第2話

 玉藻たまもちゃんは小学生の頃からみんなの憧れで、隣に立とうなんて大それたことは思えなかった。だからわたしは、生徒会副会長として目の前に現れた尾形虎之介おがたとらのすけという男を、どこかで嫌っていたのかもしれない。


 嫌いと言えば、そもそも男というものが嫌いだった。わたしの父は、母と私を残してどこかへ消えた。表向きは単身赴任ということになっていたが、子どもながらにどこかで欠落のようなものを感じていた。


友莉ゆうりのパパはどんな車に乗ってるの?」

「え?」

西尾にしおさんちは車ないから」

「うん……」


 何かの話の流れで、クラスメイトがそんなことを聞いた。わたしは答えられなかった。実際のところ、さっきから話に出ているベンツとかBMWとか……縁遠くて内容が頭に入っていなかった。


「父親の乗っている車と、あなた自身に何の関係があるの?」


 わたしをかばうために言ったのか、それとも純粋に本心からの疑問だったのか、そう言って会話を終わらせたのは玉藻ちゃんだった。


「キミはボクの花になれ」


 そんな玉藻ちゃんは、わたしに期待をかけてくれている。だからこの異世界に招いてくれた。わたしは玉藻ちゃんの懐刀『彼岸花ヒガンバナ』。現実世界の常識がちぎれてなくなるまで、斬り続けた。心を燃やし続けた。


……

…………


「かはっ」


 いけない。走馬灯のようなものを見ていた。呼吸をしなくては。


「ふっ」


 水中で、甲冑を脱ぎ捨てる。さすがに甲冑を着たままではおぼれてしまう。


「ぷはっ」


 再度浮上。


 この島は、もともと二つの島が砂州でつながったものだ。俯瞰するとカタカナのエの形をしている。エの凹の部分が湾となっており、波は穏やかになる。


「湾に入れたかな」


 波が比較的穏やかになるのを感じる。暗く大きな海に抱えられていると、不安を感じる。今は陸地が恋しかった。


 上陸すると、先ほどまでの嵐が噓のような晴天だった。穏やかな波が湾に打ち寄せては引いていく。二つの島に挟まれた平地には何の変哲もない集落と畑が広がっている。


「さて、どうするかな」


 岩陰に隠れて衣服が含んでしまった海水を絞る。わたしの妖術アビリティを発動すれば一瞬で蒸発させることもできるが、ここは敵地。どこで誰が見ているか知れない。


 連峰から俯瞰した際、本土から見て手前の山々に雲がかぶさり、砂州が形成する平野とその奥に拡がる山は謎に包まれていた。神とあがめられる狐憑きはこの島で何をしているのか……。


「二人を探しつつ、敵情視察かな」


 二人……といっても、尾崎洛おざきらくの方はどうでもいい。問題は尾形虎之介の方だ。


 あちらの妖術は少々やっかいである。あいつを倒してしまうと、前回のセーブポイントからやり直しになる。仮面を剥いで殺生石を集めるというルールに反した最強チート。何らかの制限がないのであれば、奴の殺生石を他者が奪うことは不可能。


 まるで殺生石集めを義務付けられたかのような妖術じゃないか……。


 玉藻ちゃんが頼りにしているのは、幼馴染のわたしのはずなのに。これはある種の嫉妬だろうか?


 集落を散策する。かつては交易で栄えたのであろう港町。村民が全員狐の仮面を身につけていることを除けば、ごく普通の島である。皆が仮面を付けているおかげで、わたしはさほど隠れなくても違和感なく潜入できるわけだが。


 山際に向かうと、農作業に勤しむ島民たちの姿が見える。


『ゴーン、ゴーン』


 日が傾いてきたころ、村の高台に設置された鐘がなる。狐面の島民たちは仕事を終え、次々と奥の山を目指す。お家に帰りましょうの合図ではなさそうだ。


 わたしは物陰に隠れて村民たちの列を追う。列は坑道へと入っていく。何かを採掘しているのだろうか。昼間は農業漁業、夜は採掘作業となると、ずいぶんなブラック企業ではないか。


