第26話 惨劇


 野外で一泊を迎えた次の日の朝。


 私たちは起床してすぐに、目的地であるクライッセ領へと向けて出発していた。


「つ、つらい‥‥」


 項垂れるように、私は馬車の窓に寄りかかる。


 最初はこの馬車の旅も楽しく思えていたのだが、流石にこう長時間乗っているとキツイものがあった。


 正直言って、もう当分馬車には乗りたくない気分だ。


 また延々と狭い空間に閉じ込められることに、私は思わず深いため息を吐いてしまう。


「大丈夫か?」


 すると、そんな私の姿を見て、隣に座るアリッサさんが小さく笑っていた。


「す、すいません、お見苦しい姿をお見せしてしまって‥‥。今までに長時間、馬車に乗る機会がなかったものでして‥‥」


「いや、気にすんな。馬車に乗り慣れていないと、最初はそんなもんさ」


「アリッサさんもそうだったのですか?」


「あぁ。あたしなんて、初任務の時は、酔い易いからゲロ吐きまくりだったぞ〜??」


 そう言ってガハハと豪快に笑うアリッサさん。


 そこに、乗り物酔いをしている雰囲気は一切無かった。


「着いたら仕事が待ってるんだ。手持ち無沙汰なら休めるときに休んどくのも冒険者の仕事だぞ?」


「そう、ですね‥‥」


 確かに、ここは少しでも休んでおいた方が良いのかもしれない。


 昨夜は昔のこと思い出してしまったせいか、正直、あまり眠れなかった。


 下手に体力を使うよりも、今は仕事のために休息を取っておいた方が利口だろう。


「では、少々仮眠を取ろうと思います」


「おぉ、そうしとけそうしとけ。着いたら起こしてやるからよ」


「はい。では、おやすみなさい、アリッサさん‥‥」


 そう言って、私は静かに瞼を閉じた。








「おーい、メリア、着いたぞー」


 目が醒める。


 隣に視線を向けると、アリッサさんが私の肩をゆさゆさと揺らしている姿があった。


「着い、た?」


 寝ぼけ眼をこする。


 どうやら、馬車は停車している様子だった。


 チラッと窓の外を見ると、そこには大きな町が広がっている。


 その光景に、私の脳は一気に覚醒した。


 ついに、目的の地へ到着を果たしたのだろう。


 私はさっそく馬車から降り、アグネリアの領都へと足を下ろす。


「‥‥‥‥これが、本当に領都、なのですか?」


 その町の異様な風景に思わず困惑してしまう。


 何故なら、そこには人が一切見当たらなかったからだ。


 多くの民が住まう邸宅が何件も街路沿いに建てられているが、そのどれも人の住んでいる気配は微塵も感じられない。


 加えて長い間整備されていないのか、石畳の隙間からは雑草が生い茂り、建物には蔦が絡み付いていた。


「どうやら、あたしの推測は外れて‥‥クライッセ領の街は、思ったよりも不味い状況なのかもしれないな」


 馬車から降りたアリッサさんのその言葉に、私は激しく同意した。


 何らかの原因があって、この町の人々は姿を消したのかもしれない。


 もし、その原因が依頼内容にあったアンデッド、もしくは貴族を狙った襲撃者によるものなのだとしたら‥‥これは、国に報告しなければならない大変な事態に陥っている可能性がある。


