第2話

 新山君が気になって、私はつい彼を追っていた。

 駅からは離れるし待ってろと言われたけれど、意味が分からない。そもそもどうして人を……落書きが原因って本当?

 彼はぐんぐんと速度を上げ古びた集合住宅の敷地に入っていく。早朝だから人気がない。

 彼は一階にある扉の前で立ち止まると、


「おい駐在! 出てこい用がある!」


 大声を出した。駐在? 警察の人。知らなかった。田舎だからご近所付き合いは密接で大抵のことは知っている。知らなくていいことまで耳に入るのが私の町だ。


「出てこいっつってんだろ! 寝てんのか! ふざけんな、市民が困ってたら仕事に取りかかるのが警察の仕事だろうが!」


 新山君はまた大声を上げ扉まで叩き始めた。

 あまりの騒ぎに、さすがに扉が開いた。眠たそうな顔をした若い男性が現れ、髪も整わぬまま新山君を見下ろしている。二十代後半だろうか。男性は気だるげに口を開く。


「なんだ。騒ぐな朝から。近所迷惑だ」

「うるさい、仕事しろ地方公務員。税金滞納されたくなかったらこいつなんとかしろ」

「いやうるさいのお前だし、お前まだ税金納めてないだろ」


 扉にはネームプレートがあり、坂本さんだということは分かった。坂本さんの言うことは最もだけど、それは今どうでもいいのでは。


「将来滞納した時お前の名前出すからな。とりあえずこいつなんとかしろ」


 新山君はそう言って地面に横たわる男性を指差した。

 それを認め、坂本さんの表情が一変する。


「お前……喧嘩だよな? まだ動くよな? 救急車呼ぶ必要ないよな?」


 寝起きで狼狽する坂本さんを見て、私は気持ちがよく分かった。動きますよね……。

 けれど新山君は、


「ああ? 違う酔っ払いだ。引きずっても目覚めやしない」


 あっさりと現実を披露した。なんだ酔っ払いだったのか。あれで起きないって凄い。

 坂本さんもほっとしたらしく胸をなでおろしている。


「いや酔っ払いなら通報しろよ。なんで俺に持って来るんだ。今日非番なんだよ」

「知るか。働け地方公務員。俺がいずれ県警のトップに立ったらお前一生夜勤だからな。自律神経乱してさっさとくたばれ」


 滑らかに喋るなあと私は感心していた。口は悪いけどよくもまあ。私には絶対無理だ。


「お前が警官か。いいんじゃない、警察学校で音を上げるお前が今から楽しみだよ」


 坂本さんはにやついてちょっと楽しそうだ。だけどすぐ切り替えた。


「で、何があった」


 真顔の坂本さんからは迫力が感じられた。それに対し新山君は、


「落書きだ。人んちのもんに落書きしやがった。物も持ってたし防犯カメラもあるから間違いない」


 堂々と私にも告げた事情を述べた。坂本さんは眉根を寄せ、


「落書きって……そりゃ器物破損だけどなんで俺なんだ」


 愚痴とも取れるそれに新山君が再び声を荒げた。


「馬鹿野郎! 人んちの牛に"豚"って落書きしやがったんだよこいつは!」


 ……牛に豚? 私も坂本さんも頭に疑問符を浮かぶが、その時初めて坂本さんと目が合った。隠れていたつもりだったけどばれてる。

 坂本さんは一瞬だけにこりと笑ったけれど、すぐ表情を戻した。


「そうか。そりゃ悪質だな」

「でかでかと書きやがって、たぶんペンキだあれは。牛は豚じゃないって俺に説教垂れろってか。警察がやれ!」


 新山君の怒りに坂本さんは肩をすくめ、


「そうね、とりあえず現場行こうか。着替えるから待ってろ」


 言い残し扉の向こうに消えた。

 新山君は文字通り落書きした男性を見下し、それから私を見つけた。私隠れきれてない。


「すまんな、ちょっと待ってろ」


 と新山君はまた同じ台詞を繰り返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る