第25話 橋の上

 雪を踏みしめる音は、確かにいつもより小さいようだった。最後に積もってから冬の冷たい風にさらされ続けているので、すっかり固まっているのだろう。


 月が出ているとはいえ、雲量が多いので度々辺りは暗闇に落ちた。二人は夜に出歩く時、灯りを持たない。今夜も例外ではなかった。

 しかし前を歩く龍の足取りに迷いはない。


『夜目が効くんだ。真っ暗でも、全部見える』


 数年前、龍はそんなことを月子に話した。


『布団に潜り込んでいる時も、真っ暗なあぜ道を歩く時も。色までちゃんと見えるんだよ』

『だから龍と歩く時は、田んぼに落ちないんだね』


 初めて夜目について聞いた時、月子は納得しかしなかったのだが、そんな彼女の反応に龍は嬉しそうだった。


『怖いと思わないの?』

『便利でいいじゃない。暗闇の中の色って、どんな風に見えるの? 私も龍みたいに、夜目がきけばいいのにな』


 そう答えた月子の手を、龍はぎゅっと強く握ったのだった――――ちょうど、今と同じように。


「ねえ、もしかしてここから入るつもり?」


 足を止めたのが橋の上だったので、月子は呆れ声を出した。


「桟橋は雪ですっかり埋まってるよ」

「まさか飛び降りるの?」

「そんなに高くない」

「龍」


 身につけているものをどんどん脱ぎ捨てていく龍の姿を、月が照らし出していた。


――赤い


 咄嗟に感じた色は、紅花のような明るいものだった。暗くて色彩はよく分からないが、真っ白な景色の中に、その色彩は鮮血のように見えた気がした。


「死んじゃうよ」

「平気」


 しっかり着込んだ月子は、それでも寒さを誤魔化すことはできなかった。歩みを止めた身体は、凍てつく空気を感じて無意識に震える。


「寒くない」

「嘘」

「本当だよ」


 龍は嘘はついていない。月子には分かった。一糸まとわぬ姿で欄干に腰をおろしているのに、涼しい顔で微笑んでいる。露わになった鱗はどれも、朱や橙の熱をはらんだ色をしているのだろう。


「それに水の中はね、水底に近づけば近づく程、雪の上より冷たくないんだ。冬の海は慈悲深い。一年の中で一番優しいんじゃないかな」


 龍の声は、どんな音よりも月子の耳に素直に届く。仮に彼が嘘を言ったとしても、月子が龍の声だと認識した途端に、それは真実となるのだ。

 月子は分かっていた。

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