 今は、いち早く現状を把握した方が良いだろう。


「とりあえず、領主様にお話を聞きに行きましょう!」


「そうだな。おい、お前も1人で何かあったら危険だ。付いて来い」


 そう言ってアリッサさんが御者を呼ぶと、彼は大人しく後ろからついて来た。


「アグネリア伯爵の邸宅は‥‥あっちだな」


 この大きな街を見下ろすようかのように、巨大な邸宅が崖の上から外下を威圧している。


 恐らくあれが六代貴族の一人、アグネリア家が所有する屋敷と見て間違いないだろう。


 私とアリッサさん、エンプティさん、そして御者を含めた四人は、周りを警戒しながら、崖の上に聳え立つその屋敷へと歩みを進めて行った。







「待っていたぞ」


 屋敷の前に辿り着くと、二人の衛兵に囲まれた壮年の男が私たちを出迎えて待っていた。


 彼が、クライッセ伯爵なのだろうか。


 年齢は五十代前半くらいで、とても膨よかな体格をしている。


 首回りにはでっぷりとした脂肪が付いており、鼻の下には立派な髭が左右にピンッと真っ直ぐ伸びていた。


 豪華な装飾が施された服を着用していることからして、彼が身分の高い者であることが把握できた。


(彼が領主様であれば、御屋敷は無事ということになりますね。では、何故都市はあのような状態に――――)


 私がそう思考を巡らせていると、アリッサさんは前へと出て男に話しかけた。


「ほらよ、依頼は達成だ。さっさと報酬を渡してもらおうか」


「?」


 依頼は達成? 報酬?


 アリッサさんは何を言っているのだろう。


 私たちはまだ町の事情を聞いていないし、それに魔物を一匹も退治してすらいない。


「アリッサさ――――」


 そう彼女に問いかけようとした次の瞬間。


 後ろに立っていた御者が突如、私の両手を縄のようなもので縛り付けてきた。


「なっ!?」


 咄嗟のことで頭が追いつかない。


 何故、御者は私の手を拘束してきたのか。


 アリッサさんに助けを求めようと彼女へ視線を向けると、そこには理解し難い光景が広がっていた。


「ほら、今回の代金だ。フン、流石は最上級冒険者のアリッサ・ベルガだ。質の良い上物を毎回仕入れる」


「世辞はいらない。ってお前、事前に話していた代金と随分違うじゃねえか!」


「それは前金だ。残りの代金は私の護衛をした後に渡してやる」


「チッ」


(こ‥‥これは、いったいどういうことなのですか!?)


 大金の入った袋をクライッセ侯爵から受け取るアリッサさん。


 そして、縛られている私。


 隣を見ると、エンプティさんも両腕を縄で縛られている様子だった。


 この状況を見るに、恐らく私たちは‥‥彼女に売られたのではないだろうか。


 だとしたら不味い。


 何としてでもこの場から逃げなければならない状況だ。


 でなければ、この先に待つ私の運命は、きっとろくな物じゃない。


(お、落ち着いて、落ち着くんです、私‥‥!!)


 両腕は塞がれている。


 だが、生憎と口は動く。


 呪文の詠唱さえできれば、両手の縄など造作もない。


 火属性の低級魔法【フレイム】を使って、縄を焼き切ってしまおう。


 私は、彼らに気付かれないように小声で魔法の詠唱を始める。


 だが―――――――。


「おい馬鹿かお前ッ! そいつは修道士だぞ!? 詠唱できないように口を抑えろ!」


 そんな企みは呆気なく、アリッサさんの一言で潰えてしまった。


 御者が、私の口に布を突っ込む。


 これでは魔法を発動することはできない。


 どうして? 何故こんなことを?


 そういった感情を含めた瞳を、私はアリッサさんへと向ける。


「悪いな。運がなかったと思って諦めてくれ」


 そう言ってアリッサさんは私を一瞥し、屋敷の中へと入って行った。


「グフフフッ。綺麗な金髪をした若い修道女か‥‥穢しがいがある。今夜は久々の宴だな。おい、貴様ら! 我が傘下の貴族たちに連絡を回せ! 上物が入ったとな!」


「はっ!」


 クライッセ伯爵が衛兵に何やら命じている。


 だが、そんなものに興味はない。


 今の私の胸中には、裏切ったアリッサさんのことでいっぱいだった。


(アリッサさん、何故、あんな顔を‥‥)


 彼女は別れ際、ひどく辛そうな顔を見せていた。


 もしかして彼女がこのような行いに走った背景には、何か、理由があったのではないだろうか。


 これまで私が見てきたアリッサ・ベルガという人間。


 それら全てが偽りではないと、根拠は無いが何故か私はそう確信していた。


(彼女がもし、あの貴族に何か弱みを握られているのだとしたら‥‥)


