第7話 死中求活

雨が降り、風が吹きすさび…空一面を埋め尽くす分厚い雲が地上に降り注ぐ陽光を覆い隠しているそんな頃──その雲上に2つの影があった。


1つは3人の命を乗せて進む小型飛空艇。そしてもう1つは…本来居る筈のない巨大な鳥の様な姿をした未知の生命体。


そして今飛空艇は、その未知の生命体に追われる形で雲上を駆け抜けていた──。




「どうするニ…?! ってか何するのが正解ニ…?!」


「んな事知るかよ…! とりあえずオマエ等はここで少し様子を見ててくれ…! 私は操縦に専念するから、何かあったら逐一報告してくれ…!」


カカはそう言って1人振り返り、屋内に向かって駆けだした。その際、床から伸びる鉄の筒に取り付けられた蓋を開けて行った。


甲板に残されたアクアスとニキは、依然不安な表情を浮かべたまま巨大な存在を見つめていた。それと同様に未知の生命体もまた、飛空艇の方を見つめていた。


未知の生命体は飛空艇と一定の間隔を保ちながら飛び続けており、様子を伺っているかの様に深紅の目で凝視している。


「ニキ様は少し下がっていてください…! あの化け物がいつ何をしてくる分かりません…! わたくしに守り切れるかどうか…」


「ニキを舐めてもらっちゃ困るニよ…! ニキはやる時はやるタイプの旅商人ニ…! いざとなったらガンガン戦えるニよ! かかってこいニ!!」


ニキは袖をまくって何故かやる気全開でいた。その様子にアクアスは若干呆れた目を向けていた…。 そんな中──


「 “グオラァァァアアアアアッ!!!” 」


「「…っ!?」」


今まで気味の悪い静寂を保っていた化け物は、突如として大気が揺れそうな程の咆哮をあげた。勢いで真下の雲が窪み、飛空艇も大きく揺れた。


[どうした…!? ヤベェ咆哮が聞こえたが…オマエ等無事か…?!]


「ハイ…! ですがこちらに敵意を向けた可能性があります…! 事態は一刻を争うかもしれません…! 早くあの化け物を撒かないと危険です…!」


鉄の筒から聞こえてくるカカの声に、アクアスは今置かれている切迫した現状を伝えた。化け物は一層大きく翼を羽ばたかせ、鋭い眼光を向けている。


化け物は不意に首を少しググっと引っ込めると、突如物凄い速度で首を伸ばし、艇尾に向かって一直線に飛んできた。


「…っ?! く…っ!」


明らかな敵意がのった攻撃に、アクアスは一瞬動揺を見せたが、すぐに構え直して引き金を引いた。


空を裂いて突き進む銃弾は真っ直ぐ化け物の頭部へと飛んでいき、見事眉間に着弾した。…だが化け物は一切怯まず、どんどん艇尾へと近付いてくる。


「そんな…っ!? このままじゃ…」


「ニキに任せるニ…! “リュックハンマー” …!!」


間もなく鋭い嘴が艇尾に直撃する。その時アクアスの背後からニキが駆けてきて、リュックのハーネス部分を掴んで思いっ切りぶん殴った。


右頬をぶん殴られた化け物は、艇尾に直撃する寸前で軌道がずれ、なんとか危機的な状況を避けれた。


化け物に大して効いている様子はないものの、そこからの追撃はなく、ゆっくり体へと首が引っ込んでいった。


「助かりましたニキ様…っ! 申し訳ありません…不甲斐なく…」


「今そんなくだらない反省はいらないニ…! それより…攻撃はきっとまだ続くニよ…! 気を抜いちゃダメニ…!」


やがて化け物の首が戻ると、また様子を伺うように一定間隔で飛び出した。なるで作戦でも考えているかのような不気味な間…。


「カカ…! 何か名案は浮かんだニ…?! このままだと本当にヤバいニ…! そうだっ…護煙筒を焚くのはどうニ…?!」


[いや…雲上にこんだけ居続けられてる時点で…もう護煙筒の効果は期待できない…。むしろただ悪目立ちするだけの可能性まである…]


