第3話

 「釜井さん、佐間さん、田中くん。こんな遠いとこまで遠征なんて珍しいじゃないか」


 スーパーの大広間で出会ったのは、三人の担任である田島一郎太だった。広間を支えている大きな黄褐色の柱にもたれかかり、ラッキーストライクを一本吸っている。喫煙所でもないのだが。


 「僕としては嬉しいことだが、近年、君たち学生は余りにも外を出歩かなすぎる。一日最低三万歩は歩くべきだと思うね。老いてから気づくんだ、体力がある時に町を見て回っていれば….と、健康は大事だよ」

 「でも、先生は煙草吸ってるじゃないですか」

 「一年に七本って決めてるから大丈夫なんだよ、ラッキーストライク、ラッキーセブン」


 生えたての青髭を手の甲で撫で、面倒そうに口を開いた。田島の健康診断の結果が悲惨なことは、クラス中が知っている。一年に七本どころか、実際は一日に七箱だ。zippoライターは新品のもののようで、何かしらのアニメのキャラクターがプリントされている。


 「あんまり人がいないもんでね、誰にも見つからないと思ってたんだが。ほら見ろ、zippoがもう灯かなくなっちまった。煙草は隠れんぼと同じなんだよ、大人の遊びだ。見つかったらそこでおわり」

 「ネイティブの発音でジッポって言わないで下さい。イライラします」

 「田中は先生と喋る時だけ饒舌だな、お前の出席日数だけ0にしてやろうか」

 「教室のロッカーにカートン隠して「分かった分かった、勘弁してくれよ。先生も休日に大好きな生徒に会えて嬉しい。お前ら、これからどこ行くんだ? 良ければ、俺も保護者としてついてってやろうか?」

 「結構です」


 田島は少し寂しそうな顔をして、三人を見送った。と見せかけて、距離を空けてついてきていた。


 「あいつ、あれでバレてないと思ってんのかな」

 「煙草の煙が嫌でも目に入るんだよな」


 田島が動くにつれて口に咥えた煙草から煙が揺らめく。どんなに姿を隠そうとしていても、直ぐに分かるほどだ。臭いも遅れて三人の鼻へ入り込むので、存在は深々と伝わる。二本目を箱から取り出す時のかさかさとした音、ジッポ代わりのマッチを擦る音。


 「それにしても、本当に人がいないな。スーパーだぜ? 休日の真昼の」

 「案外まだ駄菓子屋が頑張ってるのかもしれねえ」


 スーパーの内装は大理石が基調となっていて、穏やかさ、温かみ、などは一切感じさせない。清掃がやけに行き届いているおかげで傷や埃、シミは見当たらないが、そのせいでより一層冷たさが増している。大広間から伸びる二つの大階段は、とてもスーパーなんかにつける物じゃない。5分ごとにスピーカーから現在時刻が機械音声でアナウンスされ、焦燥感を駆り立てる。これじゃあ人も寄り付かないだろうな、と田中は思った。


 「店員までいなかったらビビるぜ」

 「流石にそれはないと願いたいよな」


 キュッ、キュッと靴底が大理石に擦れて音を立てる。本屋の看板が見えてきた。横長の二階には幾つかの看板が天井に接する形で設置されていて、どれもがネオンの光を放っている。


 「サイバーパンクってやつか?」


 釜井がスマートフォンで看板の写真を撮る。佐間は物珍しそうにネオンの放つ光をまじまじと見ていた。田中は一足早く本屋の中へと足を踏み入れた。極めて一般的な内装で、特筆すべきことは何もない。本棚から一冊本を取り出してみる、『街中ニャンコ〜わんだニャ!〜』定価は二千五百円だ。


 「高っ」


 続けて三人が本屋に入ってきた。もはや隠れる気も無くしたのか、田島も一緒だ。


 「何だそりゃ、グラビアかなんかか?」

 「違いますよ、猫です」

 「猫のヌードか」

 「先生、追い出しますよ」


 田中は猫本を棚に戻し、田島を軽く横に退けて安く買えそうな本を探す。エアコンから流れる冷気が首筋に当たった。


 「おーい田中ぁ、店員さんがいないぜ」

 「呼んでみたか?」

 「呼び鈴を何度も鳴らしてるんだけどな、ってかお前、おすすめの本があるって言ったじゃないか、少しは待ってろよ。こればかりは本当にお前に見せたいんだ」

 「はいよ」


 呼び鈴は佐間が何度も連打しているが、誰も奥から出てくる気配がない。何度か躊躇した後、カウンターの背後にある従業員用の部屋の扉を開いたが、在庫の本がずっしりと机の上に鎮座しているのみだ。


