第11話 クリスマスイブ

 「ねえねえ、森野君。すごく聞きにくいんだけど、クリスマスイブの予定ってどんな感じ?」


バイト先でクリスマスツリーの飾りつけをしている僕に、桜沢さんが声をかけてきた。まだ夕方までは時間があるので客は少なく、レジはガラガラだ。


サービスカウンターの横に飾るクリスマスツリーは店の規模の割には大きいので、上のほうの飾りつけには骨が折れる。踏み台に乗って、てっぺんの星をつけようとしていた僕は、不意打ちの質問にバランスを崩しかけた。


 この時期のこの質問、なかなか心をえぐるものがある。

「昼間はちょっと予定があるんだけど、夕方からは特に何も」

平静を装って答える。


 昼間の予定というのは、お狐さまの引っ越しなのだった。年内に移転して、初詣でたくさんの人に参拝してもらったほうがいいだろうというのが脇坂教授の考えだった。年の瀬が近づくにつれて、神社も新年の準備で忙しくなる。宮司の都合と日柄のよい日を選んだら、クリスマスイブになったらしい。


「悪いねえ、森野君。若い人にとっては楽しい日だろうに」

脇坂教授は、申し訳なさそうに言ったものだった。

「いえ、全然大丈夫です」

クリスマスイブでも、本当に何ら支障がないのが悲しい。


「なんで? 桜沢さんはデートとかしないの」


「ないない。だから大学の仲間とかで、おひとりさまパーティーをやろうって言ってるんだけど、人数少ないと余計に寂しいじゃん。だから森野君とか、熊谷君もどうかなって」


「考えとく。熊谷は行くって?」


「LINEは送ったけど、返事はまだ」


レジにお客が来たので、桜沢さんはいらっしゃいませ、とにこやかに応対した。

美緒ちゃんは来ないよなあ。聞くまでもないことだけど、ぽっかりと胸に空洞が広がる。


 お狐さまの引っ越しの日がやってきた。木枯らしの吹く寒々とした曇天で、冬休みの構内は人もまばらだ。おやしろの前には僕と脇坂教授、大学の総務課の職員1名が、宮司の到着を待っている。


お社の前には木製の台が据えられ、お酒、お米、塩、油揚げと人参や大根などの野菜を盛った皿が用意されている。脇坂教授と僕が朝から準備したものだ。


やがて、裏門から黒いワゴン車が入ってきた。脇坂教授のお兄さんである宮司らしき人が運転していて、既に装束を着ている。


車から降り立った宮司は脇坂教授とよく似た長身の老紳士だった。烏帽子をかぶってから、履いていたスニーカーを儀式用の浅沓あさぐつに履き替えている。


「すまないね、遅くなって。早速始めよう」


 宮司はお供えものの台の前に立ち、深々と一礼した後、祝詞を上げ始めた。後ろには脇坂教授と僕、総務課の職員が頭を垂れて控える。


北風が枯れ葉を舞い上げ、宮司の装束の袖が翻った。冷たい風が首筋をなでていく。宮司から正式に、お狐さまに移転する旨を伝えているのだろうか。


祝詞を上げ終わり、宮司は車の中から木箱を運んできた。マスクと白い手袋をはめ、お社の扉を開く。僕はお社の中を見たことがなかったけれど、お狐さまのご本尊は、古びた直径20センチぐらいの石だった。宮司は石を白い布でくるみ、陶器のお狐さまも同様にタオルで包んでから、丁寧に木箱に納める。


「君、この箱を運んでくれるかい」


宮司が僕に声をかけた。僕は木の箱を持ち、ワゴン車の後部座席に脇坂教授と一緒に乗り込む。


「じゃ、あとの片づけをよろしく」


教授が総務課の職員に告げ、ワゴン車は宮司の運転でお狐さまの引っ越し先に向かって走り出した。街は年末のあわただしさとクリスマスの華やかさで賑わっている。僕はお狐さまを入れた木箱を抱えて、ぼんやりと雑踏を眺めていた。お狐さま、引っ越し先はかなり賑やかそうですよ、と心の中で語りかける。


 目的地の神社に着いた。デパートなどが建ち並ぶ都心の一等地からほど近く、広くはないけれどこざっぱりと手入れの行き届いた神社だ。お狐さまは気に入ってくれるだろうか。


「あのあたりが、新しいお社の場所だよ」と脇坂教授が敷地の一角を示した。本殿の脇に、1.5メートル四方の更地がある。四隅に青竹が建てられ、しめ縄が張り巡らしてあった。


「工事は年が明けてからになるから、完成までお狐さまには本殿で仮住まいしてもらうことになるね」

宮司が言った。


 宮司が本殿の奥に木箱を運びこんだ後、再び神前で祝詞を上げ始めた。

最後に柏手が響き、宮司が神前で深々とお辞儀をして、儀式は終わった。本殿の外の木立をざーっと一陣の風が吹き渡る音が聞こえる。


「お疲れ様。とりあえずは、これで一段落だ」


宮司が言った。社務所でお茶とお菓子を御馳走になり、帰ろうとすると、脇坂教授が僕を呼び止めて白い封筒を手渡した。


「少ないけど、今回の謝礼だよ」


僕は礼を言って受け取り、玉砂利の上を歩き始めた。鳥居の外に出るときに本殿を振り返り「お狐さま、今日はゆっくり休んでください」と心の中で挨拶する。新しいお社ができるまで窮屈な仮住まいだけれど、どうか我慢してくれますように。


 せっかく都心に出てきたので、どこか寄り道して帰ろうかと思ったが、そろそろ移動しないと桜沢さん家でのおひとりさまパーティーに間に合わなくなってしまう。僕は地下鉄駅の下りエスカレーターに乗った。

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