魔獣はただ護煙筒の煙を嫌がって近寄らないのではなく、あくまで魔素を極限まで薄めてしまう煙の効果を嫌っている。


よって魔素がほとんどない雲上では…護煙筒はまるで意味のない代物と言える。同時に飛空艇を追う化け物が…それほど未知数な生命であることを証明していた。


[そこでだアクアス…! 信号拳銃でヤツの反応をみてくれ…! 当てなくていい…、適当な方向に撃って、奴の意識がそれに向くかを見てくれ…!」


「えっ…、ハイ…承知致しました…! 少々お待ちを…!」


カカの指示を受けたアクアスは物置部屋へとダッシュし、棚から他の物が落ちる程の荒い手つきで信号拳銃を持ち出した。


未だに滞空して様子見中の化け物に、アクアスは間髪入れず引き金を引いた。光を放つ弾は弧線を描くように進み、化け物の上を通った。


化け物は一切の速度を落とさぬまま、突如上を通り過ぎた強烈な光に合わせて、物珍しそうに見上げた。


「カカ様…! 化け物は信号拳銃に反応を示しました…! ですが…それでもヤツに追跡を止める素振りは見られませんが…」


[問題ない…それが知れただけ収穫だ。こっちの小細工に分かり易く反応を示す生物ヤツ程…知性が高い証拠だ。策を練ればこの状況を打開出来るかもしれない…! 悪いがもう少し時間を稼いでくれ…!」


「出来るだけ早く頼むニよ…。──ヤバいニ…! また何かしてくるつもりニ…!」


化け物は再びググっと首を引っ込めだし、さっき同様の攻撃を仕掛けてくるのは火を見るよりも明らかだった。


仕掛けられる前にアクアスは銃弾3発を撃ち込むが、やはりどれも効果はなく…化け物は咆哮を共に首を伸ばした。


「何度きたって無駄ニよ…! またリュックで返り討ちニ…! 食らえニ…! “リュックハンマー” …!!!」


近付いてきた化け物の頭部目掛けて、ニキは再びリュックを振るった。


だが化け物は直撃する直前に嘴をガパッと開き、ニキの横振りの攻撃は見事に空振りに終わってしまった。


そしてそんなニキに、化け物は無情にも嘴を閉じてついばもうとしている。思いっ切り振りぬいたニキは…回避も防御も出来ない…。


“ボォーーンッ!!”


「 “グオラァ…??!!” 」


今まさにニキがついばまれそうなそんな時──突如化け物の右頬が爆発し、何が起きたか理解出来ない化け物はまた首を引っ込めた。


「か…間一髪ニ…。ありがとうニアクアス…! ところで今の爆発はなんニ…?」


「炸裂弾です…!火力の弱い弾を選びましたが…お怪我はありませんか…?」


「大丈夫ニ! ありがとニー!」


危うくもニ度目の攻撃を凌いだ2人だったが…それでも事態は一向に好転しない…。化け物はしつこく飛空艇を追い続ける。


まだまだ余裕を秘める化け物に対し、未知の相手と相対している2人には、緊張と不安で徐々に疲れが見え始めていた。


息が切れだし…言葉数も減り…、ただ目の前に現れた脅威が去ってくれることを願うことしか出来ずにいた。そんな時──


[アクアス聞こえるか…?! 今から指示を出すから言う通りにしてくれ…! 上手くいけば…この状況を打開できる…!」


「本当ですか…?! やりましょう…! 何なりとお申し付けください…!」


「ニキも手伝うニ…!!」


鉄筒から響いてきたカカの声が、苦しい表情を浮かべていた2人の心を僅かに照らした。図らずとも2人の顔に笑みが宿る。


[アイツの視界から飛空艇を逸らさない限り…私達に生き残る術はない…。だから奴の視界を遮る為に…護煙筒を投げてそれを撃ち抜いてくれ…! 火薬が破裂して煙が一気に広がる筈だ…! 出来るだけ顔の近くで頼むぞ…!]


