第10話 お狐さまからの注文

 一体、引っ越しの話をどうやって伝えればいいのだろう。お狐さまはどんな反応をするだろうかと考えると、ちょっと怖い。


脇坂教授は僕に、まずおやしろにお参りして、お狐さまに引っ越しの理由と移転先を伝えるようにと言った。


正確な住所を伝えなくてはいけないということで、番地まできっちり書かれたメモを渡される。メモを見ると、移転先の神社はかなり都心にある。ビジネス街と下町が混在している賑やかな場所だ。お狐さまは気に入るだろうか。


うららかな昼下がり、お狐さまの社にお参りして、教授に言われたとおりの内容をお狐さまに伝えた。お社の前でぶつぶつ言っている僕を、通りかかった学生がうさんくさそうに眺めていた意外、特に何事も起こらなかった。


 問題は、その日の夜だった。寝ていた僕は頭への強力な圧迫で目を覚ました。

お狐さまだ。やっぱり来た。お狐さまにとっては寝耳に水の立ち退き話だから、きっと何かアクションがあると心の準備はしていたのだ。していたのだが、想像以上に荒っぽい。っていうか、痛い。何か棒のようなものがほっぺたに突き立てられている。


「引っ越せって、どういうことなの」


痛みの原因はすぐに分かった。お狐さまは仁王立ちになって、横を向いて寝ている僕の頭を片足で踏みつけていたのだ。棒のようなものだと思ったのは、ハイヒールのかかとだった。

 

お狐さまが怒るのはもっともなのだが、僕にすれば完全なとばっちりだ。なんで僕がこんな目に……。ハイヒールのかかとが頬に食い込む。


「昼間も伝えたとおり、今の学長が言い出したらしいです」


僕はお狐さまに踏みつけられたまま、答える。


「それは昼間聞いたわ。学長が何で私に移転しろって言うの」

「大学に関係のないお社が学内にあるのは合理的ではないそうです」

「関係ないですって?」


テーブルのある方向でパリーンとガラスの割れる音がした。置きっぱなしにしていたコップが、お狐さまの怒りで割れたらしい。僕はお狐さまの激しさにおののく。


たしかに、あの一帯の守り神を大学と関係ないなどと言うのはもってのほかで、お狐さまが怒るのも無理はない。学長が不見識なのだ。でもお狐さま、ぼくに八つ当たりするのは勘弁してください。


「学長の名前は何ていったかしら」

「岡部です。岡部一郎」

「覚えておくわ」


僕は学長の身が心配になる。だからお狐さまを怒らせてはいけないというのに。


「でも脇坂先生が頑張って、大学が費用を負担して新しい社を建てることを承諾させました」


僕を踏みつけるハイヒールの圧力が少し減った。


「社を新しくするの?」

「そうです」


脇坂教授は、自分の生家の神社で受け入れる代わりに、社を新築する費用を大学側が出せと交渉したのだ。神も仏も信じない学長とかなり激しくやり合ったらしい。

お狐さまの声色が少しやわらいだ。


「だったら、考えなくもないわ」


「引っ越し先は賑やかな場所だから、きっとお参りに来る人も今より増えると思います」

なんとかお狐さまの怒りを鎮めなければと、必死で 宥める。

お狐さまは、やっと僕の頭から足をおろしてくれた。


「私に引っ越せというのなら、社は必ず南向きに建ててちょうだい。それから、なるべく日当たりがいいところがいいわ。社の脇にはシャクナゲを植えて。これが最低条件よ」


僕は忘れないように、必死で頭の中で反復する。

「 分かりました。先生に伝えます」


「それから今までどおり、毎月1日と15日にはお参りにいらっしゃい」

「ええ? 宮司さんがいるから、きちんとお祀りしてくれますよ」

郊外の僕のアパートから神社まで電車を乗り継いで小1時間はかかる。


「できないっていうの?」

お狐さまの切れ長の目がつり上がる。

「わ、分かりました。これまでと同じようにお参りします」

「分かればいいわ」


お狐さまの姿は消えた。案の定の激しい怒りっぷりに、今さらながら震える。が、とにもかくにも引っ越しを了承してくれたことにほっとした。本当に、お狐さまが怒るのも無理はない勝手な移転話ではあるのだ。


僕も毎月2回のお参りノルマからは依然として解放されないが、お狐さまの怒りを鎮めるためなら仕方ない。


明日、早速お狐さまの要望を教授に伝えよう。あれこれ考えているうちに、僕は再び眠りに落ちた。



 教授によると、お狐さまの移転オペレーションはこうだ。

①先生の神社でおまつりしている神様に了解を得る。

②引っ越し当日、お狐さまに移転の旨を伝えて(既に僕から伝えたが神職が改めて伝える)神職がお狐さまの本体を持って移転先に運ぶ。

③移転後、新しい社にお狐さまの本体を納め引っ越しの終了を報告する。

というものだった。


「お狐さまを運ぶ当日は、君も儀式に参加してほしいんだ」


僕は承諾した。儀式は、教授のお兄さんが執り行うという。


「日どりが決まったら、なるべく早く知らせるから」


研究室を辞して、廊下の窓から狐さまのお社を眺める。お社の屋根にイチョウの葉がはらはらと舞い落ち、赤い鳥居とのコントラストがきれいだった。




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