6.姫と言われても

 真面目に懇々と役目をこなすのが彼だから、黙って隠れているなんてことはない。


「ルド、ルドってば!! いるなら返事して!」


 主従契約を交わしたのなら、アレッシアの居場所はすぐに察知できるはず。しかし焦って何度も名前を呼ぶも、人狼は一向に姿を現さない。

 ためしにアレッシア側からもルドを探し出せないか……祈るように両手を握るも、いまだ思うように力を行使できない身では、なにも奇跡など起こせない。


「どうしようカリトン、ルドがいない!」

「探せ」

「そんなぁ」

「僕にはどうしようもない」


 素っ気ない言葉に所在なさげに辺りを見渡すが、あるのは鬱陶しい木々ばかり。人工物はまるで見つからず、右も左もわからない。

 もう一度カリトンに訊いた。


「ど、どっちに行けばルドがいるのかわかりませんか。それとも町とか?」

「さてな」

「な……なんか冷たくありませんか」


 突然少年が突き放した態度を取るようになったのは気のせいではない。

 いくら助言を求めてもカリトンはツンとした態度を取るばかり。ぽつんと立ちすくんでいると、やがて頭痛を堪える面持ちで言い含めた。


「いいか。僕が助けたのはルドが不在で、そしてあのまま落下を許せば死んでいたからに過ぎない」

「はい。それが……?」

「つまり、ここに到着した時点で試練は始まっている。候補者アレッシアが相談ができる相手は、共に試練を超えるべき護役だけだ」


 カリトンが同行しているのは女神からの指令あるがゆえのものだ。命の危険があったから助けただけであり、試練には関われないのだという。

 当然だがアレッシアは困った。

 もちろんカリトンの言っていることは間違っていない。頭では理解していたはずなのに、いざ人狼の姿が見えなくなると心細くなる。

 先の見えない森で、一体どちらに行けば正しい道に出られるのか、答えを知るものは誰もいない。

 迷った末に足を進めたのは、せめて明るい方角だ。木々の天蓋から差し込む光量が多い方を選ぶも、アレッシアの足は重い。

 気分の問題ではない。あたりは舗装されていない地面だ。単純に木の根が地面を這っているせいで、薄いサンダルでは歩きにくい。鋭い葉が柔らかな素肌を傷つけるし、足の裏が痛みを覚えるのも早かった。体力がある方だと信じていたけれど、息が上がるのも早く、早くも肩で息をしている。


「か、川とかない、かな……」


 もしかしたらカリトンがヒントをくれるかもしれない……淡い期待を覚えるが、彼は黙って後ろを着いてくるだけ。会話もなくなってしまったし、助けを見込めないとなれば、前を向くしかない。

 どこを行けば正しい、なんて判断はできなかった。せめて足場のマシな方向を選ぶだけで、良かったのは地面が乾いていた点だけ。スカートにはところどころ枝が引っかかり、おかげで裾をたくし上げながら進む羽目になった。

 

 どのくらいの間歩いたのかは、もはや定かではない。


 あるのは疲労と重いだけの倦怠感。初めこそ己を鼓舞するべくがんばれると思っていたが、次第に無心に進むだけの作業と化した。

 先は段々と緑が深くなり、差し込む光量が減ると、道を間違っていたのではないかと疑心暗鬼に囚われる。しかし引き返そうにも、振り返れば代わり映えしない景色。混乱しながら呆然と辺りを見渡す。


「どっちから、きたっけ……」


 このとき、ようやく頭に浮かんだ言葉は遭難だ。アレッシアとしては登山に使われる言葉の印象だったが、よもや平地で道迷いを起こすとは想像できない。

 この頃になると足は傷だらけだった。

 しかも――。


「え、うそ。カリトン?」


 後ろからついてきているはずの少年の姿が消えている。

 呼べど叫べど、ルドと同じくいなくなっていたのだ。

 突如森に放り出されても、これまで気を張っていられたのは、命だけは助けてくれるカリトンの存在があったからだ。もしかしたらどこかでアレッシアを見ているのかもしれないが、ルドの件がある。不測の事態ではぐれてしまったら……と、さしもの彼女も心細さで顔が歪む。


「か、カリトン……ルド……どこぉ……」


 しかも気付いてしまった。

 まだ空は明るいけれど、止まっていたらいつか陽が暮れてしまう。泣き出しそうになりながら、一人残される恐怖に突き動かされ足を動かす。もはや引き返すなどできなくなり、唯一明るいと感じる方向に向かって必死に足を動かす。草の丈は段々と高くなり、固い枝葉が増えてくると腕や足をかすったが、なりふり構わず一心不乱に進む。

