第24話 二月の夜

 泳ぎたいと龍が言い出したのは、二月の凍てつくような夜だった。


「今夜? これから? 死んじゃうよ」


 流石の月子もビックリして、首を振った。


 暦の上では既に春だが、雪の気配が消えるのはもっと先である。そして昭和二十年の今年は豪雪だった。海に近いこの辺りは冬の海風によって雪が飛ばされてしまうので、いつもだったら山沿いの集落よりも積雪は少ない。しかし今季は、月子の腰がすっぽり隠れるほどの雪が、早いうちから積もっていた。


「昨日から雪は止んでる。今だったら歩きやすいでしょ」


 龍の指は、既にの紐を結び始めていた。


「本気なの?」


 冬の間、月子と龍が夜分に逢う時には、離れの空き部屋で過ごしてきた。二人でぴったりくっつきながら掛け布団の中に潜り込むと、十分に暖を取れた。頭だけ出して話をするのだ。とりとめのない話題から、昔の思い出話まで。どちらかが眠くなるまで。


 今夜もそんな風に過ごすものと思っていた月子は、完全に意表を突かれてしまっていた。


「月ちゃんも行こう」


 龍は、もう一組のかんじきを月子に差し出した。

思わず受け取ってしまったそれを、月子は困ったように眺めた。


「雪を踏むと、音がしちゃうよ」

「結構固くなってるから平気だよ」


 今夜は月が出ていた。

冬の間、この地域で雲の少ない空を見ることは珍しい。昼間も夜も時間を問わずに分厚い雲で覆われ、雪が降らない間も常にどんよりとしているのだ。


「行こうよ」


 月明かりの元で見る灰青色は、月子の理性を狂わせた。薄暗いので正確な色の判別などつかないはずなのに、龍の二つの瞳だけは、確かな色彩だった。


「分かった」


 灰色の中に浮かぶ青は、鮮やかで美しい。月子がそんなことを考えている間に、彼女の指はきっちりとかんじきの紐を結び終えていたのだった。

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