ルーク①
渡したいものがあるから取りに来い、という内容のメールをポーンからもらったのは昨日のことだ。それがなんなのかについては、彼は何も教えてくれなかった。
職人外のはずれに作業場を構える彼は、オートマタを扱うエンジニアだ。俺の昔からの友人で、もう知り合って十年になる。
今年でもう十九になる俺は、それなりに順風満帆な生活を送っていた。だけれど、そういう生活というのは刺激に乏しいものだ。だから、彼からその話を聞いたときはとびついた。
昼下がり、到着して間もない俺に向かって、脈絡なく彼はそう言った。
「奇妙なオートマタが落ちていた」
「どういうことだ?」
当然のように、俺はそう聞き返した。
「上手くは言えないんだ。ただ……そう、俺がこのまえここへ来たら、そこに置いてあった」
ポーンが指さした先は、廃品の山。金属部品やら作業に使う機械やらが乱雑に並ぶこの作業場で、唯一のゴミ溜めだ。
「ないじゃないか」
「移動させた。色々調べるためにな」
「それで?」
「動く。人型の機械だ。俺は使わねぇし、処分するのにも金が掛かるからな、お前にやろうと思った」
「起動してみたのか?」
「ああ……もちろん」
彼は、じっと俺の目を見て言った。
「そうか……わかったよ。家事でもさせれば楽になるだろ。普通は高いもんだからな、受け取るよ。むしろありがたい」
「そうか、助かるよ」
顔をほころばせた友人と、俺は一度握手をした。綺麗にして後から家に届けるというので、俺はそのまま家に帰ることにした。
「あ、そうだ。帰る前に見せてくれよ。どんなのか知っておきたい」
「え? ああ、そうだな。ああ、そうだ。見るのは大切だもんな。いいぜ、こいよ」
俺は彼の後に続いて別室に入った。狭い部屋だ。
収納家具が一つと、ソファが置いてある。彼女は、その部屋の床に横たわっていた。黒いショートカットで、体に密着した黒と白の、露出の多い格好をしている。
開いたスカート、白いソックス。上の服の中には黒い、体のラインがしっかりとわかる……なにか。その上に若干メイド服にも似た衣装を見に纏っている。
「人間みたいだな」
俺がそう漏らすと、隣の友人もそれに同意した。
「ああ、俺もここまで精巧なオートマタは見たことがない」
顔も可愛かった。クールな印象だ。鼻筋が通っていて、顎のラインがシャープで、割と好みな顔つきをしていた。
「ああ、これならいいな。嬉しいよ。こんなのがもらえるなんて」
「そうか、喜んでもらえるのは嬉しいよ」
俺が家に着いてからしばらく経って、インターホンが鳴った。彼女はそうして、我が家に来た。
俺は一人暮らしで、繁華街から少し離れたところに住んでいる。そこまで高さが高くないアパートの二階だ。値段もまた、かなり安いほうだ。住みやすいし、まわりも静かで気に入っている。
俺はリビングの床に彼女を置いて、そこで動きを止めた。
「どうやって起動するんだ……コレ」
基本的に、俺の知っているオートマタは、背中側の首にスイッチがあるか、他にリモコンがあるかする。だが、このオートマタにはそのどちらもない。まさかポーンが渡し忘れたのかと一瞬疑うが、確認する前に色々試してみることにした。
まずは頬に触れてみる。反応がない。それからお腹を押してみるけれど、はやり何も起きなかった。
「起動せよ」
そう呟いてみても、結果は同じ。少し虚しくなっただけだ。
「なあなあ起きろよ~」
そう言って彼女の肩を激しく揺さぶる俺。すると予想外なことに、彼女の目がゆっくりと開いた。
「え……ウソだろ……?」
「ん……え? あの、だれ?」
半目で、不思議そうに彼女は俺にそう尋ねた。その様子があまりにも人間味に溢れていて、自然だったから、俺は素のまま答えてしまったのだ。
「お、俺はルーク・スティーブンだ。その……お前をもらっ……た? え、まてまて、お前今喋ったよな?」
「ええ、そりゃあ喋りますよ。アンドロイドですもの」
「は……?」
理解が出来なかった。機械が喋った? ありえない。そんなことあるはずがないのだ。たしかに現在の技術では、人型のオートマタを作ることができる。だが彼らも言葉を発することはできず、命令された業務を黙々と行うだけ。オートマタ――そしてまた、俺は止まった。
「あんどろいど?」
「ええ、アンドロイドです」
「オートマタじゃなくて?」
「なんですかそれ?」
寝転んだまま俺と視線を合わせて、そのあんどろいどは首をかしげた。
「オートマタ、は、その、人型の機械だよ」
「へぇ……じゃあ似てますね。でも私はアンドロイドです」
「わ、わかった。お前はアンドロイドな」
「ええ、人型の機械を私はアンドロイドと呼びますから。あ、そうだ、私の名前はイヴといいます。よろしく」
「あ、ああ……よろしく」
俺はそのオートマ……もといアンドロイドと握手をした。寝たままではしにくかったので彼女を起こし、座った状態でした。
しかし、流ちょうに喋る機械だ。こんなふうに喋るなんて信じられないし、そもそも言葉を発することのできる機械自体を俺は知らないのだ。無機物が言葉を発する……いや、だとしたら本当に機械なのか?
