第3話

 上野こうずけの国というと、いまの群馬県である。


「上野の九宮めぐり。それは『実芰答里斯ジギタリス』が作った狐憑き強化プログラムなの」

「狐憑き強化プログラム?」


 俺と西尾は件の上野の国を歩いていた。越後から上野の国へ抜けるには、またもや山々を越えねばならない。


「わたしたち狐憑きの妖術は、狐の昔話に基づいている」

「そうらしいな。ここに来るとき、夢を見た」

「有名な昔話は、べつに夢で見なくたって、集めることができる」

「それが『実芰答里斯ジギタリス』の『知識』ってことか」


 昔話の類は口承され、やがて誰かが書き留める。蒐集する。この異世界において、狐の昔話を蒐集し書き留めるのは、生徒会書記だったというわけか。


「『実芰答里斯ジギタリス』はその昔話をもとに、九人の狐憑きモドキを組み立てた」

「組み立てた?」

「木の骨格に、土くれの肉。傀儡くぐつ人形。彼女の武器『狐ノ手袋ジギタリス』は傀儡人形に命を吹き込み操ることができる」


 利根川沿いに下っていくと、関東平野の端が見えてくる。遮るものもないので、九つの鳥居がよく見える。


「これは……」


 壱ノ宮いちのみや日輪宮にちりんぐう


 神社の境内には、バラバラにされた傀儡人形だったと思しきものが転がっている。


「壱ノ宮・日輪宮を守るは『狐憑擬傀儡九人衆きつねつきもどきくぐつくにんしゅう』が一人、尾賀多おがた――」

「カ行の多い名称だな……それで、オガタか」


 人形の残骸付近には、一本の刀が折れて放り出されている。


「これはタイガーを模して造られた絡繰からくり人形ということだな」

「そう。それぞれの宮に、一体ずつ傀儡が待ち受けている。それを順番に倒していくのが、狐憑き強化プログラム」

「やけに詳しいじゃないか」

「わたしもやったから」

「わたしも? わたしが、じゃなくて?」


 俺が気になるのはそこだった。細かいことかもしれないが、重要だ。


「わたしが九宮めぐりを終えた後、『狐憑擬傀儡九人衆』は修復されたはず。何のためか知らなかったけど、このためだったのね……」

「このため?」


 弐ノ宮にのみや月詠宮つくよみきゅう


 『狐憑擬傀儡九人衆』が一人、尾羽良おはら。これもまた、原形をとどめぬほどに破壊されている。オハラ、尾原ね。


「玉藻御前の影武者『実芰答里斯ジギタリス』……もう、正体は消去法でわかるよね」

「生徒会書記の尾原多津美だな」


 それはわかっている。『巫女』の狐憑きが飯尾と分かった時点で、残りは一人だ。


 参ノ宮さんのみや螢惑宮けいこくきゅう


 『狐憑擬傀儡九人衆』が一人、仁志尾にしお。あちこち焼け焦げた人形の傍らには、一本の刀。


「尾原は、何をたくらんでいるのか、尾形虎之介に狐憑き強化プログラムを受けさせている」

「あいつを鍛えて、いったいどうするつもりだ?」

「何らかの方法で、彼の妖術の正体に気づいたか……」


 倒しても正体を看破しても、前回のセーブ地点からやり直しになってしまうチート。玉藻御前の懐刀・西尾でも倒せないとわかったから、尾原はタイガーに殺生石を集めさせようとしている……?


 肆ノ宮しのみや辰星宮しんせいきゅう


 『狐憑擬傀儡九人衆』が一人、瀬野尾せのお。周囲の景色に一体化するようなカモフラージュ柄で、うっかり通り過ぎそうになったが、この傀儡人形もやはり壊されている。


「尾原はいったい何をしたいんだ?」

「わからない……」

「わからないといえば、俺からするとお前だって、何をしたいんだかわからないぜ」


 伍ノ宮ごのみや歳星宮さいせいきゅう


 『狐憑擬傀儡九人衆』が一人、井伊尾いいお。この神社だけ、集中豪雨を受けた後のようにぬかるんでいた。倒れた人形のそばには、真っ二つにへし折られた弓。


「そう……そうだね。わからないよね」

「『玉藻ちゃんを助けたい』と言ったあの言葉は、信じていいんだよな? だから俺たちはお前と共同戦線を組んでいるんだ」

「それは間違いない。信じて」


 陸ノ宮ろくのみや太白宮たいはくきゅう


 『狐憑擬傀儡九人衆』が一人、不死尾ふじお。神社というよりむしろ墓地のような場所。棺桶の中に、その人形はぶち込まれていた。傍らの地面には錫杖が突き刺さっている。


「…………」

「…………」


 漆ノ宮しちのみや填星宮てんせいきゅう


 『狐憑擬傀儡九人衆』が一人、真津尾まつお。入口にあたる鳥居に、自らの槍で磔にされた人形。なかなか罰当たりな光景である。


「いくら人形相手でも、なんだか乱暴な倒し方ね」

「本当にこれ、タイガーがやったのか?」


 捌ノ宮はちのみや羅睺宮らごうきゅう


 『狐憑擬傀儡九人衆』が一人、尾勢以おぜい。雪が積もった境内。氷の張った池の真ん中に、崩れた人形の残骸が小山となっている。その人形の武器だったはずの鉤縄が、池のほとりの木に引っ掛かってプラプラ揺れている。


「その『狐ノ手袋ジギタリス』とやらで、操られているっていう可能性はないか?」

「生物まで操ることができるなんて、聞いてないけど」

「言ってないのかもよ」


 玖ノ宮くのみや計都宮けいときゅう


 『狐憑擬傀儡九人衆』が一人、尾冴姫おざき。オザキというからには、俺を模して造られた人形だ。ふつうの刀よりはやや短い忍び刀を背負ったその人形は、首から上を失って立ち尽くしていた。


「俺たちが神渡島にいる間に、タイガーは強化プログラムを履修し終えてしまったということだな。それが良いことなのか悪いことなのか、現状俺にはわからんが」

「尾原の手の上ということであれば、あまり良くはないでしょうね」

「だからそれなんだよ。尾原の目的は何だ? そして、西尾。お前の目的は?」


 先ほどはぐらかされてしまった話題だ。


「九尾の妖狐は、尾又玉藻の中で眠っている。因縁の深い下野の那須野原で、散り散りになった殺生石が集うのを待っている」

「ほうほう」

「尾原多津美は殺生石をすべて献上し、妖狐復活を成し遂げようとしている。おそらく手段は問わないでしょう」

「というと?」

「殺生石という九尾の魂がすべて集まれば、尾又玉藻としての自我は完全に失われる。妖狐に支配され、身体の主導権を奪われるか、あるいは内側から喰い破られる……」

「以前に聞いた話と違う気がするんだが?」


 殺生石を集めれば、尾又玉藻は解放される。そういう契約で、西尾は殺生石を集めているのではなかったか?


「話は違わない。殺生石を集めて、別の依代よりしろを用意すれば、玉藻ちゃんは解放される……」

「お前、まさか……」


 西尾のやりたいことは、だいたいわかった。尾原が妖狐復活にあたって手段を問わないというのは、誰が依代になったってかまわない、ということだろう。西尾と尾原の目的は、一致しているようで、最初から少しずれている。



「コン」



 その時だった。


 『狐憑擬傀儡九人衆』が一人、尾冴姫。首から上を失って立ち尽くしていたその人形が、こちらに向かって倒れる。


 その向こうには、右手で狐を作った尾形虎之介が立っていた。


「久しぶりだね、お二人さん。悪いんだけど、俺に殺生石を渡してくれないか」

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