第25話 月下の晩餐


「ほら、メリア! 王領を抜けるぞ!」


 冒険者ギルドから馬車に乗って2時間半。


 現在、私たち三人は王都を離れて他領の地に接近していた。


 とは言っても目的のクライッセ領は王国の最西端にあるため、東にある王都から考えるとここからかなりの距離がある。


 まだまだ、時間はかかりそうだ。


 その間は手持ち無沙汰になるため、アリッサさんと雑談したり、ボーっと外を眺めるくらいしかやることがなかった。


 勿論、エンプティさんにも対話を試みたりはしたのだが‥‥相も変わらず、彼は、何も喋ろうとはしなかった。


「‥‥そうだ。アリッサさん、ひとつ、質問してもよろしいでしょうか?」


「ん? 何だ?」


 乗車席で向かいの席に座り、窓を見つめていたアリッサにそう声を掛けると、彼女はこちらに視線を向けて来た。


 そんな彼女に、私は再度開口する。


「あの、クライッセ領というのは、魔物の出現数が多い土地と聞いた覚えがあります。それは本当なのでしょうか?」


 ふと、巷で聞いた話を隣に座るアリッサさんに質問してみる。


 すると、アリッサは顎に手を当て、うーんと唸り始める。


「うーん。確かに多いとは聞くが‥‥どうなんだろ? すまん、あたしもそんなに詳しくないんだわ」


 そう言って、彼女は頭をポリポリと掻きながら笑みを浮かべる。


(アリッサさんも、クライッセ領にはあまり詳しくないみたいですね。できれば、依頼者に会う前に、何か情報を得たいところですが‥‥)


 今回の依頼はアグネリア領内に現れた低級アンデッドの掃討といったもの。


 だが、私たちはその依頼の裏に別の狙いがあることを読んでいた。


 その狙いは、要人の護衛任務。


 本来であれば、冒険者はそういった仕事をしてはならない決まりになっている。


 なので、私たちはその裏の狙いはあえて無視する方針にしていた。


 だから、当面の間は表の依頼である、低級アンデッドの討伐のことだけを考えていれば良いだろう。


 もしかしたら本当に、アンデッド討伐の依頼なのかもしれませんしね。


 (しかし‥‥低級の魔物といっても、アンデッドは厄介な相手ですから。油断は禁物ですね)


 何故ならアンデッドは、状況によって、より上位種に転化する可能性を秘めているからだ。


 けっして、慢心してはならない。


 少しでも、情報は得たいところだ。


(彼ならば何か知っているのでは‥‥)


 ふと、今まで声をかけていなかったある人物へ私は視線を向ける。


 それは、この馬車の運転をクライッセ侯爵により任された御者の男だ。


 彼は口を真一文字に結び、黙々と馬を走らせている。


 私は、思い切って彼に声をかけてみることにした。


「御者さんはクライッセ領の方なのですよね? 領内にアンデッドなど見かけられるそうですが、様子はどのような感じなんでしょうか?」


「‥‥」


 御者はこちらを振り向くこともなくコクリと頷くだけで、それ以上の返答は何も返ってこなかった。


 隣に座るエンプティさんと同じく、どうやらあまり会話を好まない性格なのかな。


 何故なら馬車に乗ってからというもの、御者が口を開いた姿を私は見ていないからだ。


 無理に話しかけて気を悪くさせても悪いし、私はそれ以上話しかけるのはやめておいた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 それから5時間後。


