8.主従の絆
彼の反応に希望を見出したアレッシアが身を乗り出す。
「知ってるの!?」
「知ってるも何も……」
テミスやレアが困ったように顔を見合わせる。一体何が彼らの混乱を招いているのだろうか。ケルテラさえも神妙な様子でアレッシアに尋ねる。
「一緒に来たはず……とは少し引っかかる物言いよな。その御仁とはどのような関係だろうか」
「護衛かなあ。ずっと守ってくれてるし、向こうも私を探してると思うんだけど……」
従者とも言えるが、それにしては彼らの空気が妙で、なんとなく言い換える。それを聞いたオミロスは呆れたように口を挟んだ。
「おい、その娘っころ、どっかに捨てた方が良くねえか。厄介ごとかもしれねえぞ」
「阿呆。本当にルド殿の知り合いだったらどうする」
「でもよ、ケルテラ。お前もこのガキが言ってること、頭がおかしいってわかってるじゃねえか。どっかの貴族の娘がホラ吹いてるだけかもしれねえ」
「だから捨てるというのも道理が通らぬ。貴族の娘というなら尚更であろう」
頭がおかしいとは何事か。異を唱えたくなったものの、混乱しているのは彼らも同じようで、アレッシアは慎重に周囲の動向を伺う。やがて判断を委ねられたテミスが頷いた。
「たしかにその人狼を俺たちは知っているよ」
「ほんと!」
「嘘を言っても仕方ないからね。だけど君のいうルドって人が、俺たちの知ってるルド様とは限らない。だってその方は俺たちの国の千人隊長のお一人だからね」
今度はアレッシアが驚きに目を見開く番だ。隊長と言うならば軍人のはずだ。テミスは、彼の国における軍の組織にルドという人狼が居るというが、その人はテミスの主に仕えて五年だと言う。すぐに人違いだと指摘した。
「だったら私のルドじゃないと思う。他に人狼はいないの?」
「でもこの国はおろか、隣国でも人狼は姿を消して久しい種族なんだ。彼らは生粋の武人だから姿を見かけただけでも噂になるし、俺たちが聞き逃すはずないと思う」
「そんなのわからないじゃない、なんでそんなに自信満々に言えるの」
「情報収集のためにあちこち行き来してるんだ。だから確信をもって言えるけど、ルド様以外に人狼は出現してないよ。彼らは絶滅したと思われてたくらいだ」
テミスは他に人狼を知らないという。詳しく聞けば、千人隊長ルドは五年前にふらりと現れ、テミスの主であるニキフォロスの食客となった。以後戦線で先陣切って戦い、功績を挙げたのを称えられ千人隊長の座を賜ったという。しかしグレーの毛色に混じる白色の特徴や掲げる得物と、アレッシアの従者に特徴はそっくりなのに、その人物が人を探していた記憶がないという。
「……記憶喪失とか?」
「そんな話も聞いたことないんだ。ルド様が人を探していたのなら、間違いなく俺たちにお声がかかるはずだし……」
だがアレッシアの知るルドが彼女を放置して国に落ち着くのはあり得ない。そう長くない付き合いであっても、彼の生真面目さを彼女は知っているつもりだ。だからないとは思うのだが、そもそもの話、ルドがアレッシアを一人にしている時点で疑問点だらけである。
一縷の望みに縋り賭けてみることにした。
「その人に会わせてもらうことってできないかな」
「うん、元々君は俺たちの要塞に連れて行くつもりだったから、そこは問題ないと思う」
「要塞? テミス達はそこからやってきたの? あの崖下にあった砦みたいに?」
「……本当に何も知らないんだね」
質問がおかしかったのだろう。テミスは苦笑し、丁寧に教えてくれる。
「まず俺たちはね、ミノアニアって国からやってきたんだ。ここはミノアニアと同盟を結んでいるダヴェルって国の領地なんだけど……この国名を聞いたことは?」
「……ない」
第三層追放地の情報は書物にすら載っておらず、知識を仕入れることができなかった。話を聞いてやっと追放地にも国があるのだと思い至ったくらいで、本来知っているはずの知識すらないアレッシアにオミロスやレアなどは訝しんでいる。
「そっか。で、俺たちはケルテラ以外、ミノアニアはニキフォロス王子殿下の遠征に付き従う奴隷部隊だ」
「奴隷……テミス達が?」
「腕の刻印をみれば一発なんだけど、その顔は奴隷をみるのも初めてかな」
言われてみれば、彼らの二の腕はかならずむき出しになって焼き印が押されている。これがミノアニアの奴隷の証拠だと彼は言った。
「ミノアニア王はダヴェルの首都陥落の報せに、ニキフォロス王子の遠征を言い渡し、国境沿いの要塞までやってこられた。俺たちはダヴェルの生き残った王族が隠れたと言われているあの砦の偵察に来てたんだよ」
「そこで私が……」
「君はダヴェルの姫君と勘違いされたんだろうね」
ニキフォロスの遠征には他の軍団長方に併せルドも共にいるらしい。テミスはダヴェルの砦陥落を持ち帰らねばならないため、ついでにルドとアレッシアを会わせてくれるようだ。テミスの仲間内にはアレッシアはスパイ……即ち間者である懸念を示したものの、テミスが責任は取る、の一声で黙らせた。年若く皆を率いている点といい、よほど信頼の厚い人物らしい。
