第7話 嬉しいです!

「町田先輩。俺、今日定時で上がるんで戸締りお願いします」


「な、何だよ。分かったよ……」


 昼休み開けに食い気味で言うと、先輩はしぶしぶ了承してくれた。


 早く帰って来て欲しい……か。そんなこと言われるのは何年ぶりだろう? いや、今までそんなこと言われたことあっただろうか?


 脳裏にさっきのマキネの顔が浮かぶ。触手を動かして俺を見送る顔。


 あの色……前より濃い色だったな。


 早く帰れるよう頑張ってみよう。約束したし。



 午後からの仕事は物凄く捗った。早く帰りたいから仕事を振られる度に今日やらなければいけない仕事と来週でもいい仕事を降り分けていく。その度に仕事を振って来た上司達に仕上がり納期を伝え、定時で帰られるよう外堀を埋めていく。



 ……。



 そして、定時5分前。17時25分。



 もうすぐ、もうすぐ帰れるぞマキネ。



 作っていた書類の追い込みをかける。完成してチェックし、それをすぐに部長へ提出した。



 よし。今日の仕事終わり。



 思わず心の中でガッツポーズをしてしまう。


 時計を見ると17時29分。勤続7年目……初めて定時で上がれるぞ!


 いそいそと机の整理を始めたその時、事務の高島たかしまさんから声をかけられた。


「ごめん檜木君。新規問い合わせの電話が来てるんだけど対応してくれない?」


 う、嘘だろ……なんで週末のこの時間に新規の電話なんか……。


 新規の問い合わせだと先方の要望を聞いて商品提案して、見積もりにサンプルの出荷手配に……あぁ、絶対時間かかるぞ……。


「あ、高島さん。それ俺が対応するから電話繋いで」


 声の方を見ると、町田先輩だった。


「せ、先輩……いいんですか?」


「まぁな。お前今日ソワソワしてるからなんかあんだろ? 」 


 先輩がニヤリと笑う。


 ん? 「帰ってやれ」ってなんだ?


 まぁいいや。ありがたいことに変わりは無いし。


「ありがとうございます」


 先輩に礼を言って急いで事務所を後にした。



◇◇◇


 まだ明るいうちに帰るなんて初めてだ。夕陽を見ていると何とも言えない感動が湧いてくる。


 まだ人通りも多い。ふと1人の女性が目に入る。ひらひらしたツバの帽子を目深に被って紙マスクをしている。日焼け対策か? 顔が全然見えないけど、人の中に溶け込んでいる。



 あ。



 そうだ。週末は色々と買い物行かなきゃ行けないし、マキネにも選んで欲しい。今のままだと外には出られないから、あの目元が隠れる帽子とマスクをしていたらマキネも外に出られるかも。


 駅の方へ寄り道し、慣れない服屋に入る。店員さんに、欲しい帽子と目元を隠したいと説明すると、UVカット用だという帽子をいくつか提案してくれた。


 その中からさっきの女性が被っていたのと同じバケットハットという帽子と、キャスケット帽、それと念の為サングラスを買った。今はマキネはパーカーしか持って無いからキャスケット帽の方がいいかもしれない。


 レジで支払いを終えると、若い女の子がこちらをジロジロ見ていることに気付き、急に恥ずかしくなった。


 若い女の子メインの店に俺みたいなヤツが1人いると違和感がすごいな。早く帰れることにすっかり舞い上がっていた。



◇◇◇


「ただいま」


 扉を開けると、マキネは正座してパソコンに向かっていた。



 俺に気付いたのか、彼女の触手が2本ピンと立ち上がる。その光もピンク色の光をビカビカ強く発光させた。



[お、おかえりなさい! 早かったですね!]


 マキネの触手がすごい勢いでパタパタ揺れる。何だか昼間の時より感情豊かになっている気がする。


「何とか早く帰れるようにしたんだ。それとこれ。喜んでくれるといいけど」


 持っていた紙袋を渡す。紙袋を受け取った彼女は白い光を出しながら、不思議そうに俺の顔を見た。


[これは?]


「帽子とサングラスだよ。目元を隠してマスクをすれば昼間でも外に出られるかと思って……」


[私のことを考えてくれたのですか?]


「いや、はは……なんていうか、ほら、週末だし、一緒に買い物行かなきゃ行けないしさ」



 マキネに似合うかと思って。



 気の利いた理由なんて無限に湧いて来るのに、急に気恥ずかしくなって一番無難なことを伝えてしまった。


[嬉しいです! ありがとうユータ……]


 マキネの光が黄色く光る。その髪がピコピコ動く。


 マキネは表情が分からないのに、まだ一日しか一緒にいないのに、喜ぶ姿を見ると胸が暖かい気持ちでいっぱいになる。


 なんでこんな気持ちになるんだろう。

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