「承知致しました…! 必ず遂行してみせます…!!」


アクアスはニキに化け物を見ておくように頼み、護煙筒を取りにまた物置部屋へと走った。ドアを開けて中に入ると、何かを勢いよく蹴った。


目を向けると、それはさっき棚から落ちていた護煙大筒ごえんだいとう。アクアスは素早くそれを拾い上げて、ドアも閉めずニキのもとへと戻る。


「ニキ様…! わたくしが撃ち抜きますので、投げをお願い致します…! 出来るだけ弧線を描くように投げてください…!」


「任せられたニ…! いくニよ…! ヤァーーーーーー!!」


ニキは大きく振りかぶって、全力で化け物の頭部目掛けて護煙大筒ごえんだいとうをぶん投げた。


横向きの風に煽られながらもアクアスの要求通りに弧線を描いて飛ぶ護煙大筒ごえんだいとうに、アクアスは神経を研ぎ澄まして標準を合わせる。


化け物は自分に向かってくる見慣れぬ物に興味を惹かれ、攻撃の素振りもなくそれをただ見つめている。


“バァーーン!!!”


引かれた引き金と同時に雲上に響き渡る銃声──風を縫うように突き進む銃弾は、化け物の頭上を差し掛かった護煙大筒を貫いた。


貫かれた護煙大筒は直後に破裂し、大量の煙が巨大な化け物の体を包み込んだ。


「上手くいったニよカカっ! 視界を完全に遮ったニ…!」


[よくやった…! なら今すぐアクアスと一緒に中に入れ…! 早くしろ…!」


ニキはリュックを背負い、折畳銃スケールを抱えたままのアクアスの手を引いて脇目も振らずに中へと戻った──。






<〔Perspective:‐カカ視点‐Kaqua〕>


「よくやってくれた…! とりあえず無事で良かったぞ2人共…!」


階段を勢いよく降りてきた2人には、特に目立った外傷も見られず、どこか怪我をした様子もなくて安心した。


アクアスもニキも…協力して死力を尽くしてくれたみたいだ…。だからこそ…ここからは私が頑張る番だ…。


「視界は奪ったニけど…これからどうするニ…? ただ逃げたところで…こんな開けた雲上じゃ撒けないニよ…?」


「んなこた知ってる…! だからオマエ等…私に命預けろ…! このままじゃどうせ死ぬんだ…一か八に打って出る…!」


「カカ様…一体何を…──わぁ…!?」


私は飛空艇の高度を一気に下げ、みるみるうちに大雲海へと距離を縮めていく。


「ちょっ…まさかまさかニ…!? あの雲はただの雲じゃないニよ…!? 飛空士が恐れおののく平乱雲ニ…! 無事に雲下に出られるかも分からないニよ…!?」


「だから知ってるてんだよ…! それに雲下に出ようなんて思っちゃいねえ…!」


仮に無事に雲下へ出られたとしても…あの化け物が雲下まで追ってくれば振り出しに戻っちまう…。アクアスとニキの頑張りが無駄になる…。


煙が晴れた時に…雲上にも雲下にも飛空艇の姿はあっちゃならないんだ…。つまりとるべき行動は1つしかない…!


