2章 友人を亡くした少女

第5話

 峰田の件が終わった翌朝、俺は小鳥の声で目が覚めた。はだけた作務衣のせいで腹が痛い。狐の姿で眠ってしまえば布団などいらないが、予想以上に人間の暮らしが心地よいのだ。少し我慢してやろう。

「尾崎、起きて」

 梯子の下から彼岸の声が聞こえた。昨日、余命が回復した彼岸の声は艶と張りがある。雑草をむしれとか掃除をしろとかその類のことだろう。あぁ、弥勒亭へのお使いとかだったらいいな。

「起きてるよ」

「お客さんよ」

 こんなに朝早く? 

「お邪魔します」

 その声は若く……いや、子供に近い声だった。屋根裏部屋から覗いてみれば少女が二人、こちらを見上げていた。年は15くらいだろうか。女学生のようでお揃いの格好をしていて、二人とも悲しげな顔をしていた。そうか、ここへやってくるということは何らかの「死」に触れた人間だということだ。

 死に触れた人間……。そんなふうに思っていたら俺は少女のうちの一人の足がすぅっと半透明に透けていることに気がついた。透けている少女はより虚げで、よくみれば細い首筋に真っ赤な縄の跡がついていた。

 一人は幽霊……? しかも、あれは縊死した人間の死体につく跡だ。森の中で何度も見たことがある。

「じゃ、二人とも上がって。尾崎、オレンジジュースを」

「お姉さん、さよちゃんが見えるの?」

「えぇ、お姉さんにもお兄さんにもさよちゃんは見えているわ。さよちゃん、あなたも上がって」

 彼岸が幽霊の方の少女に声をかけると、幽霊の少女・さよは無表情のまま頷いた。俺は呆気に取られていたが、彼岸に再度声をかけられて屋根裏部屋から転げ落ちるように降りた。


 依頼主の少女の名前は陽村葵ひむらあおいといった。髪の短く活発な印象の葵は大きな瞳いっぱいに涙を溜めていた。こういう子はいつの時代も男に人気が高い。絵吉の嫁さんによく似ている。

「お友達のお名前は?」

 葵は幽霊の少女がいる方をみて、ぐすんと鼻を啜ると

「この子は堀沢さよ。私の幼馴染で……殺されたんです」

 力の低い幽霊は話すことができない。昨日、峰田と一緒に来ていたらしい真奈美のように霊力や思いが強いと姿を隠したり話したりすることができるが……どうやら、この少女・堀沢さよは話すことはできないらしい。

 さよはぼぅっと悲しそうな顔で目の前のオレンジジュースを眺めているだけだった。

「ありがとう。私は小曳彼岸こひきひがん、彼は尾崎おざき。これからあなたたちの死への想いを受け取ります」

「よろしくお願いします」

 葵がペコリと頭を下げると、同じようにさよも頭を下げた。さよは無表情のまま隣に座っている葵の手にそっと手を重ねる。葵はそれをぐっと握るように手に力を入れた。二人の手首には藍色の紐飾りがお揃いで巻かれている。

「じゃあ、さっそく。葵さん、話せるところから話してもらえるかしら」


「さよ、話してもいい?」

 葵の質問にさよはこくりと頷いた。二人の少女はしばし見つめあって、それから葵が俺たちの方に向き直ると静かに深呼吸をしてから話し出した。



 陽村葵と堀沢さよは幼い頃から同じ学校に通う幼馴染だった。明るい葵と静かなさよはいつも一緒だった。お互いに足りない部分を補うような、そんな存在だった。

「私はスポーツ進学コース、さよは特別進学コースに進んだのがいけなかったんです」

 葵の言葉にさよが悲しそうに首を降った。まるで「葵ちゃんは悪くない」と言いたげな様子だ。

「どうして?」

 彼岸の問いに葵は

「さよは、特別進学コースのクラスメイトからいじめられていたんです。私は、テニスの国際大会のために別校舎に箱詰めで……さよのヘルプに気がつくことができなかったんです」

 話を聞けば、葵は硬式テニスの日本代表強化選手に選出されており、かなり忙しくなったそうだ。朝から晩まで練習漬けの毎日。休日は遠征、長期休暇は海外へ行くことも多かったそうだ。

