第33話 お兄ちゃんは本当に駄目なところだらけだね

 今は澪と買い物の最中。あまり長話をしていると怒られそうだ。他にも聞いておきたいことはあったが、必要最低限の情報は入手できたので良しとしよう。


「じゃ、デートの約束、忘れないでね」


 別れ際、牛見は楽し気に手を振りながらそう言ってきた。


 全く気が進まないが、そういう取引をしてしまったのだから仕方ない。充分な安全対策と、逃走経路を確保した上で臨むとしよう。


「────悪い、ちょっと知り合いに会って……」


 澪はレジの手前で俺が来るのを待っていた。手にしている買い物カゴの中には、少ない予算の中で最大限豪勢な晩餐を振舞おうと奮闘した痕跡が見える。


「ん、お兄ちゃん。お菓子は良かったの?」

「え? お菓子?」

「ほら、あの子の好物だとかなんとか言ってたじゃん」

「あ、ああ……」


 自分で言っておいてすっかり忘れていた。あんなものはもちろん、その場で適当に言った作り話だ。マキがお菓子好きかどうかなんて知らないし、そもそも今の彼女は何も食べられない。


「ごめん、やっぱいいや。ご飯前にお菓子なんてよくないしな」

「そう? お兄ちゃんがいいって言うならいいんだけど」


 結局、澪が選んだ食材のみを購入して店を出た。俺は澪を長時間待たせた挙句、一切買い物に協力していない。このままでは兄としての面目が立たない。


「荷物、持つよ」


 せめてこれぐらいはしておかないと、買い物に付き添った意味がない。それにさりげなくこういうことができてこそモテ男だ。


「いんや、別にいいよ。重くもないし」


 そう言って澪は、俺とは反対側の手に買い物袋を持ち換えてしまった。


「そう遠慮せず……」

「お兄ちゃんに遠慮するわけないでしょ。お兄ちゃんはどうせ袋傾けたり、落としたりするんだから、信用ならないって言ってんの」

「そんなことは……」


 と言いかけて、過去に何度か前科があるのを思い出した。そうだ。それで澪と一緒に買い物に行く機会があまりなくなったんだったな。


「それにしても、お兄ちゃんに長話できるような知り合いがいたんだねぇ」

「そりゃそれぐらいは……いるだろ」

「友達と遊んでるところなんて見たことないし、お兄ちゃんのクラスメイトなんて一人しか知らないし、あたしの中では学校で孤立してる疑惑があって心配なんだよ」

「余計なお世話だ! 俺だってなぁ……休み時間は友達とご飯食べたり、クラスメイトの家に遊びに行ったりもしてるんだぞ⁉」


 これは嘘ではない。ただ、その友達とかクラスメイトというのが、ストーカーであったり変態であったりするだけだ。


「うーん、お兄ちゃんは見栄を張りがちだからなぁ。嘘は吐かないにしても、肝心なところを誤魔化してたりはしがちだよね」


 よくわかってるじゃないか……我が妹よ。本当にお前は、俺のことなんか何でもお見通しなんだな……。


 そんなに何でもわかるというのなら、鋭い直感を持っているというのなら、ここはひとつ、澪にアドバイスを貰うというのも手なのかもしれない。


「なあ、澪。聞きたいことがあるんだけど」

「何? 真剣な話? スーパーの帰りにしてもいいような話?」

「真剣な話だけど、そんなにかしこまって話すようなことでもない。率直な意見が聞きたいだけだから」


 足を止めて、こっちを向こうとしていた澪を手で制す。このまま帰り道を歩きながら、軽い気持ちで聞いてくれればいい。

 こんなもの、目的を果たすために会わなくちゃならない相手がいるけど、どうにも踏ん切りがつかない、情けない男の愚痴みたいなものなのだから。


「例えば、お前に憧れの人がいたとする」

「うん」

「その人は何をやらせても完璧で、実力が高くて、人気も高い。まさしく理想を体現したような人だ。でも、その人には裏の顔があって、誰にも言えないようなヤバイことをしてる」