「何かにしっかり掴まっとけよ…! 平乱雲の中を突っ切る…!!」


私は迷うことなく平乱雲の中へと飛空艇を沈めた──。


中に入った瞬間から大きく飛空艇が揺れ、ガラス越しに見える景色は一変し、まるで水中を泳いでいるかのようだった。


嵐の様な強風強雨が容赦なく飛空艇に襲い掛かり、飛ぶ虫の様に不規則に変わる風向きで操縦が効かない…。


「これ本格的にマズいんじゃないかニ…!? 墜落確率90%越えニ…!」


「うぅ…、カカ様ぁ…」


2人が不安と心配に駆られるのも無理はない…。今飛空艇は進んでいるというより…ただ流されているだけに等しい…。


必死にバランスをとって横転しないように制御することしか出来ておらず…、それも風前の灯火の様な状態だ…。


ほんの僅かにでも気を抜けば…魔獣と海獣がひしめく雲下死地へと真っ逆さまだ…。正直ニキの見立ては正しい…。


「 “グオラァァァアアアアアッ…!!!” 」


辺りに響き渡るあの怪物の咆哮…。姿は確認出来ないが…確実に平乱雲の中に入り込んできたことだけは分かる…。


「ヒィ…?! アイツの声ニ…! ニキ達を追って平乱雲の中に突っ込んできたに違いないニ…! もしかして見つかったニ…!?」


「いや…平乱雲の中は見ての通りの視界不良だ…。アイツだってはっきりこっちの姿は見えてないだろう…、きっと雲下へ突き抜けて行く筈だ…」


当然確証がある筈もなく…ごくごく僅かな希望的観測の域を出ない…。そう信じて突き進む以外に道は切り拓けない…。


雲下に出れば凶暴な魔獣・海獣がうようよいる…、きっとそっちに気を引かれてもう私達のことを探したりはしなくなる…っと信じたい…。


「カカ様…、ひょっとしたら本当にあの化け物は雲下に出たのではありませんか…? であれば雲上に出てもよろしいのではないですか…?」


「それは私も思ったが…悪い報せだ…、吹き荒れる風が邪魔して浮上出来ない…! 沈まないように必死に抑えるのがやっとだ…!」


「えェ…!? それじゃニキ達…完全に退路を失ったってことニ…!? バチボコに死の一歩手前ニー…!!」


ニキは悲痛な叫びを上げるが、荒れ狂う平乱雲に届くことはなく…飛空艇はただ大きく揺られて流されるまま…。


徐々に揺れは一層酷くなり…掴まっていても立てない程に悪化していった…。


あとどれだけ平乱雲は続いているのか…、飛空艇はどこまでもつのか…、私達は本当に生きて出られるのか…。そんな思いが頭をよぎってくる…。


ここまでなのか…──そう諦めかけたその時────


突如として目の前に一筋の光が現れた…。私は歯を食いしばって…その光に最後の希望を託すことにした。


それが幻であれ何であれ…、私はハンドルを握る手に力を込め…その先に見える光に全てを賭けた──。




次に視界に飛び込んできたのは…眩しい程に澄みきった青空。さっきまでの大きな揺れはゆっくり収まり、ハンドルも軽くなった。


「抜…けた…? ニキ達…生きて平乱雲から抜け出せたのニ…? やったニーー!! ニキ達生きてるニーー!!」


「まだ信じられません…、まさか本当に生きて出られるなんて…」


「ああ…、私も正直生きた心地がしなかったよ…。アイツが追って来てる気配もないし…、なんとか九死に一生を得たみたいだな…。ハァ~…しんど…」


ニキは両手を上げて喜び、私とアクアスは力なく床に座り込んだ。間違いなく人生で一番死に近付いたと言える…。


私はアクアスのもとに近寄って、涙を浮かべているアクアスの背中をさする。口には出さないけど…ほんとごめんな付き合わせちゃって…。


「ニキは外の様子を見てくるニ♪ 万が一にもあの化け物が追って来てたら大変だからニ~♪ ニッキッキ~♪」


ニキは謎の上機嫌で階段を上って甲板に出ていった。あんな事があった直後だってのに…なんであんな元気なんだか…。


とりあえずアクアスが泣き止むまで背中をさすっていると、ドタドタと慌てた様子でニキが階段を降りてきた。


「2人共っ! ビッグニュースニ! を見るニ!!」


ニキは謎に興奮しながら、飛空艇が向いている方向を指差した。アクアスを支えながら立ち上がり、指差された方に目を向けると──


「あっ、カカ様…もしかしてあれって…」


「ああっ、間違いない── “アツジ大陸” だ…!」



──第7話 死中求活〈終〉

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