第3話
一年生のときに、たまたま同じクラスになった
「あ、わりぃ、先行っててくれ」
サッカー部の練習が終わって、いざ帰ろうという段になって、忘れ物に気が付いた。明日提出のレポートが、白紙のまま机の中に入っている。
夕日の差し込むオレンジ色の教室に、昼間と寸分たがわぬ姿勢で尾瀬茉莉は座っていた。三つ編みの長い髪。フレームの細い丸メガネ。
「何見てんの?」
何の気なしに、話しかけていた。何か言いながら入らないと気まずい。公の教室なのに、今この瞬間は、彼女の為に用意された場所のように感じたのだ。
「空を見ていた」
「なるほど、空ね」
少し待ってみても、続く言葉はなかった。
「帰らないのか?」
「三日月が隠れたら」
彼女の視線の先を追うと、たしかにそこに三日月が浮かんでいた。すでに沈んでしまった太陽の名残りで、右側面だけが橙色に輝く。
「三日月が隠れたら、帰るってことか」
「そう」
「いつもそうしているのか」
「……?」
小首をかしげられる。
「いつも、月が沈むまでここにいるのか?」
「三日月は、いつもはない」
「そりゃそうか」
たとえば満月が沈むのを待っていたら、朝になってしまう。生徒が夜通し校舎に潜んでいることはできない。
「おもしろいことを言うのね」
「おもしろいのはお前だ」
「……?」
また小首をかしげられる。マイペースというかなんというか。天体によって自らの帰宅時刻を決めるというのは、究極的にはマイペースの対局なのかもしれないが。
それからというもの、俺は窓の外を観測する尾瀬茉莉を観測するようになった。この表現は少しばかりストーカーっぽいが、気づけば視界の隅に彼女を入れるようにして、気にかけていたというのは事実だ。
周りに合わせてばかりで平々凡々な自分にうんざりしていた俺は、自分のルールで動く尾瀬茉莉や、尾又玉藻への愛で動く尾形虎之介に憧れていたのかもしれない。
……
…………
「かはっ」
いっけねぇ。走馬灯のようなものを見ていた。呼吸をしなくては。
忍び刀『
荒波に飲まれ、タイガーとは距離が開いてしまったようだ。今なら『狐假虎威丸』の影響を受けず、スキルを発動できそうだ。武器以外のものに化けられるか?
ボン。
そんな効果音とともに、俺の忍び刀は浮力のありそうな板切れに化けた。さすがに舟に化けることは質量保存の法則からして無理があったか。
「ふー」
俺は情けなくも板に抱きつき、体力消耗を防ぐべく、ただ波に身を任せていた。
「おいおいマジかよ」
集中豪雨ゾーンから抜け出し、さぁて自慢のバタ足でも披露するか。と思ったその時だった。
穏やかになりつつある波間に、いつぞや見た唐傘。バサッと開いて、びしょ濡れの女がぬッと出てきたところまでは記憶があるのだが……
「呪われてるのか?」
すでに抜け忍ではあるけれども、
「惜しいことをした、逃してしまった……」
記憶と同じように、傘がバサッと開いて、女が現れる。
「逃がしてください!」
俺は目を合わさないようにして、全力バタ足を開始。狐狸変化ビート板をたよりに、岸を目指す。
「惜しい、逃がしたくない……」
「そこをなんとか!」
真摯なお願いが通じたのか、あるいはサッカー部のバタ足がその力量を発揮したのか、女の声は遠ざかり、島の岸壁に取りつくことができた。
「ぜぇ……はぁ……」
岩のくぼみに身を横たえ、息を整える。狐狸変化は忍び刀の姿に戻す。
――ピト。
首筋にふと、冷たいしずくが落ちる。
「逃がさない……」
しずくだと思ったのは、女の痩せた白い手だった。骨に皮が貼ってあるだけのような細腕なのに、すさまじい力で俺を海へ引きずり込もうとする。
「おわぁぁああああああああああああ!」
俺は悲鳴のような雄叫び、あるいは雄叫びのような悲鳴を上げ、刀を引き抜く。
「惜しい、惜しい、惜しいィ……」
刀は蛇の目傘を貫き、女の喉元を突き刺した。そこから血の代わりに塩水が噴き出す。女の妖怪は泡となって消えた。
妖怪とはいえ、人型を殺めるのは気分の良いものではなかった。
俺は火事場の馬鹿力で岸壁をよじ登り、
『ゴーン、ゴーン』
俺は気を失うようにして眠っていたらしい。謎の鐘の音で目を覚ます。
山と山に挟まれた平野。そこに村がある。俺はそれを見下ろす高台にいた。日が暮れた村に灯がともり、しかしその灯りは村を離れ、俺から見て反対側の山を目指していく。そこに何かあるのだろうか。
そうだ。寝ている場合ではない。