 テニスの話をしている葵をさよは穏やかな表情で見つめている。

「2年生になってから、私は練習に専念するために寮生活になって、スマホも使えなくなって……さよと会えるのはお昼休みくらいでした」

 葵によれば二人は待ち合わせする場所を決めて、必ず一緒に昼飯を食べていたそうだ。

「私、さよがいじめられていることに全然気が付けなくて……その」

 無理をしないで、と言いたげにさよが葵に寄り添った。葵は涙がこぼれないように目をゴシゴシと擦り、しゃくり上げる。

「あの日、いつもの時間にさよがこなかったんです」


 ぐっと引っ張られる感触と共に俺は葵の記憶に入り込んだ。葵とさよと同じ格好をした女子生徒がたくさんいる。ガヤガヤとうるさくて、ちょっと具合が悪くなるくらい甘い匂いが立ち込めている。

 最近の人間の女は顔にいろんなものを塗りたくってるからか派手だ。派手なのは嫌いではないが、化粧をするには早すぎる少女たちばかりだ。

 美術準備室と書かれた部屋の間で、弁当箱の入った包みを持って待ちぼうけしている葵は「スマホがあればぁ」と口を尖らせている。

 スマホってのは連絡がとりあえる便利な箱だ。俺だって知っているぞ。

「さよ、どうしちゃったんだろ」

 数十分、待ったあとに葵はぶらぶらと歩き出した。葵はさよが行きそうな場所を手当たり次第行ってみるがさよはいない。

「ねぇ、堀沢さよ見てない?」

「え〜、さっき美紅たちと一緒に体育館の方に行ったと思うよ?」

「ありがと、行ってみるわ」

 すれ違いざまに手に入れた情報を元に、小走りで階段を降りると葵は体育館の右方へと向かった。美紅って子はよく知らないけどうちの学年では有名な子だ。おしゃれで成績も良かったはず。引っ込み思案でおとなしいさよにもお友達ができたのね。

 体育館の扉は空いていたものの中に人はいない。

「空いてるのに何で誰もいないんだろ」

 葵の足音だけが広い体育館に響く。ピカピカに磨かれた床、空調が効いていないからか少し蒸し暑い。テニス部じゃあんまり体育館は使わないから新鮮だな。なんて思いながら声を上げる。

「さよー?」

 返事はない。ここにもいないか。スマホがないと不便だな。今日は一人で食べちゃおうかな。

 諦めて帰ろうとした時、奥にある体育倉庫で「ぎぃ」と聞き慣れない音がしたのを葵は聞き逃さなかった。

(さよのやつ、隠れてるな!)

「さよー? 私にはバレバレなんだかんねっ……!」

 葵は全速力で体育倉庫まで走り寄ると少し開いた重い鉄の扉を一気に開いた。暗い体育倉庫に光が差し込み、中の様子が視界に飛び込んでくる。


 ぎぃ……ぎぃ


 体育倉庫の床には跳び箱がバラバラになって散らばっていた。その崩れた跳び箱のちょうど上にはてるてる坊主のように体操服を頭にかぶせられたがぶら下がっていた。首に括られた縄はぐっと食い込んでいて、体操着に染みた体液で口がべろりと開いているのがわかった。

「ひぃっ……」

 弁当が転がる。腰を抜かした葵の目に飛び込んできたのは見覚えのある藍色の紐飾りだった。

「いやーっ!! さよ! さよ!」

 葵の心の中は焦り、動揺、困惑。ぐじゃぐじゃだ。何よりもさよを助けたいという思いで溢れ、てるてる坊主のようになった、さよに必死で抱きつく。

「いやだ! さよ! 死んじゃ嫌だ!」

 葵の悲痛の叫びが俺の方にもガンガンと響いてくる。胸を裂かれるようなひどい気持ちだ。

 


「そう、辛かったわね」

 彼岸は優しく葵とさよに言った。記憶から戻ってきた俺は彼岸に目配せをする。

「さよは……いじめられていたんです。殺されたんです」

 葵はバッグの中から可愛らしい猫のキャラクターが描かれた本を取り出した。その本には<日記>と書かれている。

「さよ、彼岸さんと尾崎さんに見せてもいい?」

 葵の言葉にさよは目を閉じて頷いた。その表情は辛そうで、あの記憶を見てしまった俺は居た堪れない気持ちになった。若い人間が死ぬのはいつだって悲しいものだ。俺は別に人間が好きってわけではないが、不幸になってほしいとは思わないしな。