「これは……」


 坑道の先は採掘場兼鍛冶場となっていた。トロッコが各種鉱石を運び、鍛冶場で武器が製造される。刀、槍、弓の矢じり。さらに奥へ進むと……


「練兵場か」


 狐面をつけた男たちが、できたての武器を振るって鍛錬している。その指揮を執っているのが、巫女の狐憑きだ。巫女が軍を指揮するというのも異様な光景である。


「よく働き、よく鍛錬せよ。そしてわしとともに世界を救うのじゃ」


 巫女の狐憑きは、若々しい声で、しかし老人のようなしゃべり方をした。正体を隠すためのキャラづくりだろうか。今となってはほとんど消去法なので意味をなさないが。


「世界を救う?」


 ずいぶん大仰な。しかしその言葉は何を意味するのか……確かめる必要がある。


「おや、今宵はホンモノの狐憑きがまぎれこんでおるようじゃ」


 瞬間、殺気を感じて身をよじる。先ほどまでわたしの頭があった場所に、一本の矢が刺さっていた。流れるような所作。弓を構え矢をつがえるそのモーションが見えなかった。


「くっ……」


 一時撤退。相手は弓の使い手。気づかれてしまったら、接近戦に持ち込めない。


「『彼岸花』の狐憑き。玉藻御前の手先か」


 さすが射手。目もずいぶんいいようだ。


「手先という言い方は気に入らないけど……だったら何?」


 坑道を駆け抜けながら、迫る声に応答する。矢の射線に入らぬよう、できるだけジグザグに道を選んでいく。


「だったら……わしらの敵じゃ」


 坑道を抜け、外へ出た。夜だが、月明かりで視界は良好。


犬追物いぬおうもので鍛えたその腕前、見せるときじゃ」


 坑道近くの馬小屋から、騎手を乗せた三頭の馬が飛び出る。犬追物とは、流鏑馬やぶさめ笠懸かさがけと並ぶ騎射鍛錬法の一つだ。


「舐めるなよ」


 炎刀『狐ノ剃刀ヒガンバナ』抜刀。この武器自体にさしたるスキルはない。あふれる火花は、わたしの妖術アビリティだ。剣技はすべて努力によって積み上げてきた。異世界のモブキャラクター、妖狐の記憶の残滓ごときに、負けるはずがない。


 闇から現れる矢を、刀で弾く。マンガかアニメのような芸当だ。刀が炎をまとうのは、わたしの妖術の一端でしかない。その本質は加熱である。自分の触れたものを加熱する。自分自身を加熱する。血管を膨張させ、一時的に血流を加速する。あまり健康的な方法ではないが、その瞬間は人外の速さを発揮できる。


「コン」


 しかし。


 わたしを追うようにして、雨が降りすさぶ。


「ハァッ!」


 振り払い、蒸発させても、雨はやまない。加熱、冷却、加熱、冷却。視界が煙る。


「がっ……」


 左ふくらはぎを切り裂かれ、思わず膝をつく。同時に、右肩をどつかれたような衝撃。そこに矢が刺さっていた。


 気づけば三頭の馬に包囲されている。万事休すか。


「君たち狐憑きは、この世界の住人を、モブキャラとかNPCとか言って、馬鹿にしておるだろう。取るに足らん者どもだと」


 後から巫女の狐憑きが悠々と歩いてくる。


「ぐっ……」


 肩の矢を無理やり引き抜き、加熱して消毒。そして傷口を無理やりふさぐ。肉を焼くにおいがした。


御先稲荷オサキドウカ様。こやつめにとどめを」

「まぁ待て。少しばかり話がしたい」


 馬上の三人は、わたしに容赦なく矢先を向けながら、御先稲荷オサキドウカ――巫女の狐憑きの為にスペースを作る。


「玉藻御前の手先が、どうして他の狐憑きと協調している?」

「あなたの知ったことではない」


 不遜な態度をとると、騎手の三人が矢をギリリと引き絞る。


「たしかにそうじゃ。わしの知ったことではない」

「そちらこそ、この島で何をしている? 御先稲荷なんて、ずいぶん偉そうな名前で自分のことを崇めさせて……」

「見ての通り、九尾の狐を封印するための軍隊を作っている」

「……なに?」

「妖狐を封印すると言っている。尾又玉藻もろともな」

「そんなこと……」


 狐憑きどうしの戦いに敗れることなく、そして殺生石を集めて九尾の妖狐を復活させることなく、元の世界に狐憑き全員が帰る方法はただ一つ。尾又玉藻を生贄にして妖狐を封印することだった。それは知っているが、わたしたち玉藻御前両手の花が最も阻止しなければならないことだった。


「九尾のもとに殺生石が戻る前なら、それも十分可能だと、わしは考えている。だからこうして、戦力を集めている」

「軍隊……か。武力だけで、九尾の妖狐をどうにかできるとでも?」

「予習は済んでおる。伝説によれば、奴の封印には犬追物で培った騎乗スキルと、宝弓・宝刀が必要になる。弓の方は、こうしてわしが持っておる」


 妖狐封印の伝説。二つの矢が脇腹と首筋を貫き、長刀がとどめを刺す。


「刀の方は、ここで作るつもりじゃったが……」

「刀の方からやってきた、と」


 尾形虎之介の宝刀『狐假虎威丸こかこいまる』。巫女の狐憑きはうなずく。


「そんなこと、わたしにバラしちゃって大丈夫なの?」

「大丈夫も何も、君はここでリタイアだ。おとなしく奴の居場所を吐けば、考えてやらんこともないが」

「誰が言うものか」

「そうじゃろう。やはりリタイアじゃ」


 巫女の狐憑きが軽く片手をあげる。それを合図に、馬上の三名が一斉に弓矢を引き絞る。この至近距離で一度に三本の矢をやり過ごすことは……おそらくできない。


「待てぃ!」


 ここまでか、と諦めかけたところで、少年の声。振り返ったそこには、噂の尾形虎之介が噂の宝刀をまんまと携えて立っていた。

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