5.禁じられた地へ
「ついほう……」
聞き覚えのある場所に、ルドが身を固くしたのが空気で伝わった。カリトンは様子見だろうか。アレッシアもストラトス家の書物を漁り得た知識なので、話題にするのは勇気が必要になるが……。
あの、と申し出たアレッシアをソフィアが咎める。
「質疑の時間ではありません。試練において、貴方がたはただ言われた通りに試練に挑めば良いのです」
「で、でもそこって……」
「お黙りなさい」
「……いや、構わぬ」
これにはソフィアが驚いた。まさか質疑応答を許すとは思わない、そんな表情で主を見つめる。
肝心の女神は相変わらず表情を動かさないけれど、いつもと様子が違うのは感じている。
少しむず痒い心地を覚えながらアレッシアは口を開く。
「追放地って、見放された土地だって聞きました。そんなところに私たちが行っていいんですか」
「なるほど。知りたいのはそんなことですか」
そんなこと、と女神は言うけれど、アレッシアや……護役やカリトンにとっては大事だ。
なにせ追放地とは公になっていない場所で、たとえ知っていたとしても、人々が存在はあえて口にしようとしない名前だ。
しかもヴァンゲリスの話が本当であれば、かつて彼の兄が追放された理由にこの場所も関っている。
アレッシアはその地の名前を知ってから、ストラトス家で書物を読みあさり、その実体を掴んだ。
「追放地は、私たちが勝手に足を踏み入れてはならない場所と聞いています。神々から見放された人々だけが住む流刑地で、足を踏み入れてはならないと……」
――
ピラミッド型で例えるならば、頂点にあたるのが、いまアレッシア達が立っている世界。神々が人々を当たり前に統治している世界だ。
第二層が、アレッシアも一度だけマグナリスに見せてもらったことのある世界。むかし巨人族が生きていた場所だが、彼らは神々に滅ぼされてからは無人の土地と化している。
第三層が追放地。
第四層にすべての死者がたどり着く死の国たる冥界が存在する。
追放地は二層と四層に挟まれているけれど、先も述べたように禁忌の土地で、もはやその正式名称は残されていない。
神々は追放地を忌むべきものとして考えている。
それゆえに人々も口を噤んでいるのだけど、アレッシアがわからないのは、忌避しておきながら、その地に向かう必要性だ。
ソフィアに言うとおり行けばわかるのかもしれないが、アレッシアは女神自身に答えを聞きたい。
不安交じりの彼女に、女神が何を感じたのかは不明だが――。
「私は追放地への祝福を怠ったことはありません」
「……嫌ってないんですか」
「おかしなことを言いますね。あれらとて、同じ世界に住む生き物。私たちの祝福を受け取るに足る理由があります」
女の物言いに少し違和感を覚える。
どこがどうとは説明しがたいが、はっきりわかることがあるとしたら、運命の女神はいま、追放地を嫌っているのではない点だ。
「続けてお聞きします。いつか他の候補者達も追放地に行くんですか」
「試練はお前達それぞれに合わせて与えているもの。すべて同一ではありません」
試練についての疑問はひとつ解消されたのは良かった点だろうか。
質問が許されているいま、他にも疑問を解消してしまおうと顔を上げるも、神官長ソフィアに阻まれた。柳眉を逆立てた彼女が間に立ち入り、アレッシアを見据えたまま女神に申し立てる。
「そこまでにございます。我が神、人にその愛を授けることは神官として喜ばしくございますが、候補者達には平等に対応してしていただきたく存じます」
「ソフィア」
「我が女神、お止めくださいませ。他の者に示しがつきません」
怒りを見せているようで、どことなくだがソフィアは焦りを感じている。
何が彼女を突き動かすのかは不明だが、質問はここまでらしいと諦めた。
「わかりました、ありがとうございます」
ここまで、とあればあとは追放地へ行くだけだ。
肝心の場所へは女神が送ってくれるらしいけれど、その前に、とソフィアが言った。
「神官長としてアレッシアに命じます。此度の試練は、禁じられた地へ赴くために護役はは一人だけと制限を設けます」
「はい?」
「戦士カリトンの同行は認めましょう。ただし、その目的は我が神より賜りし命の遂行であり、試練への手出しは許されません。よろしいですね?」」
厳格な言葉にカリトンが膝をつく。
「我が女神の神命に背くことはないと、この魂に誓ってお約束する」
困ったのはアレッシアだ。
ルドかリベルト、どちらか一人しか連れて行けないのなら、初めからそう言ってくれたらよかったのに、突然選ばなくてはいけなくなった。困り果てて彼らを見上げるのだが、引いたのはリベルトだ。