 さよの承諾を得て、葵は日記帳を開くと声に出して読み始めた。

 最初はたわいもない可愛い女学生の日記だった。箸が転がっても可笑しい年齢の彼女はこの世の全てに興味を持ち、前向きでそれから健気だった。学校のこと、好きな俳優のこと、親友である葵のこと、家族のこと。幸せに満ち溢れていた。

 それを読みながら、葵はかすかに微笑みを浮かべながら泣いていた。まるで、さよが生きている頃を思い出しているかのようだった。


<葵ちゃんがテニスの日本代表強化選手に選ばれた。私も嬉しい。でも、葵ちゃんと一緒に登下校できなくなるのはちょっと寂しい。私も葵ちゃん以外にもお友達を作らなきゃ! 心配させたくないもんね>

 

<クラスの美紅ちゃんと仲良くなった。美紅ちゃんはクラスのリーダーみたいな存在で、ちょっと葵ちゃんに似てる。人見知りで優柔不断な私にも優しく声をかけて引っ張ってくれる優しい子。仲良くなりたいな>


 記憶の中に出てきた<美紅みく>の名前に俺は反応する。確か、葵がさよを発見した日に、さよと最後に一緒にいたのを目撃されていた人物だ。

 記憶の中で美紅についての描写がなかったのでどんな人間なのかはわからないが、さよの死に深く関わっているであろうことは容易に想像がつく。


<葵ちゃんが海外に行くことになった。葵ちゃんは本当にすごい。出発する前に会えるかな? たくさん応援しよう。最近、美紅ちゃんが同じクラスの子を無視しようって言ってくる。どうしてだろう? 無視されたら悲しいのに……葵ちゃんならなんて答えるんだろう>


<美紅ちゃんが今まで一緒にいた女の子を無視している。その子は泣いてしまった。どうしてあんなことしたんだろう? 明日、美紅ちゃんに聞いてみよう。前みたいに仲直りして、それから一緒にご飯食べて楽しく過ごせるように努力しよう。葵ちゃんならそうしてくれるよね>


「すみません、私……っ」

 葵がしゃくりあげて泣き出すと、心配そうにさよが葵に寄り添った。開きっぱなしの日記帳を彼岸が手に取ると、俺に寄越した。

 日記帳に触れた途端、俺は吸い込まれるようにさよの記憶の中に入り込んだ。



 先ほどの学舎の中、大きな部屋にいくつもの机と椅子が並んでいる。さよはその真ん中あたりで座り、一人で俯いていた。どことなく他の女学生はさよを避けているような様子で、あたりを見渡すと部屋の端っこの方でさよを見てクスクスと笑う女学生が2人。

「ねぇ、あいつ。ほんっと気色悪い。美紅に媚び売っちゃってさ」

 美紅と呼ばれた女は派手な化粧にくるくるとした巻き毛が特徴的な女で非常に気が強そうだ。キリッと釣り上がった大きな目は冷たい視線を放っている。

 さよの心はズタズタだった。寂しさに支配され、恐怖が常に付き纏っているような……美紅という女が声を出すたびに彼女は肩を震わせた。

「何かあれば、葵、葵ってさ〜。ストーカーなんじゃねぇの?」

 きゃはは。と2人は笑った。その時、大きな鐘の音がする。さよはバッグの中から何かを取り出そうと探すが、ないらしい。焦り始める。

「あれ、教科書と筆箱がない……」

 バッグの中はほとんど空っぽで、弁当箱しかない。さよの表情に焦りが見え始める。すると、部屋の端にいた美紅ともう一人がさよの方に歩いてくる。ニヤニヤした面は非常ににくったらしい。

「あら、さよ。何かお探し?」

「授業に必要な教科書と筆箱がないのかな?」

 確信犯だ。こいつらがどこかにやったのなんて目に見えていた。さよはすでに涙を浮かべて俯いてしまっていた。

「あ〜、もしかしたら旧校舎

3階のトイレで見たかも?」

「そうそう、あのきったない筆箱洗ってあげたんだっけ」

 さよがガタン! と大きな音を立ててたちがったもんだからいじめっ子2人は驚いて目を丸くする。

「葵ちゃんにもらったやつなのに……!」

 部屋を飛び出していくさよ。いじめっ子二人は「きも」「出たよ、葵ちゃん葵ちゃんってさ」と文句を言っていた。俺はさよの方を追いかける。

 さよの心は<焦り>の感情でいっぱいだ。筆箱というのがとても大事なものらしい。周りの目なんか気にせずに、さよは走っていく。女学生たちをかき分けるようにしてどんどんと進んでいく。渡り廊下を渡って一際古い木の建物に入ると埃に咽せながらさよは階段を上がった。

