第9話 狙撃カルトの導師見習い

 “君は人殺しが出来るか?”

 その問いに対し、私もかつてはイエスと答えた。正確には答えられると思っていた。

 もうずいぶんと前にはなるが、私も狙撃手だった。10代の終わりに警察学校を卒業してから、3年経った直後に特殊部隊員選考に応募した。動機は単純な冒険心と功名心だった。

 ネイビーブルーの戦闘服に身を包んで、ヘルメットとフェイスマスクで顔を隠した戦士。サブマシンガンを携え、室内に突入して凶悪犯を制圧するその姿は、まだ若い私にとっては強烈な憧れの対象となった。純粋に格好良いと思っていた。

 選考と2週間の選抜訓練を通じて15倍の倍率を通り抜けた私は、ライフル射撃の点数から狙撃訓練コースを勧められた。バッティングラムとフラッシュバンを使って室内に突入するチームにも憧れは残っていたが、同時に“スナイパー”の響きも甘美だった。

 人質の頭に銃を突き付けていたり、爆弾のスイッチに手をかけていたりする連中。そいつらの脳幹を一撃で撃ち抜いて、指一つ痙攣させることなくあの世へと送り込んで事件を解決する。

 大して迷うこともなく、私は狙撃訓練コースへの参加を選択し、2か月にわたって軍の射撃訓練場で遠距離の目標へと正確にライフル弾を撃ち込む練習を続けた。云わば、狙撃カルトの導師見習いといった具合だった。

 そうやって600m先から確実にダミーの頭部に風穴を開けられるようになった段階で、私は晴れてスナイパーとなった。


 最初に出動したのは、嫁に浮気をされた哀れな男が、拳銃を持ち出した奴の事件だった。使い込まれた貯金で買われた車の中でいちゃついていた浮気嫁と間男のところに乗り込んで、そのまま車の中で立てこもり事件に発展してしまった。

 裏切られて爆発してしまったとはいえ、元は生真面目で誠実だった男は、説得に応じて人質――浮気嫁と間男を早めに解放したが、拳銃は持ったままで車に閉じこもり続けた。逮捕するにも保護するにも、狼狽して自暴自棄になっている状況では危なすぎる。近づいてくる相手ではなく、自分の頭に弾を撃ち込みかねなかった。

 立てこもりの段階で出動して狙撃位置についていた私は、その男が不倫二人組を解放してからもずっとスコープ越しに見続けていた。そうして彼が自分の頭に銃を向けた時、私はライフルを撃った。

 撃ち抜いたのは彼の頭ではなく、持っていたリボルバーのシリンダーだった。弾薬が収まっている部分をピンポイントで吹き飛ばせば、一瞬で銃は役立たずになる。着弾の衝撃で暴発する心配もない。

 60mの距離から車のガラス越しに、縦横3cm程度のサイズしかないシリンダーに一発で命中させるのは緊張があったが、無事にやり遂げることができた。

 初出動した警官が行った初の狙撃にしては良くやったといえるだろう。


 その後は、幾度か出動する機会があったものの、発砲することは全くなかった。かのアメリカでも、警察の特殊部隊が発砲する機会は年2桁に収まっているので、そういうものなのだ。

 狙撃手となってから2年が経った時に節目が訪れた。銃を持った男がショッピングモールで銃を乱射し、2人を殺して8人を負傷させた。警官が駆け付けた時点で3人を人質に取り、さらに発砲して人質の一人に重傷を負わせた。

 交渉担当役が呼びかけるが、ヤクをかなりキメているらしく、返答が支離滅裂で会話が成り立たない。いつ残りの人質を殺すかわからず、負傷した人質を放っておけば死ぬ危険性が高い。射殺命令が出るまでに30分もかからなかった。

 それは、まさに私が夢想していた瞬間だった。凶悪犯の頭を撃ち抜いて人質を救う。その時の距離は90m。天気は曇りで無風。銃はドイツ製の優秀なスコープを搭載した、高精度なボルトアクション式のライフル。装填しているのは競技用級マッチグレードの7.62mm弾。経験豊富な観測手の巡査長。私の腕ならば、絶対に外しようのない条件だった。


 狙うのは相手の顔の正面。鼻梁を貫いて、脳の中心付近にある脳幹を破壊する。指を動かす信号は外に出ることはなく、脳の中に閉じ込められたままになる。

 何ら問題はない狙撃だった。だが、できなかった。失敗したのではない。引き金を引けなかったのだ。犯人の顔を正面から見た瞬間、引き金にかかった私の指はそれ以上後ろに下がらなくなった。あと数mmの距離を前にして、私の人差し指は硬直した。

 スコープ越しに見た相手の顔は、一目見てクソ野郎だとわかる面だった。ヤクをやっているせいで目が吊り上がり、そのくせ口はひん曲がって下劣な笑いを浮かべている。そいつは楽しんでいた。人質の頭に銃を突きつけ、指一つでその命を奪える状況に酔いきっていた。

 指一つで命を奪える状況にいたのは私も同じだった。奴は知らないだけだが、私があと数mmほど人差し指を動かすだけで、発射された弾丸は超音速で鼻を貫いて頭蓋骨の中に飛び込み、脳をシュレッダーにかけたような有様にして後頭部から飛び出しただろう。

 事態は急を要していた。犯人はすでに2人殺し、人質は3人いる。奴にとっては、生殺与奪を握って楽しむおもちゃが3つあることを示していた。そのうち1つぐらい消費しても構わないと思うだろう。人質の命は、奴と私のどちらの方が引き金を引くのが早いかにかかっていた。


 だが、私は撃てなかった。本部からの指令を受けた観測手が、私に発射の命令を下してから5秒経過した時点でも、最後の数mmを踏み出すことが出来なかった。

 私が撃とうとしているのは、無辜の人々を傷つけ、殺そうとしているクソ野郎だった。だが、人間の姿をしていた。それで私は撃てなくなった。

 その時のことは今でもよく憶えていて、時々夢にも見る。射撃命令が出てから10秒経ち、異常に気付いた観測手の質問に、私は「撃てない」と答えた。嘘偽りなかった。この時のために訓練を積んできたのに、私は撃てなかった。

 その一言ですべてを察した観測手は、即座に双眼鏡を置いて、予備のライフルを構えて発砲した。直前まで距離や風向きを観測していた巡査長の照準はほぼ完璧だった。観測手は狙撃手よりも狙撃の経験が長い人員が担当する。

 彼の放った一撃は正確にクソ野郎の顔のど真ん中に命中し、予想していた通りの死をもたらした。彼の前職が陸軍で、実戦への参加経験があるのが救いだった。

 だが、誤算があった。彼が発砲したのは、私が指令を受けてから15秒後だった。

 その間に犯人の脳みそは引き金を引く決断を下し、弾丸が頭に飛び込んだ瞬間に、奴の銃から弾が飛び出てしまっていた。

 不幸中の幸いだったが、着弾の衝撃が犯人の腕を上にずらし、人質は頭頂の皮膚と骨を削られるだけで済んだ。結果だけ見れば、警察の精鋭特殊部隊が狙撃によって犯人を射殺。負傷者が出るも人質は全員無事、となった。

 ただ、実態がそうでないことは、私と観測手だけが知っている。

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