9.彼の主はただ一人

 テミスは彼女を助けてくれたがやはり身内とは違うものだ。

 大泣きこそはなくとも肩口に目元を押しつけるあいだは静かな啜り泣きがこぼれる。

 人狼はアレッシアが離れないとみるや、片手で彼女をすくい上げると歩きはじめるも、彼を引き留めようと声がかかった。


「ルド殿、一体どこに行かれるのか」

「鍛錬中だが、ニキフォロスに会いに行く。後は任せた」

「それは構わぬが、その娘は何者なのだ。およそ人にはありえぬ色の髪をしているが、お主の知り合いなのか」

「それを含め話をせねばならん」


 歩き出してしまうので、ここでアレッシアは顔を上げた。忘れてはならない人達の存在を失念していたのだ。目と鼻を真っ赤にさせながら叫んだ。


「ルド! 待ってテミス! テミス達を置いていけない!」

「テミス?」

「ここに連れてきてくれたの。あっちに行って!」


 彼らはまだ先ほどの場所で立ち尽くしている。ぐずぐずに鼻を鳴らすアレッシアを抱えたルドの姿は人々のどよめきを誘うも、彼は意に介さない。指示されたようにテミスの傍に行けば、少年達は直立不動で敬礼した。


「テミス……ニキフォロスの奴隷か」

「はい。まさかルド様に顔を覚えててもらえるとは……」

「お前の持ち帰る情報と見立てはいつも参考になると言っていた。お前達の活躍あってこその戦だ。いつも助かっている」

「あ、ありがとうございます」


 目を見開く姿は感激している様子でもある。

 テミスは感極まっているところだが、アレッシアはルドに対して言いたいことがある。


「テミス達が助けてくれなかったら私はいまごろ兵士に襲われて大変な事になってました」

「……事実か?」


 嘘を言ってどうなる。

 抱きかかえられながら半眼で睨み付けるも、分が悪いのはルドの側である。

 深いため息と共に吐き出されたのは、少年に対する感謝だ。


「この娘が世話になった。命を助けてくれて礼を言う」

「あと、私をここに連れてきてくれたこともだよね」

「……連れてきたことも含めてだ」


 アレッシアは若干怒っているので、相手の頬を摘まむのを忘れない。恐れを知らぬ行動を……と誰かが呟き、オミロス達が戦慄に固まっている。


「ルド様、アレッシア……様は、本当にルド様の関係者で……?」

「様、いらないよ」


 そう言ってみるも、ルドには無視される。

 

「この世間知らずの様子では苦労したろう。お前の判断に助けられたが……ニキフォロスには偵察を命じられていたのではなかったか」

「はい。今から報告に行くところです」

「では俺も行こう」

「あ、いえ、ルド様は彼女と……」

「お前達の帰還は予定していたより早い。なにか問題でも発生したのではないか」

「そんなことは……いえ、実は……」


 テミスは否定するも、アレッシアを助けたことで任務に問題が生じたのは事実だ。彼女も何度も頷き、少年には非が無いのだと目一杯主張する。

 これでルドは状況を把握し、少年達にはついてくるよう指示を下した。アレッシアにはなんだか偉そうに見えるのだが、実際、彼の格好は他の者よりも上質だ。

 アレッシアは混乱を迎えてようやくルドと合流できた。

 既にベッドに寝転がりたい気持ちで一杯なのだが、まだテミス達の主に会う必要があるとのことで休めそうにない。若干恥ずかしさはあるものの、疲労と安堵と甘えとでルドに運ばれるがままだ。

 上階のある一室で待っていたのは立派な風采の人物達に囲まれた人物であり、その人と顔を合わせたアレッシアは驚いた。


「来たね、ルド。待っていたよ」

「やはり上から見ていたか」

「下が騒がしかったからね」

 

 どう見ても自分やテミスと同い年ほどの年若い少年が中央でルド達を迎え入れている。垂れ幕や国旗が飾られ、石造りの壁と相まって重厚な作りを醸し出し、剣を腰に差した軍人達が詰める部屋は重苦しい。

 少年は自らをミノアニア国はニキフォロス王子と名乗った。軍人に囲まれたこの中ではもっとも頼りなさげだが、品のある顔立ちと落ち着き払った物腰は、確かに少年を王族と感じさせるだけの雰囲気がある。王族と聞けば尊大な態度をイメージするも、物腰はやわらかく、アレッシアにも親しみを持って尋ねた。


