7.姫→謎の少女→???



 少年が繰っているのは巨大な鳥だ。初めは鶏と勘違いしたが、それにしてはフォルムが細いしとさかもない。毛も赤と白が織り混ざった不思議な模様の上に鞍が乗っかっているし、まるで不思議な光景だ。やがて少年の周りには同じように鳥を繰る男女が集いはじめ、口々に叫び始める。



「テミス! この野郎、偵察任務ほっぽりだしてなにやってんだ!」


「どうすんのよ、これでタヴェルのことがわかんなくなるのよ!」


「阿呆! タヴェルはどうでもいい、連中にオレ達のことがバレちまっただろうがよクソが!」



 彼らは仲間なのだろうか。テミスと呼ばれた少年は罵倒も無視し叫んだ。



「とにかく逃げるぞ!」



 一行は慣れた様子で森を駆け、果てがないと思われた緑の間を抜ける。視界に飛び込んだのは人の手が入っていない自然豊かな大地で、ロイーダラーナとは違う光景に息を呑んだ。


 いまさらになって気付いたが、空に浮かぶ雲が遠い。


 もしかしたらロイーダラーナの一部なのではないかと縋っていた希望が一瞬で消し飛び、本当に違う土地なのだと実感したのはこのときだ。しかし景色に気を取られているとバランスを崩し、少年に叱られ再び腕に力を込める。支えがない以上、自らの腕力だけが頼りの騎乗なのだが、アレッシアは地面を走る動物の騎乗に慣れていない。カリトンの狼、リベルトの鷹とどれも空を飛ぶ上に、仮に乗ったとしても必ず誰かの支えがあった。つまり乗り方もわからず、ただ揺られるだけであって体力の消耗も激しい。いつずり落ちるかわからない恐怖に不自然に力を込めるから、あっという間に腕は痺れ、太腿なども痛くてたまらない。


 とうとう我慢ならずギブアップを叫ぼうとしたところで頬に雨粒が当たり、少年の一声で一同の鳥が動きを止めた。


 どうやらアレッシアと同様、乗り物のほうにも限界が来たらしい。近くに洞窟があるとのことで、周囲に警戒しながら道を逸れる。入り口付近では少年に手を借り鳥から降りるも、ごつごつとした地面に薄いサンダルは歩きにくい。赤子のような下手な歩みで、せり出していた岩場に座らせてもらった。


 周りは寝袋などが置かれ、すでにたき火の準備が完了している。慣れた様子で火を点けるから、ここが彼らの拠点だったのかもしれない。


 少年はアレッシアの前にしゃがむと、事前に断って足に触った。



「足を痛めてる、診たいから履物を脱がすよ」


「あ、うん」



 邪魔にならないようたくし上げたスカートは、不思議なことに少しも汚れていない。足は切り傷だらけで、指が触れる毎に痛みが頭を突き抜ける。少年はそんなアレッシアの様子を観察しながらかかとを持ち上げた。



「捻ってはいないけど……歩き慣れていないだけか。レア、俺の荷物の薬を使って包帯を巻いてやってもらえるか」


「あたしが?」


「食べ物が必要だろ。俺はオミロスと何か狩ってくるから、この子を頼む」



 少年は立ち上がるも、そばかすを散らした少女は不服そうだ。薬が貴重品らしく使うのを渋っていると、桶を持った女性がアレッシアの前に座り、少女が異を唱えようとした。



「ちょっと、ケルテラ」


「テミスが決めたのだからそれでよかろう。薬も本営に戻れば補充できるのだから惜しむものでもない」



 ケルテラと呼ばれた女性は余裕のある振る舞いだ。アレッシアにも薄く微笑むと、少し冷えると断ってから、濡れた布を押し当てる。ひんやりした感触につい悲鳴を上げていた。



「熱をもっておるからのう。我慢しておくれ」


「うん、大丈夫。ありがとうございます」


「あまり歩き慣れてないように見えるが、山道は初めてだったか?」


「初めて……かもしれない」


「ふむ。かもしれない、とな」



 女性は丁寧な手つきで足を洗うと、状態を見ながら薬を塗り、包帯を巻いてくれる。アレッシアの目には大した傷には映っていないが、跡になって残る虫刺されなどがあったらしい。他にも森には気触れる葉などが多いからと、腕や顔を拭かせてくれた。


 その間にも各々が手慣れた様子で野宿の準備を進めて行く。狩りに去った少年達を除けば、人数はおよそ十人ほどか。


 ある者は鍋に湯を沸かすと乾燥した葉を入れ、ある者は尖った枝を作り始める。どっかりと座り込んで芋の皮を剥きはじめる者もいた。


 洞窟内にお茶から漂う柑橘類の匂いが充満すると、一人一人に配られる。アレッシアには深めのお皿に注いだものが渡されるのだが、ひとくち口をつけたところで、酷く喉が渇いていたことを思い出し、一生懸命冷ましながら茶を流し込む。温かい飲み物が胃を満たしたからか、肩の力が抜けたところで少年達が戻ってきた。



「肉厚の良いのが獲れたぞ」



 一同はわあっと喜びの声を上げ、幾人かがナイフを持ちながら外に出ていった。やがて戻ってきた皿に置かれていたのは血の滴る生肉や、生々しい心臓や臓物だ。


 作った串に肉を刺すのでてっきり焼くのかと思っていたら、幾人かは良い心臓だと得物を称え、心臓を薄く切って生で食しはじめた。アレッシアはぎょっと目を剥き、ケルテラが呆れて声をあげる。



