第8話

「やめろぉぉぉぉ!」


 金毛九尾の妖狐が叫ぶ。しかし、敵にやめろと言われてやめるやつはいない。


「西尾は自らを犠牲にして玉藻を救おうと考えていた。俺はそんなことをするつもりはない」

「なんだこの記憶は……否、これは、起こったことではないな?」

「その通り。これは未来だよ。起こり得る可能性だ」

「空想……妄想ではないか。ここがお前の心象世界か」


 金倉流槍術『篝火狐鳴こうかこめい』。引籠りの『隠者』松尾鎗太郎が繰り出した技だ。自らの武器スキルでその妖術アビリティの源たる殺生石に直接干渉し、心象世界を具現化する最高位の妖術。九尾の妖狐がこの異世界を作り出すのとほとんど同じ能力である。


 体内に九つも殺生石があるから、自らの殺生石を探り当てるのには苦労した。一回分のリセットを使ってしまうくらいに。


「一回練習したとはいえ、一か八かの賭けではあった。上手くいってよかったよ」


 上手くいかなかったら、俺の身体は妖狐に乗っ取られ、一周目と同じことが起こっただろう。そうすると、望みは我が友・尾崎洛に託すことになる。だから彼が迷いなく俺を殺せるように、できるだけ鍛えて、できるだけ怒りを買って、元の世界に還したのだ。


「貴様、何がしたい……?」


 切腹をして刀が殺生石に触れたとたん、体の内側と外側が、袋をひっくり返すように裏返った感覚がした。陽炎かげろうのような鳥居を抜け、気が付いたら俺は九尾とともにここにいた。ひたすら俺の妄想が垂れ流される青い空間。


「俺だけが救われても意味がないし、自分が犠牲になって玉藻を助けるのでも、意味がない。それじゃあダメなんだ。どちらも、誰も欠けちゃいけない。俺たちはこれから、青春を謳歌するんだ!」


――同じ空間にいるだけで心地よい。まるで夫婦じゃないか、なんて考え始めると、本の内容が頭に入ってこない――


「やめろやめろ、ボクにそれを見せるな!」


 九尾の狐はその前足で胸のあたりをかきむしる。


――このまま二人で、抜け出しちゃおっか――


「やめてくれ、むずがゆくて死んでしまう」


――でも、伝わっているじゃダメなんだ。伝えなくちゃ、ダメなんだ――


「ぐあああああああああああ!」


 のたうちまわる老狐。他人の妄想を垣間見て、そんなに苦しまなくたっていいじゃないか。もはや心外である。


「何百年も生きてきて、数々の男を虜にしてきたお前には、こんな気持ちを理解はできないだろう」

「わからぬ。解せぬ……」


 人間を無暗にいたぶり、捕食する悪鬼。精気を吸い取り、死ぬまで男を利用する。恋心なんて遥か彼方の記憶であろう玉藻御前には、この世界はまぶしすぎるに違いない。だからそこに、勝機がある。


「お前はここで封印する!」


 精神世界だから、ここでの俺は腹に穴も開いていないし、両手が空いている。


「グルルルル」


 人語も忘れて、金毛妖狐はおぼろげな鳥居に向かって走る。あれが唯一の出口である。しかし唯一の出口に向かって走るであろうと予測できていれば、狙いもつけやすい。


「ふんッ」


 洛から受け継いだ(勝手にもらった)宝弓は、この世界の俺も背負っていた。素早く構え、黒き矢を放つ。


「こひゅ」


 狐の首筋を貫く。つづけて、白き矢を放つ。


「がるる」


 二本目は脇腹へ。伝説では、これで九尾の妖狐は退治され、殺生石になるはずだ。しかし俺は、ダメ押しの剣を振るう。


「せいッ」


 宝刀『狐假虎威丸』で、化け物狐の首を落とす。


「尾又玉藻、尾形虎之介……子々孫々まで呪ってくれよう」


 いにしえあやかしらしい呪詛じゅそを言い残して、九尾の狐は消えた。

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