 街道に魔物や盗賊が現れる‥‥何てこともなく、馬車は平穏無事に進み、辺りにはすっかり夜の帳が下りていた。


 窓の外を覗くと、空の上には大きな満月が浮かんでいる。


 私の育った修道院では、月には女神が住んでいると教えられてきた。


 月の女神メティスは、天上から寝静まった大地を見守っている。


 だから月を見かけたら、女神に感謝の祈りをしなければならないと、修道院で口酸っぱく学ばされてきた。


「女神様、か」


 こんなことを言ったら修道院の皆に不信心者と袋叩きにされそうだが、正直言って私は、この世界に神様がいるとは思っていない。


 何故ならこの世は理不尽だからだ。


 咎もない善人が無慈悲に死ぬこともあるし、魔に魅入られた悪人が徳をすることもある。


 もし、そんな世界を作った神様がいるならば、それは悪神と言っても良い存在だろう。


 人を救えるのは神では無く同じ人の手だけだ。


 だからこそ‥‥私は、人を救うために騎士となり、その後、冒険者を志した。


「この辺で止まろう」


 アリッサさんが行者にそう声をかけると、馬車はゆっくりと速度を落とし停止した。


 今日は一晩、ここで一泊するということなのかな。


「メリア、エンプティ、野営の準備だ」


「は、はい! わかりました!」


「‥‥」


「そうだ、お前ら、野営の経験はあるのか?」


「はい。私は、聖騎士団に所属していたころに、何度か経験しています」


「そうか。エンプティは?」


「‥‥」


「頷くってことは、経験済みか。だったら問題はないな」


 その言葉に軽く頷いた後、私は馬車から降り、後方にある荷台から積荷を下ろしていった。


 その荷物は、焚き火に使う木材と寝袋、食事の用意といったものだ。


 この物資はクライッセ侯爵が事前に用意してくれていたものらしく、遠慮なく使用しても良いと出発前に受付嬢に告げられていた。


 元々そういった野営の準備はしていたが、これから何があるかも分からないし‥‥無駄な出費は抑え、ここは素直に好意に甘えた方が良さそうだ。


 そうして私たちは火を起こし、野営の準備を順調に進めていった。


「さて、飯にするぞ!‥‥って言っても、まともな食事に何て在り付けないけどな」


 鍋と携帯簡易食の入った袋4つを手に持ち、アリッサさんがこちらへ歩いてきた。


 袋の中身は雑穀と干した牛肉だ。


 そのメニューから推察するに、雑穀を雑炊にし、干し肉を入れて――簡易的な食事を作るのだろう。


 正直、あまり美味しそうなものではなさそうだが‥‥野営するのだから贅沢は言ってられない。


 食べられるだけマシというものだ。


「おーい、お前も食うだろ?」


 アリッサさんが行者へそう声をかけるが、御者は馬車に乗ったままフルフルと首を横に振った。


「んだよ。じゃあ、あいつの分は三人で食っちまおうぜ」


 そう言ってアリッサさんは水筒を開けると、そのまま鍋へと水を投入する。


 そして、そこに先程持ってきた雑穀、干し肉を放り込んだ。


 鍋を火にかけるアリッサさんを横目に、私は器を取り出し、それぞれの前に三つのお椀を並べていく。


 これで準備は整った。


 あとは、湯が沸騰するのを待つだけだ。


「‥‥」


 アリッサさんは口を閉ざし、地面に座りながら、ただジーッと星空を仰ぎ眺めていた。


 辺りからは、虫の音色しか聞こえてこない。


 私も、ボーッと、静かに焚火を見つめる。


(何だか、こうして焚火を見つめていると、昔を思い出しますね‥‥)


 ロクス兵隊長が亡くなる日の前夜。野営地で、私とロクス兵隊長、そして同僚のジェイクとリリエットは、みんな笑顔で、雑談を交わしていた。


 みんなと騒ぐのは、とても、楽しかった。


 でも‥‥みんなは、私を置いて行って死んでしまった。


 もう一度逢いたいと願っても、もう、あの温かい光景に手が届くことはない。


 リリエットがロクス兵隊長を誘惑し、それを私が怒り、ジェイクが呆れたように仲裁に入る。


 そんな三人の部下を、ロクス兵隊長は優しい瞳で見つめ、口元に手を当てて笑みを浮かべる。


 時というのは残酷なものだ。過ぎたものは、もう――――二度と手に入ることはない。


 焚火の前で過去の情景を思い返していると、いつのまにか、瞳から涙が零れ落ちていた。


 そんな私を見て、アリッサさんはギョッとした表情を浮かべる。


「ど、どうしたんだ!? メリア!?」


「あ、い、いえ、何でもありません!!」


 慌てて目元を袖で拭う。


 そして、平静を取り繕いながら、アリッサに声を掛けた。


「え、ええと‥‥そ、そうだ! あの、前々から思っていたのですが、アリッサさんの持っているそのプレートメイル、立派なものですよね。特別なものなのですか?」


 そう口にすると、アリッサさんの表情が曇った。


 今まで彼女のこういった表情を見たことが無かっただけに、私は少し困惑する。


(これは、あまりして欲しくなかった話題のようですね‥‥)


 適当な質問を投げてみたのだが、これは失敗だったようだ。


 どう話の流れを変えようかと考えていると、アリッサさんは静かに開口する。


「あたしの家は昔、小さな土地を持った小領貴族だったんだよ」


「えっ‥‥?」


「まぁ、今じゃ爵位は没収されてただの元貴族だけどな。その過去にあった小領貴族の家宝がこの鎧だったという訳さ」


 なるほど。


 確かにそれは、人に話し辛い身の上話だ。


 彼女がプレートメイルについて問われた時に眉を顰めたのも分かる。


「これでも、過去にいたとされる英雄の遺産とまで呼ばれた代物でね。隠された凄い力が宿ってる‥‥何て言われちゃいるが、私にとっては何の変哲も無いただの派手なだけの鎧さ」


