第31話 お守り

 東京の空襲の直後、次いで十二日には名古屋、十四日に大阪、十七に神戸を大空襲が襲った。同日、硫黄島で日本軍が玉砕。四月に入ると沖縄に米軍が上陸を開始した。


「やっぱりだめか」

 

 端午の節句が近づいていたが、今年は融雪が遅れていた。ようやく暖かい日が増えてきたと感じる春の日、月子と克輝はあぜ道を並んで歩いていた。

 克輝が小さなため息と共に、笑みを浮かべて月子の方を向いた。


「去年徴兵されるってなった時は、大怪我してたけど。今はもう、どこも悪いところないもんな」

「本当にもう、ダメそうなところないの? やっぱり骨がくっついてませんでしたとか、変な風に歪んでくっついてしまいましたとか。言い訳できることないの?」

「お前なあ」


 はははと、大笑いする克輝の顔は朗らかだ。しかし、月子は一緒になって笑う気にはならなかった。


 昨年十月。兵役法の施行規則が改正され、徴兵開始年齢が満十七歳に引き下げられた。克輝の元には、年明け前に召集令状が届いたが、その時彼は腰の骨を折る大怪我をしていたのだった。降雪前の家屋の雪囲い作業中に、梯子の上から落ちたのだ。長男に続いて次男まで兵隊に取られてしまうことを懸念していた克輝の両親が、徴兵を免れたことに密かに胸をなでおろしていたことを、月子は知っていた。


 しかし代掻きが始まるころに、二度目の招集がなされた。既に怪我は全快している。


「腰が痛いんじゃ、兵隊なんて務まらないでしょう。本当じゃなくても、そう言ってしまえばいいのに」

「……ばか。そういうこと絶対に他所で口にするなよ? いくら変人の月子だからって、見逃してもらえないんだからな」


 声をひそめて、克輝は月子を咎めた。


「かっちゃんは、戦争に行きたいの?」


 直にその日が来てしまうだろう。

克輝がW村を発つ日は、もう決まっていた。


 ふと上を仰ぎ見ると、ちょうど真上を鳶が旋回していた。少し視線を下げると、Y山がそこにある。山頂の薬師堂が近くに見えるので、午後は雨かもしれない。昔からずっと変わらない、月子たちが見て来た風景だった。


「かっちゃん」


 投げた問に、返ってくる言葉はなかった。再び視線を戻した月子の目が映したのは、穏やかな表情の幼馴染だった。瞳の中には諦めの感情が浮かんでいる――――少なくとも月子は、そう受け取った。


「もうあんまり、おかしなこと人前で言うんじゃないぞ。晴ちゃんも嫁に行っちゃうし、俺もいなくなるんだから。かばってやれない」


 心配そうな声だった。克輝はこんな風に、弱々しく喋る男の子ではなかったはずだ。月子は俯いた。ここ数ヶ月、いや、数年の間に、色々なことが変わってしまったように思う。


「大丈夫だよ。ちゃんと分かってるから」

「本当かよ」

「自分の心配しなよ」

「あのさ月子、お前は龍のことを」

「絶対に死なないでね、かっちゃん」


 月子は首から下げた細い紐を手繰り寄せ、服の中から小さな巾着袋を引っ張り出した。

 その中から摘みだしたのは、一片の黄金色の鱗だった。


「手を出して」


 月子は克輝の左手を開かせると、その上に輝く鱗をそっと乗せた。


「あげないからね。触るだけだよ」


 ふふ、と笑って、月子は続けた。


「あげられないから……今触って」

「これ、龍の鱗だろ」

「綺麗でしょう。何もしなくても光るけど、お日様の下で見るのが一番綺麗なんだよ」

「血がついてるじゃないか」

「お守り。ご利益ありそうでしょう? これできっと、かっちゃんは元気に帰ってくる」

「どういう理屈だよ」

「理屈なんて必要ないんだよ」


 克輝の手のひらから鱗を拾い上げると、月子はそれを青空に翳した。

うっすらと透き通る黄金色の向こうに、春の淡い空色が見えた。


「月子」

 

 天を仰ぎ見る月子の横顔に、克輝は声をかけた。名前を呼んでも、彼女の視線がこちらに戻ってくることはなかったが、それでいいと、克輝は思った。


「元気でな」

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