「見たところルドのお知り合いのようだけれど、君は?」


 王子を前に抱えられっぱなしも締まりが悪い。ルドから降りると頭を下げる。


「こんにちは、ニキフォロス様。私はアレッシアと言います、そこのテミスに助けてもらってこの要塞に連れてきてもらいました」

「テミスが貴女を助けたのだね。では、アレッシアはタヴェルの出身なのだろうか」

「うーん。それはちょっと違うんです。ルドと同じところから来ましたけど……」


 どう説明して良いものか。

 隣の人狼を見上げれば、ルドが説明を引き継ぐ。


「こちらについては少々込み入っているから、後で話したい。それよりテミスの報告を先に聞いてやってもらえるか。俺のことよりタヴェルの状勢の方が重要だろう」

「ならば別室を用意させるから、アレッシア殿には……」

「いや、この娘もここに置いてもらえるか」


 これに驚いたのはニキフォロスだけではない。特に少年の脇に控えていた者達が目を尖らせるも、ルドは譲らなかった。


「人に言いふらすような娘ではない。それにアレッシアを下がらせるならば、俺は二度とタヴェルの話を聞けなくなるのだ」


 彼の言葉に嘘偽りはなく、真剣な様子を感じ取ったのかニキフォロスがアレッシアの滞在に許可を出すことで認められた。

 テミスの報告はタヴェルの砦の陥落を知らせる内容である。ニキフォロスは従姉妹であるタヴェルの姫を身を案じていたものの、生存は絶望的と聞き肩を落とす。

 わずかな望みを賭け臣下に尋ねた。


「従姉妹殿は、やはりもう命はないものと考えるべきなのだろうか」

「救出をお望みですか」

「母上にとってはただ一人の姉妹の忘れ形見だ。できるならば助けたい」

「殿下の気持ちはお察しいたします。我らもできるものならお助けしたいが、タダムの蛮族共はタヴェルを目の敵にしておりました。もはや戦う力のない姫君が逃げ込んだ砦を、多大な戦力で追い込んだのがかような証拠と存じます」


 アレッシアは声に出さず頭の中で情勢を整理する。

 話を聞くに、現在はミノアニア国対タダム国。間に挟まれたのがミノアニアの同盟国であるタヴェルだ。

 諦めきれないニキフォロスはテミスに確認した。


「従姉妹殿はどうなった。お前は最期を確認したのだろうか」

「本来であれば確認すべきだったのですが、兵が砦を攻めるところで敵兵に見つかり部隊の撤退を余儀なくされました」

「では、見ていないのか?」

「申し訳ございません。自分の不手際にございます」


 ここで一気に気まずくなった。

 テミスは黙っているが、彼が砦の陥落を見届けられなかったのはアレッシアを助けたせいである。不手際に叱られる声が室内に轟き良心の呵責に耐えかねて、おそるおそる右手を挙げた。


「あの……テミスが逃げなきゃいけなくなったの、私を助けてくれたからです」


 場がシン、と静まりかえる。沈黙が居たたまれないアレッシアは、道迷いを起こしたことや、偶然砦の近くを通りかかったことでタダムの兵士に襲われたところを救われたと正直に説明した。


「テミス達は最後まで見届けるべきだってわかってました。だけど私を助けて騒ぎを起こしてしまったから逃げなきゃならなくて……あなたの従姉妹の行方がわからなくなったの、私のせいです。ごめんなさい」


 あの時は助かったと己が身の無事を喜ぶばかりでタヴェルの姫については、正直に言ってしまえば他人事だった。その人を案じるニキフォロス達の様子に、道中のオミロスの言葉がいまになって重くのし掛かり、罪悪感が湧き上がってくる。

 ニキフォロスへ頭を下げるアレッシアにルドが続いた。


「この娘の責は俺が負うものでもある」

「ルド?」

「元はと言えば俺が真っ先に保護せねばならないところを、この頭は彼女の存在をすっかり失念していた。初めから思い出していればこのような事態にはならなかったろう」


 ルドの一言に場に沈黙が落ちた。

 立ち直りが早かったのはニキフォロスで、傷ましい様子ながらも気を取り直し、テミスらに他の報告を促す。申し訳の立たないアレッシアは隣の人狼の手を握る。彼女の気持ちに応えたのか、ルドも拒絶しなかった。

 ひとまずの報告が終わり、各々思うところがありそうだが、ニキフォロスは目前の問題に取り組むようだ。


「ルド、貴方はアレッシア殿がいなければタヴェルの話は二度と聞けない、などと気になる言葉を言っていたね。保護せねばならないとも言っていたけれど、説明してもらえるか」

「ああ、そうだな。ではまず千人隊長を辞すための許可をもらいたい」


 一拍おいて、少年が首を傾げた。

 他の者も同様だ。ルドの発言がうまく読み取れなかったらしく、今度はなんとも言い難い沈黙に、ルドは彼らが理解するまで根気よく待っている。

 アレッシアは……奇しくもルドの性格と展開を読めずにいた己を嘆いた。


「…………貴方はミノアニア国に、いや私になにか不満でもあっただろうか」

「いいや、お前にはよくしてもらった。不満を感じたことはないが、俺は千人隊長を辞する必要がある」

「……なぜ、と聞いても良いだろうか」

「主が見つかった」


 率直なのがこの侍従の良いところでも、真っ直ぐすぎるのも問題だ、と思った瞬間なのだった。

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