 「マジかよ..猫の本を買わせようと思ったのに..」

 「いなくて良かった」

 「いや本当に、猫の脇腹しか載ってなくて最高なんだって」


 田島はするりと三人の間を通り抜けて机の上に置いてあった本を一息に地面へ下ろし、本によって隠されていた紙を指差した。


 「ホラゲーだったらこういうところにアイテムがあるだろ? 『本日臨時休業日』 だとよ」


 ボールペンで殴り書きされた文字は、『臨時』という文字に危機感を走らせる。仕事をしにきている店員が余程の馬鹿じゃない限り、こんなにも雑に書かないだろうからだ。


 「そして、この紙はまだあるべき場所に貼られてないよな? つまり、ヤバいってことだ」

 「あっ! 何勝手に入ってんですか!」

 「店員さんですよ、先生」

 「ほら、早く外に出てってください。あー、在庫も降ろしちゃって、何やってんですか本当に。時代は変わったんですよ、今は店員にも敬意を払う時代なんですよ」


 長い金髪を横流しにした、二十代だと思える店員が暗い声色には似合わない早口で三人を捲し立てる。


 「まあ、開店以来一気に四人もお客さんが来ることはなかったですから、いいですけどね」


 『閉店』の紙を取り、力強くネオン看板の下に貼り付けた。


 「客が来なかったらこう、やっつけ仕事になるんですよ。あ、せっかくだったら何か本でも買ってきます?」

 「じゃあこの猫の本を」


 釜井はポケットから今にも飛び出しそうになっている長財布を取り出して代金を支払う。しっかり二冊分だ。


 「身銭を切らせてもらうぜ」


 袋代の十円を小銭入れから出し、釣りなしのレシートが帰ってきた。そのままレシートはレジ横のゴミ箱へ投げ入れられる。名バスケットボール選手の放った華麗なスロウの様に。


 「性格でますよね、レシートの扱い」

 「田中! 見たか、今の軌道を!」

 「凄かった」


 猫の本が入った袋を小脇に抱えて本屋を出る。ネオン看板は弾けて導線を撒き散らし、直様に光を薄れさせた。眼球が機能しないほど、突然に暗闇が襲いかかってくる。次第に暗幕は取り払われ、朧げなシルエットが目の中に反射した。


 人の顔から、すっぽりと器官が消えてしまったような、そんな物が見えた。綺麗に消えているのでは無く、冷たいアイスクリームを無理矢理にほじくった時に出来る歪な凹凸に似ているのが薄らと見えた。


 明るい暗闇が瞳の中へと出来上がった時、四人は首を直視した。断面から垂れる血の音は劇的なオトマノペとは違ってとても静かなもので、現実と空想を切り分ける境界線となっている。首はネオン看板の上に乗せられているので、時々導線に血が落ちてパチパチと音を鳴らしている。


 田中は自分の首に何かが垂れてきているのを感じたが、それが汗であれ血であれ、今は余り重要なことだとは思わなかった。シャツの襟に何かが染み込んだ瞬間、天井が光り辺りを照らした。四人は一歩も動いておらず、暗闇に迷い込む前の姿で立っていた。


 「佐間、今の見たか?」

 「まあ、見たっていうか、まだそこにあるしな」

 「お前まだ見てんのか?」

 「うん、なんとなく」

 「呪われちまうぞ」

 「いや、これ、作り物じゃないかと思うんだよな」

 「血が垂れてんだろ、ぴちゃって聞こえるし、本物だろ」

 「うん、そうかも」


 田中は店内を見てみた、店員はまだカウンターに座っている。停電には驚いたようだが、首は見えていないらしく、不思議そうにこちらを見ている。


 「田中ぁ、あれって本物だったよな」

 「もう一度見るか?」

 「それは嫌だぜ、本物だったらどうすんだよ」

 「俺は見てみるよ」


 ネオン看板の上、血を滴らせた首がある。出来損ないのハロウィンのカボチャにも見えるかもしれない。皮膚の下から見える肉は、シャボン玉のように膨らんでいて、脂を垂らしていた。元々あれが付いていた肉体は太っていたのかもしれない。


 「佐間、あんまり見ない方がいい。多分本物だぞ」

 「かなぁ」

 「先生、これ、本物ですかね」

 「見たくねぇよ」


 四人は店内へ戻ったが、口数は多くなるばかりだった。佐間はじっと店の外を見つめ続けている。再び外に出た時、既に血は止まっていた。歪んだ顔がこちらを見ている。

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