第33話 邪神ニュルンルンとダシ


「へぇ。妖精世界の女神ヴェーラが私に感づいた、と。愚かですねえ」


 邪神ニュルンルンは、333階あるアルティメット=セレブ=タワーの最上階で、ナイトプールに入っていた。

 色とりどりのライトが水面に煌めき、幻想的な光景となっている。



 ニュルンルンは、貝殻さんの形の浮き輪に、尻を沈めぷかぷかとプールに浮いていた。

 フリルのビキニに包まれた豊満な肢体が、水を滴らせている。


 目元にはハートの形のサングラス。

 ダークメッシュ染め上げた髪は、縦ロールに巻いていた。


 エステ代は一日80万円。

 邪神にしては慎ましやかな方だった。


「ニュルンルン様としては女神ヴェーラへのご対応、如何がなさいますか?」


 デビルドラゴンメイドのヨルナが、ナイトプールに浮かぶニュルンルンのグラスに、タピオカ・トロピカルジュースを注ぐ。

 メイド服が濡れても構わない。奉仕の証だからだ。



「如何ともしませんよ。放っておきなさい。おせっかい焼きの駄女神なんですから。ついでに駄肉ですしね。スタイルも私のほうが断然良いというのに。カップ数が上でウエストは私が細い。これが完勝でなくて、なんだというのでしょうね。けらけら!」


「僭越ながらニュルンルン様。ヴェーラ様のお尻だけは、大きめのサイズとなっているようでございます」


「……。……。でかければ、いいってもんじゃ、ないですし?」


 ニュルンルンは、ストローでトロピカル・タピオカジュースを啜る。


「……」


 尻の大きさで負けているからなんだというのだろう?

 いや。サイズなどは問題ではない。


 美しいかどうかが問題なのだ。

 そのはずなのに。


「だが、美とは様々な価値観がある。でかい尻もまた美しいということは、私があの駄肉神に負けている要素があるということ?」

「ニュルンルン様?」


「あの駄肉神にだけは、負けているなんてあってはなりませんわ」


 ヨルナは嫌な予感がした。

 余裕と満身はは焦りの裏返しなのだ。


 この邪神はいつも余裕綽々なようでいて、極度の負けず嫌いだった。

 負けず嫌いゆえに奇行に走ることがしばしばあったのだ。



「しかし、ニュルンルン様。尻を大きくしたからといって、勝ったことにはなりません。どうかお考え直しください」

「いえ。いますぐ骨盤を開く体操をします。施術師を呼んでください」


 こうなればニュルンルンは止まらない。

 ヨルナは諦め、申し付けのままに動くしかない。



「畏まりました。ゴッドハンドを呼んでまいります」



 ナイトプールからあがり、333階アルティメット=セレブ=タワーの最上階の部屋に、ゴッドハンドの施術師を呼び寄せる。


 熟達した整体おじさんの指が、邪神ニュルンルンの背中に、ぐにゅうと沈んでいく。



「フアアアアアアアアアァァァアアアアアア!!!!!」



 333階アルティメット=セレブ=タワーの上空に、邪神ニュルンルンの断末魔が響いた。


「施術は完了しました」


「はぁ、はぁ……。こ、これで。ヴェーラに負けるものをありません」


「また何かありましたらお呼びください」


 ゴッドハンドが部屋を後にする。


 デビルドラゴンメイドのヨルナが、ニュルンルンバスローブを着せ、施術の余韻から落ち着かせる。



「ニュルンルン様。なぜそうまでして、ヴェーラに負けたくないのです? お尻のサイズなど、よほどの変態ドスケベ種付けおじさんでなければ、そうそうわかるものではありません」