 彼女を助けてあげたい。


 だが、今の私は両手も縛られ口も塞がれている状態だ。


 そんな自分すら救えぬ私に、彼女の現状を救える術など思い付くはずかない。


 そのままクライッセ伯爵の配下たちに両腕を掴まれ、私は抵抗もできず屋敷の中へと連行されて行った。






 ―――――――ピチョン。


 水滴が水溜りへと落ちて行く音が周囲へ響き渡る。


 クライッセ伯爵に捕まって数分後。


 現在、私は、屋敷の地下牢に閉じ込められていた。


 牢獄の中は薄暗く、ジメジメしていてかなり肌寒い。


 辺りには人の気配などは感じられず、しんとした静けさに包まれている。


 どうやらこの場で拘束されている人間は私と‥‥背後にいるエンプティさんだけのようだ。


 私は後方に視線を向け、壁に背を付けるエンプティさんに声を掛けてみる。


「あ、あの、エンプティさん、ここから逃げ出す手立ては何かないでしょうか‥‥?」


「‥‥」


 相変わらず、彼は口を開くことをしない。


 私は、彼に話しかけるのをやめて、ひとり、思考を巡らせることにする。


「何か、ここから脱出する手立ては‥‥」


 周囲を見渡す。


 周りは分厚い石壁で囲まれており、抜け穴などは見当たらない。


 牢の鉄格子は‥‥攻撃魔法を反射する『エリメタル』という鉱石で作られていた。


 ここに入れられる際に口から布を外されたのは、こういった対策があったからなのだろう。


 完全に八方塞がりに陥っていた。


「私、これからどうなるのでしょうか‥‥」


 碌な目に合わないであろうことは安易に推測できる。


 奴隷として売り払われるか、またはクライッセ伯爵の慰みものになるかのどちらかだろう。


 せっかく冒険者になれたのに、そのような結末を迎えるなんて絶対に嫌だ。


 何としてでもここから逃げ出さないと。


 そう決意を固めた、その時。


 突如、バンッという大きな音と共に地下牢に、光が差し込んできた。


 目を細める私の視線の先に映るのは、長い髪の毛を衛兵に引っ張られて引き摺られる女性の姿だった。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!!!」


 静寂を引き裂くかのように、牢獄内に女性の叫び声が反響する。


 その女性の姿は痛々しいものだった。


 ボロボロになった粗雑な服の隙間から見える肌には無数の傷が刻まれており、顔の半分は酸か何かを浴びたのか酷く爛れている。


 そして、お腹がぷっくりと膨れ上がっていることから‥‥彼女が妊娠していることが見て分かった。


 私は、妊婦を乱暴に扱う衛兵に嫌悪感を覚える。


 その光景を黙って見ていることなど、できるはずもなかった。


「そ、その人を離しなさい!!! 痛がっているでしょう!!!」


 だが、そんな私の怒りに満ちた声など意にも返さず、衛兵はその妊婦を向かいの牢の中へと雑に放り込んだ。


「かふっ」という掠れた声をあげて、彼女は地面へと転げ落ちる。


 そして衛兵は牢の鍵を閉めると、地下牢から去って行った。


 いったい何なのだろう、この屋敷の人間は。


 衛兵の振る舞いに怖気立つものを感じながら、私は向かいの牢に入れられた彼女に声をかけた。


「大丈夫ですか!? 怪我をしたのであれば私が魔法で治癒します!」


 そう声をかけるが、女性は這い蹲り、息を荒くしてこちらを見つめるのみ。


 何か病気を患っているのだろうか?


