第27話 権力者たちの見世物


「エ、エンプティさん‥‥?」


 地下牢の壁に背を預けて座る、漆黒の騎士に向けて、私はそう戸惑いの声を溢す。


 すると彼は、クククと一頻り嗤った後。


 フルフェイスの兜の隙間から見える漆黒の闇を、私へ向けてきた。


「あ、貴方は‥‥いったい‥‥」


 彼に対して、私は、先ほどから思っていた違和感があった。


 それは、彼は私と共にこの牢獄に投獄されたというのに、彼の態度は一貫して囚人のそれではなかったからだ。


 先程の妊婦が無残な姿で亡くなるあの光景は、その位置ならば間違いなく視界に入ったはず。


 それなのに、漆黒の騎士からは、動揺している素振りはまるでひとつも見られない。


 彼からは怯えの色が一切、感じられない。

 

 それどころか、エンプティは何処か、この状況をどこか楽しんでいるようにも思える。


 私は、彼のその様子に、何か不気味なものを感じとっていた。


「ほぅ、存外良い表情をするじゃないか。修道女」


 肩を震わせ床に座り込む私を見て、漆黒の騎士はそう口にする。


 良い、表情?


 現在私は、口元に吐瀉物の残りを付けて、涙と鼻水で顔を歪めている。


 果たしてこの顔は良い表情と言えるのだろうか。


 客観的に見ても、この表情は惨めなものであり"良い"などとは断じて思えない。


 彼のその言葉に含まれた感情は皮肉か何かだろうか。


 困惑する私を他所に、エンプティはクックックッと嘲笑を含んだ笑い声を上げた。


「それで、あの女を殺した感想はどうだった?」


「殺し、た‥‥?」


 突然、何を言い出すのだろう。


 当然ながら私は、今まで一度も人を殺めたことなどない。


 彼の質問の意図が分からず、思わず首を傾げてしまう。


 すると、エンプティは愉快気な口調で、その言葉の続きを紡いだ。


「あの女の腹にいた虫共は君の回復魔法で活性化し、腹を食い破ったのだぞ? いやはや、実に面白い光景だったな」


 そう言って彼は向かいの牢の、触手が纏わりつく亡骸を指で差し示した。


 その瞬間、私の背筋に冷たい物が駆け抜けていく。


 確かに彼女は、私が【ライトヒーリング】をかけた直後に発狂し出した。


 ならば、最初に回復魔法をかけると言った時に見せたあの瞳は――――――やめてくれと私に訴えていたのではないだろうか。


 その真実を理解した途端、私は身体の震えを抑えられなくなっていた。


「そ、それを知っていて!! 何故、私に一言も教えてくれなかったのですかッ!!」


 私は、行き場のない感情を漆黒の騎士へとぶつける。


 自分は悪くない。


 何も告げなかったこの男が悪いのだ。


 私を使って、間接的に彼女を死に追いやったこの男こそが殺人鬼であり、悪だ。


 憎悪を込め、私はエンプティを睨みつける。


「私じゃない。あなたが、彼女を殺したのです」


 そう言って、私は彼を強く非難した。


 だが、彼はそんな私の言葉など意に返した様子も見せず、面白可笑しそうに開口する。


「いいや、お前が殺したのだ。知識もなく短慮で浅はかな――――誰かを救えると勘違いした無能なお前が、あの女を殺したのだよ」


 その鋭利な言葉が私へと突き刺さった。


 それは正論だ。


 言い返すことなどできるはずもない。


 事実、私がもっと冷静な判断ができていたのなら、彼女は今もまだ生きていたことだろう。


 救おうとしたのは私であり、彼は救おうとはしなかった。


 いくら邪悪な者であろうと、その責を部外者に問うのは間違っている。


「‥‥‥‥」


 私は頭を抱えてしゃがみ込んだ。


 愚かで浅はかな自分に耐えきれなかったからだ。


 瞳から止めどなく溢れ落ちる涙が、ポタポタと床を濡らしていく。


 何故、私は、自分の器を理解せずに冒険者になどなってしまったのだろう。


 その結果、誰かを救うどころか死に追いやってしまうことになるなんて。


 あまりにも無様で、滑稽な話だ。


 私は現実を直視できず、ただただ塞ぎ込むことしかできなくなっていた。


 そんな私を見て、騎士はため息をひとつ吐く。


 そして、私に興味をなくしたのか‥‥彼は、それ以上こちらに声をかけてくることはなかった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 3時間程経った頃。