二人と合流しなくては。西尾友莉はどうでもよいにしても、我が友・尾形虎之介すなわちタイガーと合流したい。
「タイガーも、この灯りを見ているかもしれないしな」
俺はそうつぶやいて、村人たちの行方を追ってみることにした。
村人たちが坑道に入っていくのを見送って、しばらくのち。俺も潜入しようかと腰を上げた時、月明かりのもとへ一人の女武者が飛び出してきた。西尾だ。泳ぐために脱ぎ捨てたのか、甲冑がない。
「犬追物で鍛えたその腕前、見せるときじゃ」
近くの馬小屋の戸が勢いよく開かれ、中から三頭の馬が解き放たれる。
「舐めるなよ」
炎刀『
「コン」
しかし、西尾を追うようにして、雨が降りすさぶ。
「ハァッ!」
振り払い、蒸発させても、雨はやまない。加熱、冷却、加熱、冷却。俺は知らず知らずのうちに、助太刀しようと急いでいた。木立を縫うようにして、戦闘の現場に近づいていく。
「がっ……」
矢が西尾の左ふくらはぎを切り裂く。女武者は膝をついてしまう。次の瞬間、右肩に矢が突き刺さっていた。三頭の馬が包囲する。
「君たち狐憑きは、この世界の住人を、モブキャラとかNPCとか言って、馬鹿にしておるだろう。取るに足らん者どもだと」
後から巫女の狐憑きが悠々と歩いてくる。雨を降らしていた張本人だ。
「
「まぁ待て。少しばかり話がしたい」
いったん戦闘は停止したようだ。今のうちに距離を詰めよう。
「そちらこそ、この島で何をしている? 御先稲荷なんて、ずいぶん偉そうな名前で自分のことを崇めさせて……」
「見ての通り、九尾の狐を封印するための軍隊を作っている」
「……なに?」
「妖狐を封印すると言っている。尾又玉藻もろともな」
「そんなこと……」
息をひそめ、耳を澄ませていると、そんな話が聞こえてくる。妖狐封印? 尾又玉藻もろとも?
「九尾のもとに殺生石が戻る前なら、それも十分可能だと、わしは考えている。だからこうして、戦力を集めている」
「軍隊……か。武力だけで、九尾の妖狐をどうにかできるとでも?」
「予習は済んでおる。伝説によれば、奴の封印には犬追物で培った騎乗スキルと、宝弓・宝刀が必要になる。弓の方は、こうしてわしが持っておる」
殺生石を奪われれば、現実世界に強制送還される。仮面を剥がれることが、ゲームオーバーの条件。そういうルールだった。妖狐復活を阻止するためには、化獣集の上忍『狼』すなわち
「刀の方は、ここで作るつもりじゃったが……」
「刀の方からやってきた、と」
タイガーの武器『狐假虎威丸』。巫女の狐憑きはうなずく。
どうやら封印の話は本当らしかった。西尾友莉もその方法を知っていた……?
しかし、封印は「尾又玉藻もろとも」ということらしい。それでは西尾が隠すのも無理はない。あの玉藻ラブなタイガーも、知ったところでうなずかないだろう。
「そんなこと、わたしにバラしちゃって大丈夫なの?」
「大丈夫も何も、君はここでリタイアだ。おとなしく奴の居場所を吐けば、考えてやらんこともないが」
「誰が言うものか」
「そうじゃろう。やはりリタイアじゃ」
俺ならどうだ?
尾又玉藻一人を、生徒会長一人を犠牲にして、妖狐復活を防ぎ、みんなで安全に元の世界に帰る。一人の犠牲で、九人の命が守られる。いくら尾又玉藻が完璧超人でも、九人の魂とは釣り合わない。
実に現実的で俺らしい選択ではないか? みんなの目を気にして、できるだけ多数が幸せになる方法を選ぶ。それが普通の考え方ではないか? はじめから知っていたらタイガーを説得していたかもしれない。
巫女の狐憑きが軽く片手をあげる。それを合図に、馬上の三名が一斉に弓矢を引き絞る。いくら『彼岸花』の狐憑きと言えども、あの至近距離で一度に三本の矢をやり過ごすことは……おそらくできない。
動くなら今しかない。どうする、俺? 尾崎洛!
西尾は尾瀬茉莉を斬り、タイガーすら一度殺めたことがある冷徹な女だ。一時協調しているが、真の仲間と言えるだろうか? 現に、妖狐封印の術があることを俺たちに黙っていた。玉藻のためなら俺たちに平気でうそをつくだろう。
いっそ西尾を見殺しにして、あの巫女の狐憑きと手を組み、タイガーも説得して、妖狐封印の旅に出かけるのはどうだろう? その方が、正義の味方的ふるまいではないか?
俺は、俺は……
「待てぃ!」
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