「なあ、お前さ」
立ち上がって、部屋のあれこれの配置を覚えているイヴに向かって、俺は問いかけた。
「なんですか?」
「実は人間なんじゃないの?」
すると、彼女はくすりと笑う。
「違いますよ?」
なにをそんな当たり前のことを訊いているのか、というように。
「だけど、お前の――」
「イヴです」
「ああ、わかった。イヴ、な。その、イヴの肌の質感も、表情も、今みたいなところも、全部人間みたいじゃないか。喋るし。とても機械だとは思えないんだ」
しばらく、彼女は考え込むそぶりを見せた。やはりそれも人間味に溢れていて、俺の疑念は更に深まっていく。だから俺は彼女が答えるまで黙っていようと思った。下手に喋って話題をすり替えられては困るし、プレッシャーを与えることは必要だ。
そして、ついにイヴが口を開いた。
「眼球、舐める……?」
「はあぁッ!?」
待て、こいつは何を言っているんだ。ダメだ落ち着け。違う、きっと勘違いだ聞き間違いだそんなまともな人生だったらきっと一度も聞かないようなセリフ……うんそうだ有り得ない。
「だから、がん――」
「待て待て待て待て、それ以上言うなぁッ? 俺が頭おかしくなるだろぉおい!」
「だって……確かめたいって……」
「おう、そうだな。たしかに確かめたいぞ。直接そうとは言っていないがよくぞ察してくれた。だが思いついた方法がそれか?」
こくり、自信満々といった様子でイヴが頷いた。
「Oh……」
「お~?」
「ああ、いや、なんでもない。うん。その、なんだ……」
「…………」
「俺さ、まだ、そういう、な。メタな性癖に目覚めるのは早いと思うんだ」
すると、目の前のアンドロイド(少女である可能性・中)は少しだけ目を見開いた。その後で、不思議そうに首をかしげる。やはり、人間のように見える。
「ルークは、眼球舐めると勃つの……?」
「そんなことないよ!? たとえだからね? 俺そんなんで興奮しないからね!?」
「そっか……安心した」
俯くイヴ。
「なんで少し残念そうなの!?」
「気のせいだよ」
「違うよね、違うよね」
「気のせい」
「…………あっ、触れば良いんじゃね」
バッとイヴが胸を庇うように自分の体を抱きしめた。
「胸じゃねぇよ! 目だよ目! 何も舐めなくてもいいだろ?」
「あっ……なるほど」
「ハァ……ハァ……」
バッ。
イヴが再度胸を押さえる。
「興奮してるわけじゃねぇから! 疲れてるんだから!」
「あっ……なるほど」
俺は一度深く息を吐き、自らを落ち着けようと努める。だめだ、調子が狂っている。
「とりあえず、触るぞ。いいんだな?」
「もちろん」
座った状態で、俺の方を向いてぱっちり目を開けるイヴ。肝が据わっているというよりは、なんとも思っていない感じに、妙に説得力があった。整った――整いすぎた見た目が、少し人間ではないのではという感じを与えてくる。美人で人間らしいが、それ故に人間ではないような気がする。
俺は、ゆっくりと手を伸ばした。手をぎゅっと握り、人差し指だけをピンと伸ばしている。力が入っているのが自分でもわかる。目の寸前で止めた。イヴの瞳はピクリとも動かない。俺の心臓がバクバクと音を上げていた。興奮からではない。もちろん、緊張や不安、やったことがないことへの心配と、相手が人間だったら(人間でないと決まったわけではないが)絶対することはないだろうことを行うことへの、一抹の罪悪感。というか、凄い罪悪感によってだ。
そのまま、指を前へ動かす。指の腹が、イヴの眼球へ当たった。不思議な感触があった。水分の感触はなく、指が濡れた様子もない。鏡をもう少し柔らかくして、なめらかに滑りやすくした感じだ。粘度はないけれど、ヌルヌル動く、という感じだろうか。
「すげぇ……」
「信じてくれた?」
「あ……ああ」
「よかった」
「ああ」
「いつまで触ってるの」
「あ、ごめん」
慌てて指を放した。指にはまだ、何かの感触が残っているような気がした。
「ホントに……機械なんだな……」
「だから、そうだって言った」
「信じなくてごめん」
「いいよ。ルーク私の好みだから、許す」
「は?」
胸が浮くような感覚がした。だけれど、それは機械が言ったことだと思い直す。一瞬でも嬉しくなったことが幾分恥ずかしくて、俺はイヴから目を反らす。
「てか、機械に好みとかあるのかよ」
「もちろん。最新式のAI装備だもん」
「えーあい?」
「知らない?」
聞いたことがなかった。彼女はそのえーあいを、人間の脳を再現したものだと説明した。それ以上の説明は不要だと、俺は伝えた。どうせ教えられても、俺にはわからないだろうから。
そうして、俺はイヴとの生活を始めた。
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