや、月など存在しないと言われた」


 言ってません。見えないよって言った!

 私の心の叫びを知る由もなく羽田さんは目を輝かせる。


「伝わってないよたぶん。相手は?」


 今ここにいます……新山君が他で告白しまくる人でないなら。


「言えない。個人情報の扱いは県警同様慎重を期すべきだ」


 警察を引き合いに出さないで……でも言わないで下さい。

 深刻な顔をしていた名倉君が切り換え手を挙げた。


「議長、伝わらない告白に意味はありますか?」

「俺には誇り高き奈良の血が流れていると最近知った」

「はあ」


 と名倉君は生返事。


「誇り高いのは皆同じだ。しかし文化的である、という点が重要なんだ。ならせめて日本語ぐらい正しく使いたい」

「伝わらない日本語に正しいも何もないって。で、どのクラスの子?」


 羽田さんは普段男の子みたいに振る舞ってるのに、今だけ女子女子してる。

 どうしよう身の置き場がない。

 私は今、事実上二度目の告白を受けている状態。

 でも、どうしてこんな形にしたの。

 違う、どうして告白なんて……。


「君達と話してやはりと思った。もしかしたら伝わっていないかも? という可能性は私も考えた」


 もしかしたらではなくそうです。

 二人も「間違いなく伝わってない」と手を振っている。


「そうか。二人が言うならそうかもしれない。だが確信が持てない」


 持っていい。持っていいけど、それなら二人きりで確認……されたら困る。私、なんて返事すればよかったの?

 だって突然、仲よくもない男の子に告白されるなんて思ってない。


「まあ二人がそこまで言うならもう一度確認してみる」

「美原さんはどう思う?」


 羽田さんに尋ねられても答えようがなかった。

 だけどとても、こんなやり方腹いせみたいで、だから怒りを言い訳に確かめた。


「その人はどう答えればよかったの? 何が正しい答えなの?」


 問いかけに、新山君は私を真っ直ぐ見据え躊躇うことなく応じた。


「月が綺麗ですねと言われたら」

「言われたら? なんて答えるの?」

「死んでもいいわ、だ」


 一生言う機会ないと思う。

 分からない。どうして死んでいいことになるの? 愛の告白なのに!

 だけど二人は呆れながらも頷いて、名倉君が解説した。


「夏目漱石と二葉亭四迷だね」


 誰ですか。二葉亭四迷ってどこの落語家さん?


「俺はこの返答を得るために日々精進しようと思う。会議は以上だ。他に何かあるか」


 二人が首を振り、放課後会議は解散となった。

 羽田さんは新山君に相手が誰かしつこく確認して、名倉君は素早く教室を去った。何か思い出したのか羽田さんも飛ぶように去ると、私達二人きりだ。

 そして新山君は言う。


「じゃあ一緒に帰るか」


 どうしてそんなに平然としてるの。今すぐにでも逃げ出したい気持ちを抑えて、


「わ、私告白されてないから」


 不満や戸惑いも抑えて言ったのに、新山君はこう返したのだ。


「現実逃避はよくない。牛に豚と落書きしてるのと変わらない」


 と。

 ――こうして私と新山君の「月が綺麗ですね」で「死んでもいいわ」な日々が始まった。

 それは穏やかな春、桜が美しく舞い散る季節の頃合いなのです。

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私たちの恋愛放課後会議「月が綺麗ですねっ!」 文字塚 @mojizuka

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