 アレッシアは運が良かった。

 彼女が目指した目的地は開けた道だ。草が抜かれただけだったものの、はっきりと「道」ができている。森を抜けたのだと知った途端、全身から力が抜け、膝から崩れ落ちた。

 やった……と、小さく安堵をもらしたが、実のところ、不安要素がひとつ取り除かれたにすぎない。

 わずかだが休息できたけれども、すぐさま喉の渇きに苛まれることになった。

 周りに水場は存在しない。

 待てども人が通りかかる気配はなく、その場で寝転ぶわけにも行かず、再び腰を持ち上げると、また道を選んで進み始めることになる。

 このときも選んだのは明るいと感じた方角だ。


「いま、昼?」

 

 空が開けたからわかる。太陽の位置は一番高くに位置しており、これならまだ余裕があるはずだ。

 心細い気持ちを押し殺し、周りを見ながら道沿いに進み始める。

 足は痛いけれど、少し余裕が生まれたから観察できた。本当にここは神々に見放された地なのかと思うくらいに、なにも変わらない土地。もしかしたらいまこの瞬間、歩いている場所は第三層ではなく、別の場所なのではないか――そう思ったとき、アレッシアの耳に微かな音が届いた。

 何かが破裂するような音が二度、三度と繰り返される。

 空を見上げれば鳥が一斉に飛んで行くではないか。不安はを覚えるが、いまはまず誰かに助けを求めねばならない。

 音は止んでしまったが、道先に文字の書かれた案内板を見つけた。残念ながらアレッシアの知る文字ではないのだが、ようやく人工物を見つけられたのは喜ばしい。

 文字の下には数字らしきものも見受けられ、足は自然と大股になった。また、耳を澄ませば鐘のような音も聞こえてくる。

 街だ、と今度こそ走り出す。視界が一気に開けると、足はそこでとまってしまった。


「…………あ」


 くねくねと織り曲がった道を降りる先に砦がある。

 そう、街だと思っていたのは城壁に囲まれた砦だ。

 しかもあれだけ求めていた人がたくさんいる。煙が上っている砦に向かって、剣や槍を持った人々が一斉に押しかけている。

 爆音の正体は大砲だった。扉を丸太で破ろうとする者、砦に向かって長い梯子をかける者。それらが砦内部から突き出た槍や弓、落とされた石で阻まれている。

 ソレを指す言葉はすぐに浮かんだ。


 戦争。


 テレビや映画でしかみたことのない光景が眼下で繰り広げられている。

 遠目でも人が蟻のようにもがき、くるしみ、動かなくなる姿が目に飛び込む。目が離せず釘付けになっていると、男の怒鳴り声がした。


「そこの娘、止まれ!」


 砦を見下ろせる場所にいたのはアレッシアだけではなかった。兵士の格好をした男達がいつの間にか彼女に向かって、険しい形相でやってこようとしている。

 逃げなきゃ、と後ずさるも、声の大きさに足が竦んで上手く動かない。


「その格好、よもやタヴェルの姫ではあるまいな。であれば民を見捨て逃げ出したか!」


 聞いたことない名前だ。

 違う、と答えようとしても聞いてくれなさそうな顔つきだ。ここでやっと足が言うことを聞き、走り出そうとするも、気付かぬ間に後方にも人がいる。


「ちが、わたし……」

「その娘は生かして捕らえよ! セウブ様の御許に運び、身元を検めねばならぬ!!」


 誤解が生じている。ひとまず殺されはしなさそうだが、あらぬ誤解を受けたまま捕まるのはたまったものではない。しかし逃げ場はないか希望に縋ってみるも道はふさがれている。逃げるには道を逸れるしかないが、その場所は左右がアレッシアの頭ほどもある高さの壁になっており、登れそうもない。

 兵士達が乱暴に駆け寄る姿はロイーダラーナの裏路地を思い起こされる。

 怒鳴り声にたまらず身をすくめると、兵士達のものともちがう声がした。


「目を瞑れ!」


 反射的に目を閉じると、瞼の向こうで何かが弾ける音がする。

 続けてぎゃ、という男達の悲鳴が続き、鼻の奥をツンとした強い臭いが遅った。たまらず咳き込みかけると急に手を引かれ、衝撃と共に身体を持ち上げられる。上から引き上げられた反動で何かに跨がった。


「わぁ!?」

「掴まれ!」


 お尻に当たるのは柔らかな感触だ。何かの生き物が足を動かし、地面を蹴る反動で身体が揺れる。ずり落ちないように声の主に従ってしがみ付き、強い刺激に涙をこぼし、咳き込みながら目を開く。

 最初に飛び込んだのは、明るい茶髪を首の後ろで括り付けた少年のうなじだった。

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