「追放地に行くのであれば、私よりもルドが適任だろうね。アレッシア、彼を連れて行ってもらえるかい」
「でもリベルトはそれでいいの?」
「ついて行きたい気持ちはあるけど、どちらかといえば私は裏方だ。力量ではルドに劣るし、何が起きるかわからないとあれば鼻の利く方が適任になる。そうだね、ルド」
「いや、しかし、だな」
ルドは託された任務を断る性格ではない。どちらかと言えば黙って仕事を引き受ける人のはずだが、託されたというのに歯切れが悪い。彼がそんな調子だから、アレッシアも不安に感じてルドを見上げた。
「やっぱりルドは追放地に行きたくない?」
「行きたくないというわけではないが……リベルト、俺では騒ぎにならんか?」
「多少騒がれる程度がなんだというんだい。君のことよりもアレッシアの身の安全を優先してくれないか」
「確かに、それはそうだが……」
「君を信頼しているから私は待っていられるんだ、よろしく頼んだよ」
リベルトの意思は変わらないらしく、一同から距離を置いてしまった。
こうなってしまえば説得には応じてくれないだろう。
アレッシアが覚悟を決めて女神に向き合い、ルドもまた彼女に付き従った。三人の決意を見て取った運命の女神が鷹揚に頷き、杖の底で床を叩く。
カン、と鳴った音が神殿全体に響き渡り、その場に不思議な力が満ち始める。
それは言葉では言い表せない感覚を味わっていると、虹色の光がアレッシア達を取り囲み輝き出す。光は段々と強くなり、アレッシアは壇上にいる神に向かって顔を上げた。
女は静かにアレッシアを見つめている。
人ではない存在と意思を交わすなどできないが、この時だけは、なぜか相手が己を案じているかのような錯覚を覚えてしまう。
――まただ、と湧き上がる、郷愁に似た感覚。
無意識に胸元を左手で押さえ、食い入るように彼女を見つめていたから、リベルトの見送りに返事が遅れた。
「アレッシア。君の進む道に、君の信じる願いが添えることを祈っている」
あたたかみがあって、けれどリベルトから聞くにはどこか意外な言葉。
こんな時でなければ悪い物でも食べたのかと心配になってしまうが、一瞬だけ交差した視線の先、彼は力を抜いて穏やかに笑んでいた。
行ってきます、と返した時には輝きが広間を覆うほどに達しており、見送る人々の姿は見えなくなってしまっている。
床にぽっかり穴が開き、足元から落下して――。
目の前に青空が広がっていた。
「ぎゃーーーーーーーーーー!?」
全身に風が当たっている。手足をジタバタと動かし、内臓がひっくり返る浮遊感を理解した瞬間から叫んでいた。
アレッシアは空中にいる。
空を飛ぶ事態は経験があるけれど、いつもは乗り物に乗っているから自由落下は初めての経験だ。しかもそう遠くない距離に地面が迫っているのだから始末に終えない。叫びながら「ヤバい」と頭が警鐘を鳴らしているも、アレッシアに対処法はない。なにせ女神の候補者として名は連ねていても、実体はただの人間。高所落下に備えなどあるはずなく、口に入り込む風に抗って、無意味に悲鳴を上げていた。
「死ぬうぅぅぅぅ!」
と叫んだ端で、彼女を受け止めた者がいる。
あわや絶命の手前でアレッシアを助けたのはカリトンで、少年は獣に跨がりながら、迷惑そうに腕の中の少女を見下ろした。
「うるさい」
「死ぬかと思ったんです!」
「見過ごすはずないだろう、いちいち騒ぐんじゃない」
「そんなの見えなかったし! っていうかここどこですか!」
「森なら見えるじゃないか」
言われてみれば、眼下には広大な森が広がっている。遠くには切り立った崖や川が流れており、その様相は未開の地を連想させる。
狼はゆっくりと地面に降下し、二人を安全に下ろしてくれた。カリトンが自らの使役獣を褒めて撫でる間、アレッシアは周囲を見渡す。
サンダルの隙間からみえる素肌に雑草の先端が刺さり、ちくちくしている。
「こんな、あっけなく来られるものなんだ」
木々の間を吹き抜ける風はやや冷たく、少し土の香りを含んでいる。緑の天蓋から差し込む光を浴びて、木の根が張った地面の上で所在なさげに両手を組んだ。
ここがニルンの第三層。『追放地』と称される場所らしいけれど、肺に満たされる空気は清浄で、普段生活している第一層と何ら変わらない。
そして本来、アレッシアを助けるべきだった護役の名前を呼んだ。
「ルドー?」
居るべき人狼の姿がなかった。
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