村岡の姿

 佐川は荒木警部と真森とともにジープで多景島に向かった。多景島は彦根の沖合6,5㎞に浮かぶ、周囲600mの小さな島である。そこに見塔寺がある。明暦元年に琵琶湖に沈んだ人々と魚介類の供養の為に日靖上人が開山した日蓮宗のお寺である。


 ジープは湖面を快調に進んだ。不思議なことに今回は水中ドローンの妨害を受けなかった。青い表示のタブレットを持って行っているためなのかもしれなかった。

 ジープをそのまま島の船着き場に横付けした。島は斜面と階段になっているのでこのまま上ってはいけない。船着き場に係留するだけにとどめた。


 佐川たちはジープを降りて島に上陸した。そこは人気もなくひっそりと静まり返っていた。ここに住む者はなく、無人島である。ここを上陸するのは観光船が1日に1便、それも午後の便だけである。だがここのところは運航中止になっており、ここには観光客はいない。また見塔寺の住職も不在のことが多い。ここに村岡が出家して籠って修行しているという。


「真森はここに残って待機。佐川! 行くぞ!」


 荒木警部が寺の本堂の方に歩き始めた。その後を佐川が辺りを見渡しながら進んだ。


(ここなら普段、誰もいない。ここに機材を持ち込めば十分に犯行が可能だ。それに・・・)


 佐川は空を見上げた。霧はまだ完全に晴れておらず、雲が広がって薄暗い。そしてそれに紛れるかのようにドローンが飛んでいた。


(ここも監視されている。犯人のいる場所に近いというわけか・・・)


 2人はどんどん奥に進んで行った。




 一方、真森はジープの前で辺りの景色を見ながらたたずんでいた。


「いつも留守番ばかりね。私だってやれるのに・・・」


 そう呟いた時、遠くに見える湖岸の岩の上にかすかに人影が見えた。


(この寒い中、何をしているのかしら・・・もしかしたら自殺?)


 真森はすぐに岸を小走りにそこに向かっていった。だが地面は岩や石が転がり。かなり歩きにくい。焦れば焦るほど足を取られてしまう。それでもなんとか進んで行くと、やがてその人影の姿がはっきり見えた。


(何してるの?)


 それは白装束を着た高齢の男だった。冷たい風が吹く中、岩の上でひたすら手を合わせて祈っていた。真森にはそれが神々しい行為に思えた。それでその男に声をかけることもなく、ただ眺めていた。

 

 男はひとしきりその行《ぎょう》を行うと岩から降りてきた。そして近くにいた真森に気付いてこう言った。


「お嬢さん。こんなところでどうされたのかな?」


 その顔は慈愛に満ちた優しい顔だった。そして彼は写真で見た村岡良造に間違いはなかった。


「え、ええ。ちょっとお寺を見に来て・・・」


 真森はそうごまかすしかなかった。「あなたを捕まえに来た。」とは言えずに・・・。すると村岡は、


「そうでしたか。それでは一緒に行きましょう。私も着替えに戻るところですし。」


 とにこやかに言った。ずっと冷たい風に吹きさらされているはずなのに、辛さなど微塵もないかのようだった。

 真森は村岡とともに石段を登って寺に向かった。その間に彼女はいろんな話を彼から聞いた。


「・・・しばらく前からここで一人で修業をしている。寒修行というのかな。」

「寒修行?」

「ああ、冬場にこの島から出ずにぎょうを行う。それで死んだ者への供養のために。」

「和尚さんはどうしてそんな行《ぎょう》を?」

「荒んだ心が嫌になった。人を憎みながら生きていくのがな。」


 村岡はため息をついた。


「私は娘夫婦と孫を失った。その怒りと悲しみを誰かにぶつけるしかなかった。だから裁判も起こした。負けてしまったがな・・・。」


 そのあたりの事情を知る真森は何も言えなかった。


「だがSNS・・・というものだったか、そこで多くの人たちがその相手を非難した。それでその会社は倒産し、その人たちは失踪してしまった。それで私は心が満たされたか・・・いや、そうではない。むなしさだけが残った。」

「和尚さん・・・」

「その非難した言葉の猛々しいこと・・・だが私もそうだったのかもしれない。だから人を憎むのはやめようと思った。それより死んだ娘夫婦や孫の菩提を弔った方がいい。」


 村岡の顔は清々しく見えた。真森は聞いてみた。


「あなたはそれでよかったのですか? 復讐しようと思ったことはないのですか?」


 村岡は一瞬、足を止めた。だがまた石段を登り始めた。


「ないと言ったら嘘になる。だからこうして行《ぎょう》を行っている。それで心の安寧を得ているのです。そして寒修行を終えれば死んだ娘夫婦や孫が、いや、私が浮かばれよう。」

「そうなのですか・・・」

「だがそれも今日までです。お嬢さん。一緒に行きましょう。あなたは私を捕まえに来た。いや、隠さなくてもいい。過去のいきさつからしたら私が疑われるのは当然です。」


 真森は驚いた。村岡はすべてを見抜いていたのだ。


「ここにいればいろんなことが聞こえてくる。ここに逃げ込んだ方もいた。その方から聞いたのです。この琵琶湖で何が起こっているか・・・。」


 村岡は真森の方に向き直った。


「だがこれだけは信じて欲しい。娘が愛したこの琵琶湖を血に染めることをどうして私にできようか。」

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