「……。ヴェーラは駄女神です。しかし、やつは出会い頭に〈お尻相撲〉を挑んでくる可能性があります」

「ああ。やりそう」


「お尻相撲で負ける。これがどれほどの屈辱かわかりますか?」

「負けたこと、あるんですか?」


「……。とにかく。私はすべてにおいてヴェーラには負けたくありません。この世界の〈剪定〉のことだってね。」


「〈ダシ〉は流通したんですか?」


「ええ。〈ダシ〉はもう流通しました。人間の悪意を食って成長する私の〈ダシ〉は、この世界の邪悪を呼び起こします」


「でも、いいんですか。ニュルンルン様はいよいよ本格的に〈邪神〉となってしまいそうです」


 ヨルナは不安な顔になった。


「誰かがやらなければいけないのですよ。【マグマのように溜まった人間の悪意】を【誰かが噴出】させなければ、世界は停滞したままなのです。これはいうなれば、身体の中の膿をだして病気を直すようなものです。妖精世界の連中は、誰も理解してくれませんでしたがね」


「……偽りの淀んだ平和で緩やかな死を待つよりも、派手な破壊をぶちこんで、膿と毒を吐き出すというわけですね。それでダンジョン・アトラクションと屍田踏彦に出資を……?」


「ええ。彼ほどの悪魔ならば、派手にぶちこんでくれるでしょう」


「朗報かどうかはわかりませんが。そのアトラクションにヴェーラの差し向けた刺客がくるそうですよ」

「はぁっ? 名前は?」



「鬼神透龍というおじさんです。映像があります」



 ニュルンルンはベッドの上で光学映像を開く。


「ただのおじさんじゃないですか。ちょっと良い身体してますけど」

「ええ。ただのおじさんなんですよ」


「ただのおじさんが、あの性悪駄肉女神の魔力を受け止めきれるわけはないのに」


 ニュルンルンは縦ロールの髪をかきあげながら、鬼神の映像をみていく。


「うーん。素質はあるようですね。お、この映像はヴェーラに反抗していますね。ニュルンルンポイント5アップ♡」


 ニュルンルンは鬼神の戦闘記録をみて、嬉しそうに目を細める。


「いいですね。ではこうしましょうヨルナ。鬼神が私の〈膿出し用〉の人間に勝ったら、力を注入します♡」


「ニュルンルン様。それはとても、邪神らしいです。ただもう少し、宇宙的恐怖を身に着けてもいいかと思います」


「ふむ。宇宙的恐怖ですか。ヴェーラはビビるでしょうか? がんばってみましょう」


 デビルドラゴンメイドのヨルナは、くすくすと微笑んだ。

 自ら邪神を名乗るこの女神は、なんて可愛いのだろうと、愛おしい気持ちにさえなるのだった。






 ダンジョン・アトラクションを管理する100階建てのタワーマンションの最上階で、屍田文彦はワイングラスを傾け、アトラクション参加者リストを眺めていた。


「ふふ。かかったな鬼神。僕が目をつけていた輝竜リコを、野良配信で目立ったからといい気になりやがって」


 屍田の横では、有名セクシー女優がグラスにワインを注いでいた。

 大きなシャム猫もまた、膝に乗っている。


「すべては金と地位なんだよ。野良のおっさん配信者がバズってくるなんて許さねえ」


 屍田はぎりぎりと歯噛みをする。


「全部お前が悪いんだよ、鬼神。おっさんの分際で、僕が目をつけた女の子を救出するなんてなぁ」


 屍田踏彦の周囲には、さらにセクシー女優が9人はべっていた。


「すべての女は僕のものにする。ダンジョン・アトラクションで得た資金によってなあ!」


 屍田は冷徹な頭脳で鬼神をおとしめる作戦を、脳内に描いていた。


「そして鬼神はこの誘いにかかった! 今回は不条理なダンジョンアトラクションで、鬼神を追い詰める。そして輝竜リコを僕の女コレクションの一部にしてやる!」


 ワインをあおり、屍田はほくそ笑む。


「おい。血が足りないぞ」

「すみません。ただいま、やります」


 セクシー女優が指の先をナイフで切った。

 ワインには血が垂らされる。


「くくくく。あーはははは! 人の血を啜るのは最高だぜ!」


 圧倒的な財力で人を食い物にする。

 そのために、常に人の血を啜ることが、屍田踏彦の趣味なのだった。



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