第6話

「もし俺がしくじったら、お前が俺にトドメを刺してくれよ。尾崎洛」


 このセリフで間違いはないはずだ。


 俺は目の前で無防備に転がる尾崎洛から、仮面を剥ぎ取った。これで痛みもなくなるだろう。


 光となって消える友を見送り、俺は下野の国を目指して歩き始めた。もう百鬼夜行は必要ない。とぼとぼと、一人で歩く。できるだけ平地を選んで進んでいく。鬼怒川を越え、那須野原を目指す。


 現実世界においても、栃木県那須郡那須町に殺生石は実在した。付近一帯は硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスが絶えず噴出している。それゆえ「生き物がこれに近づけば、その命を奪う殺生石」なのである。玄翁和尚の伝説と無理やり結びつけるのであれば、この注連縄しめなわを巻かれた石は、砕かれた後の殺生石の名残りということになろう。


 2022年にその殺生石が割れたというニュースを見た。もちろん現実世界のことだから、それは雨風による風化で自然に割れてしまったのだという説明がなされる。しかし実際には、この殺生石が割れたタイミングで、尾又玉藻は妖狐に憑かれたのだ。


 見晴らしの良い高原。その一帯だけ、草木も生えない岩場。尾又玉藻はそこで待っていた。何者かの髑髏を肘置きにして、優雅にくつろいでいる。


「殺生石を九つすべて集めたのだな」


 俺のよく知っている生徒会長の、凛々しい声……ではない。何者かの雑音が混ざっている。何者かというのはもちろん、九尾の妖狐であろう。


「あんたの懐刀――西尾友莉から聞いたところによると、殺生石を集めて持って来れば、尾又玉藻を開放してくれるっていうことらしいんだが、間違いないか?」


 日が昇り、彼女を神々しく照らす。その影は九つに枝分かれし、不自然にゆらめく。


「然り。殺生石を九つその身に宿して耐えられる肉体であれば、別段この尾又玉藻という肉体でなくてもよろしい」


 一輪の花がその首をもたげるように、少女は立ち上がる。


「殺生石を一度に複数宿すことは、実は容易なことではなかったわけだ」

「そう。誰でもよいわけではない」


 俺だって、最後に洛の殺生石を奪ってから、信じられないくらい身体が重い。数百年生きてきた妖狐の魂の重みだ。九つに分けていたってその妖術は絶大なのに、それを一身に……あるいは一心に引き受けるとなると、荷が重い。


「殺生石を奪い合うこの世界のシステムは、実のところお前の依代を探す品評会でもあったわけだ」

「先ほどから思っていたが、お前はが高いな」


 瞬間、俺は膝から崩れる。意図に反して、服従の姿勢を取らされる。殺生石をすべて失っているというのに、この圧力プレッシャー


原点回帰リセットが使えるからといって、余裕ぶっているのかな?」


 殺生石の元の持ち主なのだから、九つの妖術そのすべてを把握していて然るべきだ。三回だけやり直しがきくことも、当然ご存じだろう。ただし……


「今、一つわかったことがある」

「何?」


 妖狐は今、原点回帰が「使える」と言った。


「やはり『天守・地守』を取り返さないと、九尾の妖狐ですらリセットを認識することはできないらしい」

「ほう……だったら何だ?」

「俺はもう、三回のリセットを使い切っているんだぜ?」


 一周目の世界で、俺は妖狐に身体を支配され、現実世界を侵食した。九折つづらおり中学で親友の首を容赦なく落としたことを、この体の中から見ていた。そして一周目の俺はおそらく――記憶はないわけだが――無理やり自害して強制リセットを実行したのだ。


 尾瀬茉莉のはたらきかけによって、二周目で俺は「最初の狐憑き」から「最後の狐憑き」になった。知らず知らずのうちに慈悲いつくしみ神社でセーブを行い、その後金倉堂かなくらどうで西尾友莉に殺され、二度目のリセットを使う。


「それでボクを油断させようとしているのか?」

「さぁ、どうだろう」


 ハッタリでも何でもなく、俺は本当に三回目のリセットを、ついさっき実行している。『天守・地守』のせいで生々しく覚えてしまっているが、あれはめちゃくちゃ痛かった。しかし、必要なことはわかった。すべてのリセットを使い切ってしまうだけの価値は見いだせた。


「悠久の時を生きているボクにとっては、数日、数か月、数年が巻き戻ろうと、そんなことは誤差でしかないのだよ。何度やったって、人間ごときでは運命に抗えない」


 ほら、やっぱり油断しているじゃないか。人間は失敗を繰り返すけれど、学習する生き物なんだ。


「お望み通り、お前の身体を使ってやろう」


 尾又玉藻の身体で、九尾の妖狐はかがみこみ、俺に口づけをした。


 俺のファーストキッスが……と、ショックを受けることは無い。もう体験済みだ。


 口移しで、妖狐の意識が俺の中に入ってくる。記憶の中では二回目。記憶にないものを含めれば、三回目のキスだ。


「男の身体は慣れないが、百年に一度くらいはやってみてもよいかもしれんのう」


 俺の口から、俺ではない者の声が発せられる。


 尾又玉藻の身体が眠りにつき、代わりに俺の身体が立ち上がる。そして、宝刀『狐假虎威丸』を引き抜く。立ち上がったのは俺の意思ではないが、刀を引き抜いたのは、俺の意思だ。


「何のつもりだ?」

「ハラキリショーをお見せするつもりだ」


 切っ先を、自分に向ける。


 西尾友莉なら、同じことをしただろう。彼女の目的は、最初からこれだったと思われる。自分を犠牲にして、大切な玉藻ちゃんを救う。だから彼女に殺生石を集めさせるわけにはいかなかった。カッコいいところを取られてしまっては困る。


「リセットを使い切ったというのがまことであれば、お前も死ぬことになるぞ?」

「わかってる。だから使い切ったんだ!」

「やれるものならやってみよ。人間は、生への執着をそう簡単には捨てられまい」


 身体の支配が弱まる。本当に、俺を試すつもりらしい。


「心中だ、九尾の妖狐!」


 身体の中に、九つの殺生石を感じる。さっきは時間切れでリセットが起こってしまったが、位置は掴んだ。今度は一発で貫けるはずだ。


「別の世界でまた会おう!」


 俺は自らの腹に、宝刀を突き刺した。

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