「生の肉は時に腹で悪さをするというに、まだ続けるか」


「この肉は立派な牡鹿だった。昔っから良い動物を弔うにはこれが一番なんだ。爺さま達の代からの教えを馬鹿にするのは許さねえ」


「馬鹿にはしておらん。肝心なときに動けなくなっても知らんぞと言っている」


「生の肉と血は強さに必要なものだ。戦士の掟を知らん巫女が口出しするな」


「忠告はしたからな」



 ケルテラも本気で止められるとは思っていないらしい。彼女やレア、オミロスという男性は生肉は好まないらしく火にくべた肉だけを食み、アレッシアもそのおこぼれに預かった。


 アレッシアは自身がよく食べる方だと自覚していたが、食べるスピードや鬼気迫る迫力はまるで敵わない。ケルテラとレア以外は肉の塊を五分と経たず食べ終わってしまい、その中でもアレッシアは食べるのが遅かった。


 臭みはなくても味のない肉を呑み込むのは一苦労で、食べ終わる頃には腹も満ちている。芋と草のスープはかろうじて塩を入れたらしいが、美味しそうには思えなかったので辞退した。


 食事を終えるとようやくテミスも落ち着き、アレッシアは彼らに向かって頭を下げる。



「遅れてしまったのだけど、助けてくれてありがとう。それから、足の薬も」


「助けたのはテミスの独断だけどな」


「やめい、オミロス。決めたのはテミスだ」



 オミロスは三十頃の、ひょろりとした体躯の男性だ。吊り目がちな顔つきが、ケルテラに叱られ情けなく下がる。彼はこれで引っ込んだが、レアはそうも行かない。


 


「そうは言うけど、ニキフォロス様の命令はタヴェルの動向を見届けよ、だったでしょ。どうすんのよ、その子のせいで失敗に終わっちゃったじゃない」



 アレッシアを助けたことで、任務が失敗してしまったらしい。レアのみならず、複数の責めるような視線に肩を縮みこませるも、少年がすぐさま否定した。


 


「どのみちあの様子じゃ、砦は夜まで持たなかったさ。あの構造じゃ中にいた中の者は逃げられないし、タヴェルの王族も助からない」


「じゃ見殺しにするの? タヴェルの姫はニキフォロス様の従姉妹なんだよ」


「仮に王族が捕虜になったとして、たった十数人の偵察隊で人質を助け出せるとでも?」


「……やってみないとわかんないじゃん」


「俺はやだよ。いくら勇敢さを示せと言われたって、無駄死には嫌いだ」



 テミスはアレッシアより少し年上くらいだろうか。服は粗末でも整った顔立ちや落ち着いた雰囲気が不思議な魅力を醸し出している。ひときわ年若い若者なのに、いかつい男たちが彼の言葉には耳を傾けていた。


 テミスのはしばみ色の目がアレッシアに真っ直ぐに向いた。



「それで、君の名前は?」


「あ、アレッシア」


「俺はテミス。アレッシアは……どこかの貴族かな。それにしては聞いたことのない名前だけど、まさかタヴェルの姫君じゃないよね」


「だ、だね。全然違うというか、タヴェルって国の名前で合ってるの、かな?」



 覚悟して口にした質問は、やはり彼らの虚を突いたらしい。各々が不思議そうに顔を見合わせている。テミスも仲間に尋ねていた。



「ケルテラのところに彼女みたいな子はいない?」


「おらぬな。もしいたとしても……この神秘的な髪の色を見よ。染めたものとは思えぬ神がかった、人では到底成し得ぬ色合い、噂に上がらぬ方が無理というもの」



 ケルテラはアレッシアの髪を一房持ち上げ、見せびらかすようにはらりと散らす。


 


「もしどこぞの貴人だったとしても、だ。この風貌であれば必ず風に乗って声が届くだろうさ。そなたも、だからこそアレッシアを助けたのであろう?」


「否定はしないけど、むざむざ殺されるのを見ているのが嫌だっただけだよ」


「ふむ。ま、そなたが動かねば妾が助けていた。結果としては変わらぬよ」



 で、とケルテラに続きを促される。


 どこまで話して良いのだろうか。任務を放棄して助けてくれた彼らを悪人とは思っていないが……。



「…………神様と話せる世界から来たって言ったら信じてくれる?」



 おそるおそる口にしたものの、すぐに後悔した。頭のおかしな娘と思われたのか、苦笑で溢れる場に顔が熱くなるけれど、同時に『追放地』について一つ詳しくなった。


 この世界は神が身近ではない。神との距離感は、アレッシアの前世となった現代と似たようなものなのだろう。


 テミスは笑いこそしなかったものの腕を組んだ。



「どこから来たか言いたくない、ってことかな。だとしても、言ってもらわなきゃ困るんだけど」


「言いたくないっていうか、まずここがどこかもわからないっていうか……」


「まさか、あてもなく森を歩いていたとか言わないよね?」


「う……その通りです」



 自分でも不審人物なのはわかっているが他に答えようがない。この状況で運命の女神の後継者候補ですなんて名乗ってしまったら、本当に頭のおかしい娘扱いだ。


 せめて何か、これといって答えられる質問はないか。焦るほどパニックになりそうな最中で、レアが思わぬヒントをくれる。



「せめてさー、知り合いとかそういうヤツの名前とかわかんないわけ?」


「それだ!」



 思わず叫んでいた。



「あの、ルドって人を知りませんか!」



 探し人ならいた。彼女が誰よりもまず合流しなければならない大事な存在だ。ぎょっとした少女に、興奮したアレッシアが早口捲し立てる。



「ルドは背が高くて、大剣を背負ってて、すっごく無愛想で生真面目な人狼! 本当はその人と一緒にここに来たはずだったの!」


「……ルド、だって?」



 少年の目が見開かれた。

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