第4話
口の中が海水の味。鼻血を飲み込んだら、ちょうどこんな味がする。俺はどうやら海水を飲み込みすぎておぼれ、気絶していたらしい。
体感としては、二話分にわたって主人公の座を奪われていたような感覚だ。
「お目覚めかい?」
「はぁ……」
船の中。俺はどこかに運ばれているらしい。瀬戸内海でもこんなことがあったなぁ……と、懐かしんでいる場合ではない。
「せっかく命拾いしたんやから、もっと喜んだり感謝したりしいや」
「それはたしかに。どうもありがとう」
俺と会話しているのは、白い狐だった。此岸回廊で会った、美しき
「ええってことよ。ウチら同級生やん?」
「そんなこと言ってくれる狐憑き、はじめてだよ」
俺は感動していた。いや、騙されているのか? どうなんだろう。俺は今、拘束されていないし、宝刀『狐假虎威丸』も手元にある。せまい船室には、胡坐をかいた俺と、白い狐一匹のみ。扉を開けたとたん敵がわんさかいるという可能性もあるが。
「ええと、我々はどこへ向かっているんだろう?」
「
尾形虎之介、神渡島上陸ならず。これは困った。なんだかなごやかな雰囲気だし、正直に頼んでみるか……?
「あのー、俺は神渡島に用事があったんだけど」
「わかっとるよ。そうでもないと、あんなところでプカプカ浮いてないもんなぁ?」
すべてお見通しということらしい。
「今となっては、巫女の狐憑きなんてどうでもええねん。大事なのは君や。『虎』の狐憑きはん」
『
「あんたが生きとるっちゅうことは、『彼岸花』の方がやられたんか、あるいは……」
あるいは、『彼岸花』が『実芰答里斯』の計画通りに動かず、俺たちと行動を共にしているか。それが正解だが……わかっているのか、カマをかけているのか。
「『彼岸花』か……手ごわい相手だったが、『虎』と『
「ほーん。ほな、あの島で見た『彼岸花』はニセモンかなぁ」
「すいません、見栄を張りました」
虚勢を張ってみたが、見られていたのならバレバレだ。
「別に隠さんでも、ウチは『彼岸花』の単独行動なんて、なんとも思っとらへんよ。どうせあの子は、殺生石を集めるために動く。そういう兵器みたいなもんやから」
「兵器ね……」
焚火越しの、髪の濡れた西尾を思い出す。一度殺された身ではあるが、彼女はあくまで普通の女の子だ。兵器と呼ぶのは憚られる。
「ところで、巫女の狐憑きが島に籠って何しとるか、知ってる?」
「さぁ……越後の人たちが連れ去られているって話は聞いたけど」
「あくまで彼らの意思みたいやけどね」
「狐のお面を付けさせて、宗教活動かな……?」
「あの狐憑きはな、妖狐を封印するための軍隊を作っとるんや」
「封印? 軍隊?」
まったく初耳の新単語たちだ。
「まったく初耳って顔やね」
「え、うん」
「妖狐を封印すれば、殺生石を集めることなく、九人の狐憑きは無事元の世界に戻れるっちゅう寸法や」
「九人……?」
「さすがやね。この説明だけで気づいたん?」
あの日、九十九折中学で神隠しにあった九人。尾原多津美、西尾友莉、妹尾治郎、飯尾可夢偉、藤尾修吾、松尾鎗太郎、尾瀬茉莉、尾崎洛、そして俺。これで九人。
「尾又玉藻はどうなる? 元の世界に帰るなら、十人で帰るべきだ」
「封印っちゅうのは、妖狐が憑りついた尾又玉藻ごと石化させる方法のことやねん」
「それは駄目だ」
「せやろ。ウチもそう思うわ」
白狐がクツクツと笑う。
「此岸回廊であんたはんらと別れた後、ウチがどこ行ったと思う?」
「さぁ……?」
そんなこと聞かれても、知るはずがない。
「
「おもろいもん……?」
「尾瀬茉莉が――『天守・地守』の能力者が遺した日記。この世界の観測記録や」
「それは……」
たしかにおもろそう。
「たぶん、想像してるよりずっとおもろいで。なんせ、君たちの物語やからね」
「俺たち……?」
俺と……誰のことを指している? まったく身に覚えがないのだが。
「君たちははじめ、『虎』『狢』『獺』の三人組で旅をしていた」
「は……?」
『獺』……つまり尾瀬は俺たちの目の前で『彼岸花』にやられた。言葉を交わす間もなかった。三人組で旅をしていたことなどない。事実誤認だ。
「はじめっちゅうんは、一周目のことや」
「は?」
「我々がこの異世界に召喚されたんは、今回が二度目なんや」
「な、なにを言ってるんだ……?」
「あんたはもう、
「俺たちはすでに一度この異世界に召喚されていて、俺が召喚前までリセットした……?」
「そういうことやね。あれが日記やのうて妄想ノートやったら話は変わってくるけど」
「異世界体験してるのに、さらに妄想ふくらませなくてもよかろう」
「まぁ、その可能性は考慮せんでもええやろう。ウチの知識と照らし合わせても、嘘は書いてへんと思う」
この白狐はいったい何をたくらんでいるのか? 俺の妖術を知ったということは、俺を倒せないことを知ったということ。西尾と同様に、交渉の余地ありということだろうか。
「今のあんたはんは、自分の
「どういうことだ?」
「さすがにあんたの妖術だけ、優遇されすぎやと思わへん? なにかしらの制限でもないと、ゲームバランスがおかしなるわ」
「制限……?」
リセットした本人は、その記憶を保持できない。それが制限ということにならないか?
「『彼岸花』も甘ちゃんやねぇ。一回セーブさせたら、リセットできなくなるまで殺し続けてみたらええのに、それはせえへんかった」
なかなか物騒なことを言う。
「回数制限があるのか?」
「さぁて……ちょっとしゃべりすぎてもうたかなぁ」
「何をいまさら」
「情報や知識は大事やで。ここからは有料会員だけや」
「何の会だよ」
狐は船室をゆっくりと往復する。
「生徒会長を妖狐から開放しようの会や」
「それはもちろん望むところだが、解放された妖狐は何をする?」
「それもまだ言えへんなぁ」
庶民的な家庭に育った一般的中学生の俺としては、有料会員と言われるとハードルが高い。できるだけ無料の範囲でたのしみたいのだが。
「俺を会員に誘っているのか?」
「そうやけど?」
どうしてこのタイミングで? どうして俺だけ……? 本当にたまたま海に浮かんでいた俺を、釣りくらいの偶然性で引き上げたのだろうか。
「あの『狢』の狐憑きは、信用できへんよなぁ」
「そうか?」
「だって、玉藻会長に何の思い入れもなさそうやん?」
「……」
そりゃそうだ。洛は親友である俺が玉藻会長にゾッコンなのを知っているし、あいつはあいつで思い人がいる。
「妖狐に恐れをなして、巫女の狐憑きが作る軍に加担するかもしれない」
「それは……」
どうだろう。たしかにそうかもしれない。
「あんたの妖術を知るまでは、『彼岸花』に戦わせようかと思っとったけど、気が変わったんよ」
「ほう」
「生徒会長を助けられるんは、やっぱり副会長、あんただけや」
そう言われて、悪い気はしない。というか、正体ばれてる?
「コン」
白狐は狐面の女になる。ジギタリスの花模様。
「契約や、尾形虎之介。この
生徒会書記・尾原多津美。自ら正体を明かして、その狐憑きはそう言った。
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