 クライッセ伯爵が大勢の衛兵を連れ、地下牢へと姿を現した。


 伯爵は鉄格子の前に立ち、その顔に下卑た笑みを浮かべながら、情欲が宿った視線を私へと向ける。


「閣下、以前捕まえた奴隷の女が亡くなっています」


「何〜? ついでにその女の出産ショーもやろうと思っていたのだが‥‥ふん、まぁ良い」


 向かいの牢に入っている妊婦の亡骸を興味無さそうに一瞥すると、クライッセ伯爵は牢の鍵を衛兵へと無造作に手渡した。


 そして、私たちが入っている牢の鉄格子が静かに開いていく。


「まぁ、今宵はその修道女と、そこの真っ黒な鎧の男で、観客には満足してもらうとするか。連れて来い」


 そう言って、衛兵たちは私とエンプティの両腕を抑え、外へと連れ出した。


 口に布は詰められなかったが‥‥ここで魔法を使ったところで衛兵たちから逃げ馳せることは難しいだろう。


 私は、彼らに素直に従った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ここは、いったい‥‥」


 牢から出されて、連れて来られた場所。


 そこは、王国にあるコロッセオ(囚人同士を戦わせる闘技場)のような、とても広い空間だった。


 こちらを見下ろすように作られた観客席には、三十人程の人々が疎らに座っており、皆一様に高価そうな衣服を着用している。


(どこかに、逃げ道は‥‥)


 観客席と私が立つ場所はかなりの高低差があるので、よじ登って逃げることはまず不可能だ。


 頭上も、分厚い天井が待ち構えている。


 出口は先程入ってきた扉と、反対側にある巨大な鉄格子付きの出入り口だけ。


 そのどちらも複数人の衛兵たちがガッチリと守っている様子で、簡単に逃走することはまずできない。


(この場から逃げられるとしたら、恐らく、高位魔法の【転移テレポート】だけでしょうね‥‥)


 転移とは、任意の場所に瞬間移動できる魔法だ。


 それを使えばここから王都まで数秒も経たずにワープすることができる。


 だが、この魔法が使える者は世界で限られた高位の魔導師のみであり、決して私のような駆け出し冒険者が使える代物ではない。


(結局のところ、自分にこの現状を覆せる力は何も無いということです、か‥‥)


 自分すら救えないのに、他者を救う職業である冒険者を志すなんて、私はなんて馬鹿だったのだろう。


 いつの間にか、過去の自分が力なく夢を語るだけの愚者にしか思えなくなっていた。


「さて、お集まりの皆様! 久々の宴でございます! 今宵は、心ゆくまでお楽しみくださいませ!!」


 クライッセ伯爵が闘技場の中央に立ち、観客席に向けそう声を張り上げる。


 すると、客席から黄色い歓声が巻き起こった。


「今宵、無残に魔物に犯され孕まされるのはこの少女。元修道騎士の冒険者、アルルメリア・グレクシアです!!!!」


 伯爵が私の名前を呼び、こちらに掌をかざした直後、観客席から怖気立つ視線が私へと集まったのが分かった。


 その瞳には、先程のクライッセ侯爵と同じような情欲の色が宿っている。


 ‥‥なるほど、そういうことか。


 ようやく、私は自らの運命を理解した。


 私は今からここで、魔物に陵辱され、見世物にされるのだ。


「あぁ、待ちきれない! 早くあの女が泣き叫ぶところを見たいですな!」


「えぇ、全く。あの年齢の修道女なら恐らく処女ですぞ! 完膚なきまでに陵辱して欲しいところです!」


 観客席から最悪な会話が耳に届いてきた。


 これが夢ならば、早く覚めて欲しい。


 もう、耐えきれない。


 こんな場所に、一秒たりとも居たくはない。


「女神様、お助けくださいッ!! どうかッ!!!