 そう口にした後、アリッサさんは自分が着ているプレートメイルに優しく触れた。


 その隅々には銀の装飾で不思議な紋様が拵えられている。


 確かにこの鎧には、英雄の遺産と言われてもおかしくないだけの何かが宿っているような‥‥そんな雰囲気があるように感じられる。


「‥‥亡くなった弟がね、英雄譚に出てくる勇者様に憧れててさ。この鎧を着て、僕は冒険者になるんだー! って、いつも叫びながら走り回っていたよ」


「そう、だったんですね」


 私は考える。


 もしかして彼女は、弟さんのその夢を継いで冒険者になったのではないのかと。


 だとしたら、それは‥‥とても悲しい話だ。


 彼女に変な質問をしてしまったという罪悪感から、思わず俯いてしまう。


「お、おいおい! 暗くなるなって! ほら、飯食おうぜ飯!」


 ガハハハと笑いながら、アリッサさんは鍋の取っ手を持ちその中身を器に流し込んでいった。


 私も彼女からレードルを受け取ると、雑炊をお椀の中に注ぎ入れた。


「そんじゃ、今度はこっちから質問な」


「はい。何でもお聞きください」


 せめてものお礼‥‥にはなり得ないないだろうが、彼女の質問にはしっかりと答えなければ。


 キリッとした表情を作る私の前で、アリッサさんは困惑気な表情を浮かべた。


「なぁ、お前って騎士を辞めたんだろ? 何でまた冒険者になんてなったんだ? わざわざそんな命を懸ける危険な職に再就職しなくても、修道士ならいくらでも他に道はあっただろ?」


 それは確かに疑問に思うことだろう。


 わざわざ冒険者になって危険の伴う戦地に向かうより、修道院に在籍して医療に従事した方が確実に安泰だからだ。


 正直、その問いに対して何と答えるべきか私は迷った。


 彼女の弟さんと同じで、英雄譚に出てくる勇者に憧れていたから‥‥何て言うのは簡単だ。


 だが、彼女は苦渋しながらも、自身の過去について話してくれた。


 こちらも、過去を交えて、自分の核たる部分をさらけ出すべきだろう。


「‥‥私には昔、尊敬していて、大好きな人がいたんです。彼はどうしようもないお人好しで、困っている誰かがいたら進んで苦労を背負うような‥‥そんな優しい人でした。だから私も、彼と同じ景色が見てみたかったのかもしれません」


 私の命の恩人であり、初恋だった人。


 彼は‥‥ロクス兵隊長はもう、この世にはいない。


 今でも彼を思い出す度に、涙が溢れる。


 あんなに心優しい人が、何故、王女暗殺の罪に問われなければならなかったのか。


 国と人々を守るためにその身を費やしてきた人間が、何故、死ななければならなかったのか。


 そして、何もできずに、彼の首が跳ねられる瞬間も傍にいることができなかった自分は、なんて愚かで無力だったのか。


 だから私は、彼が死んだと聞いたあの時、決めたんだ。


 英雄譚の勇者のように、誰かを助けられる自分になってやると。


 大好きな人が死なないような世界を、自分の手で作ってやる、と、そう決めたのだ。


「冒険者になろうと思った動機は、単純で、亡くなった私の想い人のように、困っている誰かを助けられる存在になりたいと‥‥そう思ったからです」


 そんな私の答えに、アリッサさんは目を丸くした。


「そっ、か。今時珍しいよ。あんたみたいな、金目当てじゃなく、純粋な正義の心で冒険者を志す奴は」


「そう、なのでしょうか‥‥?」


「この業界に入って、あたしはあんたみたいな奴をひとりも見たことがない。冒険者なんてものは、命を担保に手っ取り早く金を稼げる職業でしかないからね。それが、大多数の共通認識さ」


 分かっていたことだ。


 英雄譚に出てくる勇者や冒険者は、幻想の姿なのだと。


 けれど、人々を助けることよりも金銭が第一の冒険者の方が多いということに、地味にショックを受ける。


 そんな私の表情を見て思うところがあったのか、アリッサさんは少し悲しそうな顔をして口を開いた。


「世の中、綺麗事ばかりじゃないからね。この先もあんたがその志しを捨てずにやっていけるのなら‥‥」


 そう口にして、アリッサさんはどこか遠くを見つめる。


「‥‥いつしか、本物の勇者は現れるのかもしれないね」


 それは、そよ風にも遮られそうな微かな声だった。


 その言葉に、どのような感情が秘められているのか私には分からない。


 けれど、アリッサ・ベルガという冒険者が様々な苦悩を重ねて生きているということは、これまでの会話で充分に把握できた。


 長くこの世界で生きてきたのだろう。


 彼女は、冒険者の辛さをよく理解している。


 駆け出しの身である私には、まだその痛みは分からない。


 だけど、いつか自分の身に信念を揺るがすような事態が訪れた時。


 果たして私は、今のように理想を語ることができるのだろうか。


「‥‥」


「エンプティさん?」


 私たちの会話を他所に、エンプティは静かに立ち上がると、数秒の間、私の顔を見つめる。


 そして視線を切ると、料理に手を付けずに、そのまま林の中へと消えて行くのだった。

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