 3階まで階段を上がり切り、さよは便所の扉を思いっきり開けた。いくつかの個室と、それから洗面台が並んだ古い便所。さよのものはどこにもない。

「やだ……、やだよ」

 さよは個室を一つ一つ、探していく。一番手前の個室には何もないが大きな蜘蛛がいて悲鳴を上げる。二番目の個室はそもそもドアが開かなかった。最後、一番奥の個室だ。

 ぎぃ、と音を立てて開く。和式便所の中にぐじゃぐじゃに切り裂かれた布と、ひどい言葉が書き殴られビリビリになった本が撒き散らされていた。

 埃とカビと汚れでいっぱいの床に、さよはへたり混んで泣いた、便器の中に手を突っ込んで筆箱だったものをかき集めて泣いた。

「葵ちゃんにもらったものなのに……ごめんね。ごめんね」

 それからずっと、ひどいいじめの記憶がどっと俺に流れ込んでくる。便所で水をかけられたり、弁当を捨てられたり。虫を食わされたり……。到底人とは思えないような所業がさよに繰り返された。

 人間は人間にこんな非道いことができるのか。俺には衝撃だった。この前の峰田なんか比にならないくらい道徳から外れた行為だ。



「なんてひどい」

 彼岸はそういうと日記帳を閉じて葵の方へと返した。と同時に俺も記憶の中から戻ってきた。さよの方をみる。相変わらず、さよは葵の手を握って虚な表情をしていた。彼女がうけた苦痛は、俺には想像ができない。

「ひどいもんだな……人間ってのは」

 俺はこの彼岸堂で人間と話せば話すほど、こいつらが嫌いになってしまいそうだ。複雑で、醜くて、理解できない。

「でも……さよは自殺なんかしてないんです。殺されたんです」

 葵の言葉に、さよが深く頷いた。さよは、俺と彼岸を交互に眺めると何かを訴えようと口をぱくぱくと動かす。

「でも、誰も信じてくれなくて……さよはいじめを苦にした自殺だって簡単に片付けられて……違うんです。さよは、北山美紅に殺されたんです」

 俺と彼岸は顔を見合わせる。

「あなたはこの思いを流したらどうするつもりなの?」

「私は……真実を解明したら、北山美紅を殺します」

 必死で訴えてくる二人。ここは「死への思いを流す」場所であり真実を見つける場所ではないと思っているが……彼岸はどうする?


「学校へ行きましょう〜!」

「え?」

「は?」

 俺と葵が同時に声を上げる。さよも驚いた様子だ。一方で彼岸は一人、すごく楽しそうな笑顔で片腕を上げている。

「だから、学校へ行きましょう」

「行ってどうするんだよ?」

 昨日、余命が復活して一番元気な彼岸はお出かけをしたいのだろうか。やけに元気で空回りしているような……?

「さよさんの最後の気持ちを、声をその場所で聞くんです。うちの尾崎が役に立ってくれるでしょう。さよさん、あなたが一番強くいられる最期の場所で葵さんに伝えたいことがあるのでしょう?」

 さよに視線が集まる。さよはぎゅっと葵の手を握ると決意を決めたように強く頷いた。


彼岸は寝室の方へと向かうとタンスの中から俺が最初にきていたあの着心地の悪い服を引っ張り出すと俺に切るように命じた。なんでも、最近じゃ作務衣で出歩くと目立ってしまうらしい。峰田の記憶やさよの記憶で見たからなんとなくわかるが、外の世界はかなりのハイカラらしい。

 彼岸堂の仕事で行くとはいえ、俺も少し楽しみである。二人が住む街までは車で1時間ほどらしい。


「葵さん、さよさん。今夜22時に学校の……さよさんの最期の場所で待ち合わせをしましょう」

「わかりました。えっと、その後は……?」

「さよさんの思いを聞いたら、明日の朝もう一度彼岸堂に二人でいらしてね。そこで水に流す儀式をするわ」

 葵とさよは顔を見合わせると心を決めたように頷いた。

「では、またあとで」

「ありがとうございました。また、あとで」

 葵が玄関で靴を履き、足の透けているさよがそれを見守っている。さよは俺たちの方に向かって再度お辞儀をした。

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