 私は声の限り叫び、手を組んで、神に助けを乞う。


 修道院に在籍していながら、私は今まで心から神を信仰してはいなかった。


 人を救えるのは人だけだと、そう信じていたからだ。


 だが、今この時。


 私は心から神の存在を強く願っていた。


「皆さま、メインディッシュは最後にとっておくものですよ? まずはこの漆黒の騎士を、愛しの"パピーちゃん"の餌としてやりましょう!」


 伯爵のその言葉に、歓声が強まる。


 すると、前方にある大きな鉄格子が開き、中から、鎖に繋がれた巨大な何かが連れて来られた。


「ひッ」


 その外見を見た瞬間、思わず掠れた声を上げてしまう。


 そこから現れたのは、巨大な黄色い蛞蝓のような化け物だったからだ。


 怪物の体はぶよぶよとしており、外皮からは謎の液体が滴っている。


 どうやら足は無く、這うことでしか移動ができないようで、動きは非常に緩慢だ。


 全長は6メートル程はあるだろうか。


 普通の蛞蝓と違う点はその巨大な身体と、先端にある口と思わしき穴から無数の触手がウネウネと蠢めいている点だろうか。


 これがいったい、何という魔物なのかは分からない。


 だけど、下級冒険者である私が相手にして良いレベルの物でないことは、その身から放たれるプレッシャーで簡単に推測できた。


(あ、あれは、間違いなく、私では勝ち目はありません。アリッサさんのような上級冒険者でなければ‥‥きっと、相手にすらならないでしょう)


 怪物がこちらを向き、私に向かって大きな咆哮を上げる。


 その悍ましい声は、まるで、私という獲物を見つけて興奮している様子に見てとれた。


「‥‥‥‥ククク。あれはエンシェントスラッグという魔物でな。人間の女を使って繁殖するという面白い特徴を持っている。おや? どうやら奴はお前を繁殖相手と認識したようだぞ?」


 隣に立っているエンプティが愉しげにこの魔物の説明をしてきた。


 その内容は身の毛がよだつもので、決して明るい口調で話すものではない。


 私は漆黒の騎士を強く睨みつける。


 この男は、状況が分かっていないのか。


 先程の伯爵の言葉から察するに、恐らく私よりも先に、エンプティが、あの蛞蝓に蹂躙されるのだろう。


 そのことが分かっていて何故、平静を保っていられるのか。


 私には彼の心情が全く把握できない。


「では、皆さま。パピーちゃんがこの見窄らしい漆黒の鎧の男を美味しく頂くところを、ぜひご鑑賞ください!」


 観客席に向けそう言葉を発した直後、クライッセ伯爵は私たちの拘束を解くよう衛兵へと指示を出す。


 そして、手枷を外され解放された私たちの前に伯爵は立つと、彼は邪悪な笑みを浮かべ開口した。


「まぁ、精々抵抗してくれたまえ。その方が観客も悦ぶからな」


 そう言って踵を返したクライッセ伯爵の後、衛兵たちが私たちの武器―――私の杖と恐らく騎士のものであろう剣を―――持ってきて、それを目の前へと無造作に投げ捨ててきた。


