第32話 あられ

五月八日 独軍無条件降伏。欧州戦終了。

五月十四日 B29名古屋空襲。 名古屋城炎上。

五月二十五日 B29東京大空襲。皇居炎上。十六万戸焼失。

六月六日 最高戦争指導会議、本土決戦断行の方針を決定。

六月二十日 沖縄の日本軍陸上部隊、最後の攻勢を展開 。二十三日全滅。

六月二十二日 天皇、最高戦争指導会議構成員に終戦の意思を表示。


 何年かの後、健三は昭和二十年のこれらの出来事を、ようやく正確に把握したのだという。本当に正しい情報だったのかどうかは、彼は寿命を全うするまで信用してはいなかったが、少なくとも昭和二十年当時よりも、情報統制はまともになっていたであろう。

 あの頃は軍発信の情報どころか、新聞にすら真実が書いてあるとは思えなくなっていた。実際に自分が見た現実と、その後の報道や公的な発表に、明らかな食い違いがあると実感する機会が増えたためだ。


 昭和二十年五月頭。克輝が出征して程ない頃。

 村から最も近い大きな町であるE市に、米軍が幾つかの爆弾を落としていった。戦車の車軸を作っていた工場を狙ったのだろうと騒がれた。近隣の農地で畑作業をしていた初老の男性が一人、爆風で身体を持ち上げられ、地面に強く叩きつけられた。即死だったのだろうか。男性の家族が遺体を抱き上げた時、肋骨ががさがさになっていたと語った。

 その日、健三は隣県の方角から飛んでくる戦闘機を目にしていた。機数を数え、飛び去っていった方角まで日記に書き残したが、それは新聞の発表とは異なるものだった。それどころか、内臓破裂で亡くなった男性の存在は、なかったことにされていたのだ。


 八月に入ると、今度は村の北に位置する同県の都市N市を、夜間空襲が襲った。Y山の向こうが赤く染まっている。その光景を、月子も母と見たのだった。


「雨が降ってきたと、思ったの」


 空襲があった数日後、N市から徒歩で逃れてきた家族が、休憩場所を求めて月子の家に立ち寄った。これから親戚の家を頼りに行くのだと言う。


「大粒だった。でもすぐに、ガソリンみたいな変な臭いに気がついた。爆弾の前に石油をまくって、本当なんだって思った」


 そう月子に話をしてくれたのは、一家の一番上の娘だった。


「熱い、熱いって、無我夢中だった。人も物も全部燃えてた。川の上でも火が燃えてた。終わった後に側にあった鞄を開けたらね、中に入れてたお米が、あられになっていたの……知ってた? 鞄の中であられって作れるんだよ」


 彼女は、笑っているのか泣きそうなのか、曖昧な表情のまま俯いた。

あられなど、もう随分食べていない。月子は鞄の中で弾ける米粒を、想像していたのだった。

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