「ヤバいことって?」

「……それはもう……元々あった人気が全部崩れるくらいのヤバいことだよ」


 澪は真殿と関わりがない。けれど、あのことを正直に伝えるのは憚られる。俺が感じたあの衝撃を、澪と共有したくはない。


「それでも、その人と距離を取るってわけにもいかなくてさ。向き合わなくちゃいけないってなったら、お前ならどうする?」

「……よくわからないけど、お兄ちゃんがそこそこ面倒なことに巻き込まれてるらしいってことはよくわかったよ」


 まあ、澪でなくともバレバレだよな。どれだけぼかしても、こんな例え話をしている時点で何かあったことは明白だ。これは友達の友達の話で~とか、往生際の悪い言い訳をするつもりもない。


「えっと、あたしの考えを言えばいいの? そんなしっかりしたものじゃないけど」

「いいよ。気楽に答えてもらえれば」

「……じゃあ、そうだね。あたしの場合は……だけど、憧れの人が裏で何かヤバいことをしてたとしたら、ガッカリするよね。こういう人だったのかぁ……って。でもそれは見る目ない自分が悪いんだし、その人の表の部分に憧れてた気持ちは変わらないからさ。駄目なところは駄目だけど、良いところには変わらず憧れるよ」

「お前は凄いなぁ……俺はそんなに割り切れないよ」


 完璧な存在でも一度ヒビが入ってしまえば、印象は大きく変わってしまう。人間には良いところもあれば悪いところもあるなんて、そう簡単には割り切れない。


「そもそも完璧な人なんていないしね。あたしの憧れの人なんて駄目なところだらけだよ。そっちに着目しちゃったら、憧れなんてあっという間に消えちゃうぐらい」

「え、それって例え話じゃなく? お前に憧れの人なんているのか?」

「そりゃいるでしょ。何? あたしが誰かに憧れてたら嫌なの?」

「う……うーん……」


 嫌、というか、何と言うか……なんだか兄として、顔も知らない誰かに負けたような気分になるというか……。


「とにかくさ、憧れなんてそんなもんなんだって。裏の顔を知るとガッカリしちゃうかもしれないけど、逆に言えば憧れの人にも弱点はあるんだって証明になるわけでしょ? 無敵で、完璧な超人だと思ってた人に、意外な一面があったら、落胆もするけど、案外近い位置にいるんだなって思えるんじゃない?」

「近い位置?」

「そう、ある意味憧れの人に近づけるよ。努力もしてないのに、理想に近づけるんだからむしろ得? 裏の顔なんてあればあるほどいいかもしれない」


 それはまた極端な……というか怠惰な発想だな。だが一理ある。


 真殿は完璧超人で、敵に回すと一番厄介というのは牛見も言っていた通り。だが彼女にも裏の顔があった。それはショッキングなことではあったが、同時に完璧神話に傷をつけるものでもある。


 いうほど彼女は無敵じゃない。そもそも、テストの順位なら俺の方が上なんだ。あいつのイメージに引っ張られ過ぎて、過剰に怯えているだけで、俺とあいつにそこまでの差があるわけじゃない。


「……よし、ちょっと勇気が出てきた」

「そう? それなら良かった」


 俺みたいな情けない男の決意なんて、あっという間に揺らぐ。行動を起こすならその気になった瞬間にしなくては。


「悪い、澪。ちょっと行くところができた」

「え、晩ご飯は?」

「すぐに戻ってくるから、先に食べといてくれ」

「……あたしにあの子と二人でご飯を食べてろと?」


 初対面で共通の話題もなさそうな二人に一対一で食事をさせるのはちょっと酷かもしれない。

 だが、これから魔王の城に乗り込もうとしている俺の方が大変なんだ。そこはこう上手い事やってくれ。


「どうしても外せない用事なんだ」

「仕方ないなぁ……まったく、お兄ちゃんは本当に駄目なところだらけだね」

「必ず埋め合わせするから!」


 行動を起こす勇気をもらったんだ。何かお礼は考えておかないとな。リセット現象を解決できた暁には、澪の願いを一つ聞いてやることにしよう。

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