 少しでも抵抗を見せて蹂躙されろ、ということなのだろう。


 何とも、悪趣味極まりない話だ。


「ほら、さっさと前へ歩け!」


 剣を拾った漆黒の騎士の背中を、衛兵は乱暴に蹴り上げる。


 騎士は頭の兜を抑えながらよろめくと、エンシェントスラッグの前へと、そのまま静かに歩みを進めて行った。


「では、楽しませてくれたまえ」


 怪物の目の前に騎士が立ったことを確認した伯爵は、そう言葉を残し、衛兵たちを引き連れて足早に去っていった。


 この場に残されたのは私とエンプティ、それとエンシェントスラッグを連れてきた1人の兵士だけだ。


 その状況に、観客席が今まで以上に沸き立つ。


 私は膝を地面に付け、手を組み、祈った。


「女神さま、ひっく、どうかお助けっ‥‥お助けくださいっ‥‥女神さま、女神さまぁ‥‥」


 涙が止めどなく地面へと溢れ落ちていく。


 もう、私は、神に祈りを捧げることしかできない。


 このまま魔物の慰み者になるなんて、絶対に嫌だ。


 お願いだから、誰でも良い。


 誰か、私を助けて欲しい。


 そんな嗚咽交じりに泣き噦る私の視界に、ふと、エンプティの後ろ姿が目に入った。


 醜悪な怪物を目の前にしているというのに、彼は何やら、観客席の様子を気にしているようだった。


 やはり、何度見てもあの漆黒の騎士から怯えの色は感じ取れない。


 むしろ、この状況を楽しんでいるのではないかと思うほど、その身からは明るい雰囲気を漂わせていた。


「さぁ! 鎖を外せ!」


 観客席からアグネリア侯爵がそう叫ぶと、衛兵はエンシェントスラッグを縛っていた鎖を解き放つ。


 のっそりといった緩慢な様子を見せ、エンシェントスラッグは歩み始める。


 その動作の遅さを見るに、この会場をずっと走り回って逃げていれば、あの化け物に捕まることはないのではないか。


 私はそう考え、安堵感を覚える。


 だが――――。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」


 突如、エンシェントスラッグが今までの緩慢な様子が嘘かのような機敏な動きを見せ、隣にいた兵士に襲いかかった。


 兵士はそのまま抵抗もできず、エンシェントスラッグの口の中へ飲み込まれていく。


 姿が見えなくなる一瞬、その顔を恐怖に痙攣らせたまま、彼は怪物の口の中で液体のように溶けていくのが見えた。


 あの口の中にある無数の触手には、捕らえた獲物を溶かす酸のようなものが含まれているのだろうか。


 私は人が溶かされていく悍ましいその光景に、ただただ呆然とするしかなかった。


 しかし、観客席に座る者たちにはこの光景は愉快なものに映っていたのだろう。


 客席に座る人々からは、興奮した歓声が上がっていた。


 何故、このような残酷な光景を愉しげに見ることができるのか。


 私には彼らのその心情が、全くもって理解ができない。


「プププッ! いいぞぉ! さぁ、愛しのパピーよ! 次は私の宣言通り、あのボロ切れのような騎士をやるのだ!」


 観客席から、そんな伯爵の声が聞こえる。


 次は、エンプティが、あのように悍ましく死に絶えるのだろうか。


 チラリと、前に立っている騎士に視線を向ける。


 その背中からは、いったい今彼が何を考えているのかは読み取れない。


 ようやく現状を理解して絶望しているのか。


 将又自分の命を諦めたのか。


 今、彼は何を考えているのだろうか‥‥。


「‥‥グォォォォォォォォォォォッッッ!!!!!!!!」


 エンシェントスラッグが、兵士を食べ終え、次の標的――――エンプティを見据えた。


 そして、けたたましい咆哮の声を上げると‥‥獲物を見つけた怪物は、漆黒の騎士へ向かって勢いよく突進し始めた。


 あの巨体で、あの尋常じゃない速さだ。


 当たれば間違いなく、エンプティの身体は肉片になることだろう。


 私は、数秒後の彼の姿を想像して、思わず顔を背けた。


 だが―――――――――。


「リリエット」


「はいよー」


 いつの間にか、エンプティの前には‥‥双剣を持った青い髪の少女の姿があった。


 彼女は双剣を構えると、跳躍し―――エンシェントスラッグへと向かって、剣を振り降ろしていくのだった。

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無実の罪を着せられ処刑された聖騎士、首なしの騎士《デュラハン》に転生し復讐を誓う。 ~死体をアンデッドに変えるチートスキルを手に入れたので、不死者の兵団を作って国盗りすることにしました~ 三日月猫@剣聖メイド2巻6月25日発売! @mikatukineko

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