 高位の修道士であれば病も治せると聞くが、私にできるのはせいぜい外傷と状態の回復だけだ。


 もし、病気だったのなら治すことはできないが‥‥せめて、彼女の痛々しい傷だけは治してあげた方が良いだろう。


 私は、鉄格子の隙間から彼女へ向けて手を伸ばし、詠唱を開始する。


 外傷を治す【ライトヒーリング】と、毒や恐慌状態を治癒する【レジストキュア】を彼女へかけてみた。


 すると、彼女の肌に刻み付けられた痛々しい傷跡がみるみる回復していくのが分かった。


 だが、その様子にこれといった変化は見られない。


 ひたすらゼェゼェと苦しそうに息を荒げている。


「やはり、何か病気にかかってしまったのでしょうか‥‥」


 だとしたら私にはどうしようもない。


 自分の未熟さに悔しさを覚え下唇を噛む。


「ですが、安心してください。私が必ずあなたをここから助け出します。私はこれでも冒険者―――――――」


「きぃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!!!!!!!」



 耳を塞ぎたくなるようなけたたましい金切り声が周囲へ鳴り響く。


 それは、向かいの牢にいる彼女から発せられた叫び声だった。


 その後、彼女は白眼になり、牢獄内で仰向けになりながらもがき苦しみ始めた。


 見るからに尋常ではない様子だ。


「だ、誰か! 誰かいませんか!? 向かいの牢にいる女性がっっ!!!」


 全力の限り叫ぶが、屋敷の者が地下牢に現れる気配はない。


 私は狼狽えながら、彼女に向かって【ライトヒーリング】を唱え続けた。


 だが、回復魔法をかけたところで彼女は益々苦しそうに叫び声をあげていく一方だった。


 その状態が改善される兆しが全く見えない。


「どうすればッ!? どうすれば良いのッ!?」


 私が思考を必死に巡らせていたその時。


 バチュンという、水風船が割れるような音が地下牢に鳴り響いた。


「えっ‥‥?」


 その状況に驚愕し、瞳孔が大きく開く。


 何故なら、彼女のお腹が爆弾のように弾け飛んでいたからだ。


 どしゃりという音を立てて、辺りに肉の破片と臓物が降り注ぐ。


 そして、その肉片の一部が私の右頬に付着した。


「な、なにこれ‥‥」


 いったい何が起こったのか理解が追いつかず、私は呆然と立ち尽くしていた。


 何故、彼女の腹部は破裂したのか。


 その疑問は、彼女の亡骸を見て一目で理解することになる。


 彼女の半分消し飛んだ腹部。


 そこから得体の知れない芋虫のような生物が、大量にウゾウゾと這い出ていたのだ。


 その地獄絵図のような光景に、私は気が動転してしまった。


「きゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」


 あまりの出来事に腰を抜かし、尻餅を付いてしまう。


 まるで、悪夢でも見ているかのような状況だった。


 彼女から這い出た芋虫は、そのまま彼女の血と肉を貪るように死体の上を這いずり回っている。


 その瞬間、辺りに血と臓物の匂いが充満していった。


「うぷっ」


 反射的に口を抑えるが、それだけで吐き気を抑えることなどできるはずがない。


 ビチャビチャといった音を立てて、吐瀉物が私の口から地面へ流れ落ちた。


「ハァ‥‥ハァ‥‥」


 ただただ、恐ろしくてたまらなかった。


 何故なら、目の前の女性が未来の自分の姿に思えてしまったからだ。


 腹を裂かれ、得体の知れない化け物を産む母体。


 もしや、私はそのために捕らえられたのではないのか。


 そう考えると、気が狂いそうになった。


「冒険者にならなければ、こんな目にはっ‥‥」


 瞳から大量の涙が溢れ落ちる。


 冒険者にならず、修道院で働くことを選んでいれば、こんな地獄は知らずに済んだのだろう。


 孤児院で一緒に暮らした友人たちに、暖かいご飯がある食卓。


 かつて、そんな環境にいた私は幸せだったのかもしれない。


 何故、その幸せを自ら捨ててしまったのか。


 後悔と絶望が私の胸中に渦巻く。


―――――――そんな過去を悔いている私に、突如、闇から不気味な声が降って来た。


「クククククククッ‥‥‥‥実に、面白い見世物だったな」


「‥‥‥‥ぇ?」


 声が聞こえた背後へと視線を向ける。


 すると、そこには、今まで頑なに口を開くことをしなかった漆黒の騎士、エンプティが――不気味な嗤い声を上げている姿があった。

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