第36話 呪いの媒体

「わかりました。時谷君が教えろと言うのなら、私は喜んで教えます」


 抵抗するわけでも、はぐらかすわけでもなく、真殿は一秒たりとも間を置くことなく首を縦に振った。


 普通、人にとって秘密の開示は相当なリスクを伴うものだ。秘密にしなければならないような事情があるということは、何らかの形で自分の弱点になってしまうということなのだから。

 特に、真殿のように完璧で完全無欠なイメージで通っていると、弱点が露見した時の代償も大きい。


 なのに彼女は躊躇しない。俺が聞かずとも、いずれは自主的に開示するつもりだったようだし、やっぱり根本的に価値観がズレているとしか言いようがない。


「どうかしましたか?」

「自分で言っといてなんだけど……普通に教えてくれるんだな」

「もちろんです。時谷君の要望なら、応えない理由はありませんよ」


 美少女にこんなこと言われて、普通ならドギマギする場面なんだろうけどなぁ……むしろ違う意味でドギマギしてきた。


「私は異常なのでしょう。それはわかっています。ですが、私からしてみれば時谷君も少し変わってますよ?」

「……俺が?」

「ええ、だって普通ならあの部屋を見て、その日の内にここへ戻ってこようとは思わないでしょう?」


 確かにそれは言えている。呪いを解かなければならないという事情があり、どうしても真殿から逃げるわけにはいかない理由があったのでここへ戻ってきたが、そうでなければ二度と足を踏み入れなかったはずだ。


 それに限らず、リセット現象のことを何も知らない真殿からしてみれば、ここ数日の俺はかなり奇妙な言動を取り続ける変人にしか見えないよな。


「幻滅しないのか?」

「え?」

「俺のことを変わってるって思うんだろ? 嫌いにはならないのか? お前は変人が趣味なのか?」

「ち、違いますよ! 私にそんな変な趣味はありません!」


 真殿はここにきて普通の女の子らしく、恥じらいながら抗議の声をあげた。


「私は……時谷君が好きなんです」

「だから、なんでだよ。お前がそこまで俺に執着する意味がわからない。俺よりカッコイイやつなんていくらでもいるだろ」

「……むしろ、私には時谷君がなぜそこまで自分を過小評価しているのかよくわかりません。成績は学年一位、スポーツも万能で、悪い噂も聞かない。いつでも周囲に流されることなく己の意思を貫いていて、とても格好良いと思います。私の人生を全て捧げてもいいと思えるぐらいには、あなたは魅力的なんです」


 ……学力と運動神経はともかく、己の意思を貫いてる云々はただ人付き合いが下手くそなだけなんだけど。


 ひょっとしたら、俺が真殿のことを過剰に恐れているのと同じように、真殿は真殿で俺のことを過大評価しているのかもしれないな。


「俺はそんな立派な男じゃないよ」

「何を言っても無駄です。私はもう、時谷君にどっぷりなんですから、多少変わった言動を取ったところで嫌いになんてなってあげませんよ」


 数学の授業中に寝たのも、その後公開説教を食らったのも、告白直前に昼寝したのも、牛見にお姫様抱っこで誘拐されたのも、全部減点にはならず、幻滅もしないというわけか。


 何をしても嫌われないというのなら、一体どうやって彼女のストーキングから逃れればいいんだろう。牛見とのデートの件もあるし、リセット現象が解決した後も問題は山積みだ。


「ちなみに、時谷君は私のことをどう思ってますか?」

「スペック高いのに性癖が歪んでるストーカー」

「好きか嫌いかで言うと?」

「……どちらかと言えば嫌い寄りじゃないか? ストーカーだし……」

「そうですか……残念です。ですが、私の秘密を全て知れば、完全に嫌いになってしまうことは間違いないでしょう」

「……そんなにヤバイものなのか」

「実際に見てもらえればわかると思います」


 真殿は席を立ち、寝室へと向かう。俺はその後に続いた。


「この中に……あるんだよな?」

「はい。さっきは見落としてしまったみたいなので、今回はよく見てくださいね」


 そんなにヤバいものがあるなら真っ先に目につくと思うんだけどな。目立たない位置に置かれてるのか、小さいものなのか、いずれにせよ目につかなかったってことは何か理由があるんだろうけど。


「まあ……見ればわかるか」


 汗の滲む手のひらで、ドアノブを握る。自分の写真が狂気的にペタペタ貼られた部屋にまた入らなくてはならないというのも嫌だが、ヤバい物があるとわかり切っている部屋に入らなくてはならないのも嫌だ。


 どちらにせよ、今の俺の気分は最悪だ。なるべく早く終わらせたい。そしてこのリセット現象から解放されたい。


 悩んでいると決意が鈍りそうだったので、俺は思い切ってドアを押し開けた。


 そこに広がっているのは、大量の写真。さっき見た光景となんら変わらない。改めて見ても、最低限の家具と写真以外には何もない部屋だ。


 これといって、異常なものもないし……いや、大量の写真はどう考えても異常ではあるが、いかにも呪いの媒体になりそうなヤバイものはない。


「……? なんだよ、やっぱり写真しかないんじゃ────」


 部屋の中に三歩ほど踏み込んだところで、一枚の写真が目に留まる。その一枚だけは、他の写真と違う。写っているのは俺ではなく、また隠し撮りでもない。


 ごく普通の写真だ。中心に笑顔の少女がいて、元気にピースサインを掲げている。そんな微笑ましい一枚。


 だが、俺は確信した。これこそが真殿の言っていた秘密であり、呪いの媒体になっているものだと。


「なんで、これがここに……⁉」


 そこに写っていたのは、まだ生きていた頃の三ツ瀬マキ。黒い額縁に入れて飾られた、彼女の遺影だった。

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