第15話 無限ループ

 牛見つみれは美少女である。どれぐらい美少女かと言えば、街頭アンケートで百人に聞けば、百人が美少女だと答えるくらいの美少女だ。

 もし美少女ではないと答える人間がいたとすれば、それは彼女の容姿に嫉妬しているだけだ。あるいは彼女の内面を知っているか。


 もちろん俺は美少女ではないと答える。美とは決して外見だけで決まるものではないからだ。

 少なくとも、同級生を授業中にいきなり拉致し、薬を嗅がせて眠らせた挙句、自宅まで運び込むような女のことを、美しいと形容したくはない。


「目が覚めた?」


 瞼を持ち上げれば、そこには巫女服姿の牛見がいる。ただし俺は床に転がっているので、かなりのローアングルだ。


「覚めたよ……残念ながら」


 色々とヤバい状況だが、眠りから目が覚めてしまったということは、今この瞬間がセーブポイントになってしまったということだ。

 今後リセット現象を引き起こしたとしても、窮地を脱するどころか、窮地に戻って来ることになる。早いところここを脱出して、ぐっすり眠ってセーブポイントを更新したいところだが……。


「まず、説明してもらっていいかな。なんで俺、こんなことになってんの?」

「そうだね。わからないままじゃ、可哀想だもんね」


 そう言って牛見は、意地悪くクスクスと笑う。


 床には畳が敷かれ、四方は襖で囲われている。出ようと思えば出られそうなので監禁されているというわけではないらしい。

 雰囲気的には、巨大な和風屋敷の一角なのだろうという感じだ。服装から推察するに、神社かそれに関係する施設かな。


「私、結婚相手を探してるんだよね」

「……この歳でもう婚活か? 気が早すぎるような……」

「家の決まりで結婚相手は霊感のある人じゃないと駄目なんだけど、そんな人そうそう見つからないからさ。早すぎるってことはないんだよ。幼稚園の頃からずっと、周りの男子のことはチェックしてた」

「へ、へぇ……」

「だから十年以上も、条件の合う人を探してるってわけ。それがようやく見つかったんだよ。今の私の気持ちが君にわかる?」


 顔を火照らせ、とろんとした表情で、だらしなく舌を出し呼吸を荒くする牛見。その姿はまるで、ご馳走を前にして自制心が崩壊しかかっている犬だ。


「え、えっと、ほら、そういうのは時代錯誤なんじゃない? まだお前は高校生なんだし、好きな人と好きなように恋愛したらいいんじゃないかな?」

「好きにしていいの?」

「ああ、もちろん」


 俺が首を縦に振ると、牛見はノータイムで俺の着ているシャツのボタンに手をかけ始めた。


「あ! 違う! そういうことじゃなくて! ちょっとタイム‼」


 危ない危ない。危うくここで素っ裸にされるところだった。一応まだ理性は残っているようで、彼女は俺が「待て」と言ったら待ってくれた。


「……今、好きにしていいって言ったのに」

「いや、だからね? 霊感がどうとか、家の教えがどうとか、そういうことに縛られずに、自由に恋愛したらいいんじゃないかって言ってんだよ」

「そう聞いたよ?」

「……うん。だから、俺のことに拘らなくてもいいんじゃないかな……?」

「なんで? 君は私の運命の人だよ?」


 曇りなき眼でまっすぐ見つめられ、俺は言葉を失う。顔だけは可愛いので一瞬血迷いそうになるが、こいつは正真正銘の変態地雷女だ。絶対ヤバイ。

 こいつに手を出すなんて、底なし沼でスキューバダイビングするようなものだ。何もしなくてもずぶずぶ沈んでいくぞ。


「お前、前はそんな気全くないって言ってなかったか?」


 あの時の発言はリセットされていない。だから今、目の前にいる牛見は、その発言を覚えているはずだ。


「それは君が私の告白を先読みしたからでしょ? あの時は本当に驚いたよ。私の気持ち、上手く隠してたつもりだったんだけど。運命の相手には隠し事なんてできないのかな」


 猫撫で声でロマンチックなこと言いやがってこいつ、本当にあの牛見つみれか⁉


 纏っている雰囲気からしてもはや別人だぞ。それこそ、悪霊が憑りついたんじゃないのか。

 本気で男をオトしにきている彼女は、掛け値なしに魔性だ。彼女の危険性をよく知る俺ですら、心の底から揺らいでしまっている。


 駄目だ! 気をしっかり持て! こいつは絶対ヤバイ! 絶対ヤバイって‼


「だから驚きすぎて、とっさに誤魔化しちゃったんだよ。告白するつもりなんて全くないってね。本当は今すぐ君の全身を舐めまわしたいぐらいだったんだけど」

「ひぇっ……ちょ、舌出しながら近づいてくるな! ばっちいな!」

「運命の相手だもん。唾液もばっちくないよ。むしろほら、興奮してくるでしょ?」

「しねぇよ! どんな変態だお前‼」

「こらこら、乙女に汚いとか、変態とか、そういうこと言ったら駄目じゃない? 私はこんなに君のことを愛してるんだからさ。そんな風に言われると傷つくよ?」


 牛見は傷つくどころか、俺を押し潰しそうな勢いでのしかかってくる。


「お前……おかしいぞ! いつもと様子が違いすぎるってか……なんで急にそんな風になってんだよ!」

「いつもと違う? そりゃそうだよ。だっていつも我慢してたんだから」


 ペロリと舌なめずりをして、彼女は続ける。


「ずっと霊感のある男を探していて、ある日君を見つけた。ほんのりと漂う同類の臭いに、私はピンときたんだよ。だから席が隣になるよう細工して、間近で毎日観察できるようにした。そうしている間に、私は君が好きになっちゃったんだ。もう霊感とか関係なく、男としてね」


 この流れは……まさか、そうなのか? そうなるのか?


「君に霊感があろうとなかろうと、君をモノにするつもりではいたよ。だから君への告白と、君に霊感があるのを確かめることは、順序がどっちでも良かった。けど、確認のための儀式も、告白も失敗しちゃってさ。どうしようかなぁ……って思ってたら君が自分から白状してくれたんだ。幽霊を見たってさ」


 最悪のタイミング。最悪のシチュエーション。それら最悪のループ。


「これでもう、我慢する必要はないよね? 君は私のものだ。私だけのものだ。絶対に誰にも渡さない。だから私と付き合ってよ。時谷渉君」


 闇に深く沈んだ目に捉えられながら、ねばねばとへばりつくような重たい告白を受けた俺は────


「────目が覚めた?」


 瞼を持ち上げれば、そこには巫女服姿の牛見がいる。


「……マジかよ」


 どうやら俺は、決して抜け出すことのできない、歪んだ愛の無限ループに放り込まれてしまったようだ。

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