第4話 ぼくが溶けた

 大混乱の給食時間の後、学校全体が閉鎖され、ぼくたちは下校になった。

 ぼくは第二の計画を実行にうつすべく、前を歩くケンちゃんの黒いランドセルを見つめた。

 心臓がどきどきと鳴っている。ぼくは唾を何度も飲み込んで、意を決して声をかけた。

「あの――伊藤くん」

 緊張のあまり声が震えてしまった。

 ケンちゃんはぎょっとしたように振り向くと、「なんだよ」と不機嫌そうに睨みつけてきた。ぼくみたいなのが話しかけてきて、びっくりしたのだろう。

「あ、あのさ。そこの自販機で間違ってオレンジジュースを買っちゃったんだけど、やっぱりすっぱくて苦手で……よかったら飲まない?」

 ぼくはケンちゃんにジュースの缶を差し出した。

 ケンちゃんは缶にちらっと目を馳せると、ぼくを見すえた。

「おまえ、それに猫入れただろ」

 ぼくはうたれたように立ちすくんだ。

「あの給食騒ぎ、おまえのしわざだったのかよ。見かけによらずすげえことすんなあ」

(ばれた)

 全身から冷や汗がどっと噴き出し、足元から震えがたちのぼってきた。ケンちゃんはすぐにでもぼくの犯行と告げに行くだろう。

(こうなったら、なんとかこの場でトラ丸をケンちゃんに飲ませるしかない)

 けれど、どうしたらいいのかさっぱりわからなかった。ケンちゃん相手に一対一で勝てるわけがないのだ。

 額から汗をしたたらせながら恐る恐る目を上げた。すると、ケンちゃんもこっちをじっと見つめていた。ぼくは面食らった。いつもの蔑んだようなまなざしでなく、思いつめたような真面目くさった顔だったからだ。

「その猫、わけてくれたら黙っててやってもいいぜ」

 ケンちゃんの言葉にぼくは目を見開き、怯えたようにふるふると首を横に振った。

「……そんな。だめだよ」

「じゃあ警察に言う。おまえ一生刑務所から出れねえよ。なんせ八人も猫に変えたんだからな」

 その缶ジュースをくれるのでもいいぜ、とケンちゃんは近寄ってきた。ぼくは思わず身じろぎし、缶をごとんと足元に落としてしまった。

「ばか、なにやってんだ! もったいねえ」

 ケンちゃんは飛びつくように缶を拾い上げた。中身はほとんどコンクリートにぶちまけられている。苛立ったようにぼくを睨み上げたその目は、子どもとは思えない暗い光を宿していた。

「猫、これだけじゃねえよな? まだ持ってるだろ?」

 ぼくが黙り込んでいると、ケンちゃんは「来いよ」と、くるりと背を向けて歩き出した。ぼくはその後をとぼとぼとついてゆく。

 ケンちゃんと連れ立って歩くなんて夢のようなはずなのに、まるで引っ立てられた罪人のような気持ちだった。

 ケンちゃんは通学路から外れて、人気ひとけのない路地に入っていった。

 自動販売機を見つけると、ケンちゃんは定期入れを端末にかざし、ペットボトルのお茶を買った。中身を側溝に捨てて、ぼくを見すえる。

「猫、出せよ」

 ぼくはランドセルからトラ丸の入ったペットボトルを取り出した。ケンちゃんはそれをひったくるように奪うと、オレンジ色の液体を一滴もこぼさずに移した。

「ほらよ。半分こだ」

 底一センチに減ったペットボトルをぼくに渡してきた。

(トラ丸がまた減ってしまった)

 ぼくはうつむいた。すごく悲しかった。

「……ねえ、誰に使うの」

 ケンちゃんは「兄ちゃんだよ」と吐き捨てるように言った。

 そして、ぼくに目をやった。

「それと――おまえにな」

 ぼくは地面に突き倒された。後ろ頭をコンクリートに思い切り打ちつけ、目の前が真っ白になった。その一瞬の間にケンちゃんはぼくの胸に馬乗りになり、額を地面に押し付けた。

「こうでもしなきゃ、おまえ、おれが兄ちゃんをやったって言いつけるだろ」

「言わないよ! 誰にも言わない!!」

 口に指が突っ込まれ、ペットボトルの飲み口がこじ入れられた。

 ぬるぬるとした液体が口に注ぎ込まれてゆく。

 変化はあっという間に訪れた。

(ああ、身体が溶けてゆく)

 視界の端に、ぼくのペットボトルを拾うケンちゃんの姿が映った。

 ケンちゃんは巨人のように大きかった。

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