まだ話を聞いておきたかったものの、翌日は早朝に出発するため、早々に明かりを落として薄い毛布にくるまった。アレッシアも疲労が濃かったため眠れると思ったのだけれど、洞窟の地面は固い石だからゴツゴツと固く眠れず、おまけにすぐに体温を奪われてしまう。うとうとするのも一瞬で即座に目覚めてしまい、眠るどころではない。
しかも実際は夜が明ける前の出発だ。目の下に隈を作ったアレッシアとは正反対に、テミス達はしっかり休めている。静かな良い夜だったと言っていたのにはまともに驚いたが、こんな調子だからアレッシアは不調を引き摺った。おまけに渡された朝飯は冷えて固まった肉の脂身で、とても食べられたものではない。移動は引き続き鳥……騎獣になるもののケルテラかテミスに助けてもらいながらで、揺られ続けるあまり、すぐに喋る元気もなくなった。昼飯もなく、あるのは騎獣を休ませるためのわずかな時間だけ。移動に時間を費やすも、もう一夜野宿を迎え、ミノアニア要塞門を叩いたのは翌日の夕方だ。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるケルテラがいなくては、まともに立っていられなかっただろう。景色はすでに森から荒野に移り変わっていたが、感想を口にする気力もない。
もはや生ける屍といっても差し支えのないアレッシアだったが、明らかな人工物の気配には少しだけ目に光を取り戻した。
徐々に大きくなってくる要塞は想像よりもずっと大きい。背面は事前の岩肌に守られており、黄昏の光に包まれた高い石壁は荒野の中にひときわ目立つ存在だ。入り口は厳重に守られており、要塞の外周には見張り台がそびえ、近づく敵を見つけ出すための目を光らせている。
アレッシアは外套を借り、髪を覆うように目深に被っていた。ケルテラの腕の中にいるアレッシアはテミスが腕を上げ、彼を認めた兵士が門を開ける合図を送る姿を見る。
「ダヴェルの砦について報告したい! ニキフォロス様はおられるか!」
「中で休んでおられる。早く行くと良い」
騎獣を降りるとテミスはアレッシアの手を取り進み出す。
内部は想像よりも雑然とし、同時に賑わっていた。要塞といえば戦のイメージが強かったのだが、男女問わず人で溢れかえり、おまけに商人や若い娘もいる。路地に広がる露店では新鮮な果物や野菜が並び、活気あふれる市場が賑わう雑多な光景はまるで一つの街だ。思わず足を止めかけるも、アレッシアを隠すように歩いてくれているレア達に忠告される。
「いまは目立たないで、あんたの髪の色ってすごく注目を浴びやすいのよ」
やはりここでもアレッシアの髪の色は目立つらしい。
彼らが目指したのは中央にそびえる建物だ。扉を超えようとするも、アレッシアだけ全身を隠す出で立ちだ。当然衛兵が見咎めたけれども、ここはテミス達が上手く言いくるめた。タヴェルの砦に関する証言者だと告げ、中へ引き込んだのである。
内部は表と違い静かであるものの、王族がいるだけあって警戒は厳重だ。厳かな雰囲気が漂っており、迷路のような狭い通路も広がっていそうだ。
石の壁は湿気を帯び、足音が響いた。あちこちに指揮官の部屋や兵士たちの宿泊所があり、戦闘の準備や戦略の立案が行われているのだという。建物の規模といい、一体どれだけの人が要塞にいるのか、アレッシアには想像もつかない。
「ねえテミス、ルドにはいつ会える?」
「まずはニキフォロス様にお目通りしてからだ。悪いけど俺たちも仕事をこなさなくちゃならない」
ニキフォロスは最上階にいるらしい。緊張した空気が漂う中を突っ切っる最中に、夕方にもかかわらず、広場で兵士達が集っているのを目撃した。
たくさんの男達が組み手などを行い訓練に励んでいる。その訓練を仕切るのは――。
アレッシアはたまらず足を止めた。
たくさんの人の中にありながら、その人が彼女に気付いたのは偶然か……目が合った途端、アレッシアは叫んだ。
「ルド!!」
走り出す彼女を制止しようとしたのはテミスだけではない。彼女の姿を認めた兵士達も同様だ。一直線に走る彼女を捕まえるのは容易かったはずだが、それを止めたのは彼らの指揮官である人狼だ。
止めろ、と一喝する怒号。兵が動きを止める間に走り抜けるアレッシアのフードが外れると青銀の髪が露わになる。うねる髪が夕陽を反射し輝く間も一心不乱に走り続け、やがて彼のもとへたどり着いた。
珍しく息せき切って走ったせいで肩が大きく上下している。
アレッシアが鼻を鳴らし、半泣きで向かい合った相手は、装いこそ変わっているけれども間違いなく彼女の従者だ。やっと会えた喜びと、これまでの苦労や恐怖が合わさって全身が震えている。
文句があったはずなのだが、この瞬間はすべてが吹き飛んだ。声を発する前に人狼が彼女の目線に合わせるために膝を折り、その目を見てアレッシアも納得した。
おそらく二人が離れてしまったのは彼の意思ではない。己が失態を恥じるような苦々しい苦悩を称えた瞳を確かに見た。
……見たけれど、たまらず言ってしまった。
「忘れてたでしょ」
「…………すまん」
飛びつくように抱きついた人狼は申し訳なさを込めていたのか、その大きな手の平で彼女の頭を抱え込んだ。
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