4.新たな試練の行き先
運命の女神の神殿から報せが到着したのはトリュファイナの来訪日からしばらくしてからのことだ。ある程度覚悟していたとはいえ、はじめに寄越されたのは小鳥だ。
この時、アレッシアはちょうどある男女と対峙していた。
ストラトス家当主ヴァンゲリスと、婚約者イリアディスである。
かつて実の兄を告発し、ロイーダラーナから追放したヴァンゲリス。その兄の婚約者だったイリアディスが真実を知り、家に籠もってしまったのだが、あれからヴァンゲリスはアレッシアに励まされたのもあり、足繁くイリアディスの元へ通っていた。彼なりに言葉を尽くしていたらしくも、すべてが空振り続きだったが、今回ようやく彼女を連れてくるに至った。
出て行った手前、気まずかったのだろう。アレッシアは喜んだものの、彼女はやや居ずらそうに、そして前より少しヴァンゲリスに距離を取りながら言った。
「ヴァンが、自分一人じゃ年若い女の子が住みにくいからって言うから……それに、貴女も寂しがってくれてるって」
「えっ?」
「ああ、それになんてこと。たった数歳とはいえ年を取ってしまったなんて。長く生きるあたし達と違って、あなたみたいな普通の女の子には大事な時間なのに!」
どうやら彼はアレッシアをだしにしたらいい。
イリアディスを動かすなら自分の言葉で語るべきではないか――目元を厳く細めるも、婚約者の背後でヴァンゲリスが必死の形相で「すまない」と謝っている。ここで彼を責めるのも違うのだろうし、仕方ない、とヴァンゲリスの頼みを受け入れることにした。
それに実際、イリアディスがいるといないとでは過ごしやすさが違う。彼女の不在を経験してわかったけれど、イリアディスは次期当主の婚約者としてやってきただけあって、たしかに女主人としての実力がある。落ち目続きだったストラトス家は、彼女の人柄で支えられていた部分も大きいのだ。あれから真面目になったヴァンゲリスは存外仕事こそできるものの、家に纏わる行事ごとや指示についてやポンコツ気味。ましていまはイリアディスの実家に金を借り、両親の残した遺産に手を付け、女神候補を預かっている有名や支援金を利用してなんとか黒字に持って行き始めたあたりになる。
執事のパパリズや召使いが支えているとはいえ、彼女達も万能ではなく、どうしても手が回らない。彼らが万全に働くためには、やはりストラトス家内を治める司令塔は必要で、細かな気遣いに関してはイリアディスに分が上がる。このときもアレッシアが身につけていた髪飾りに目を留め、そっと触れると諦め半分でため息を吐いた。
「もしかしなくても、あたしが用意したものを最後に、装飾品なんかを新調してないのね」
「え、ううん、だって髪飾りだけでも十個はもらったし……」
「可愛らしいおばかさん。女神様の候補なら、貴女はどこのお姫様よりも美しく着飾る権利があるのよ。だってそれが許されている女の子なんだもの」
「動きにくいのはやだなー」
「でも、着飾るのは嫌いじゃないでしょう?」
「それは、うん。好きだけど」
アレッシアとて年頃だ。しかも前世での年齢や記憶はともかく、いまや中身は見た目の年齢に引きずられている自覚がある。だから綺麗な装いをするのは好きではあるけれど、お姫様は言いすぎではないか。けれどもイリアディスは本気で言っているらしく、ヴァンゲリスも彼女に同意して頷いている。そんな彼を疑わしげに睨んだイリアディスは、子供の前で喧嘩は良くないと思ったらしい。すぐさま表情を取り繕った。
「瑪瑙と琥珀を金であしらった髪飾りを仕立てましょう。銀の方が貴女の髪には合いそうだけど、その腕飾りは放せないし、色を合わせないとね」
アレッシアの腕に嵌まっているのは、候補者達全員が授かった不思議と決して外れない金の腕飾りだ。いまも汚れ一つなく、輝きを放ちながらアレッシアの細腕に嵌まっている。
鳴き声に釣られ天井を見上げると、小鳥が飛んでいる。一体どこから入り込んだのか、一同の注目を集めた青い小鳥は彼女の肩に留まり、嘴を開く。
そこから流れたのはうっとり聞き入るような小鳥の音色ではない。流暢な女の声だった。
『運命の女神の名において、神官長ソフィアが新たな試練を申し伝えます。これより二度の朝陽を迎えた後に出立の準備を整え神殿へ参じなさい』
小鳥は二度同じ言葉を繰り返した後、再びどこかへ飛び去った。
こうしてアレッシアの試練の開始が決定された。しかもソフィアは旅立ちを示唆しており、しばらくストラトス家に戻れないのは必須になる。再会の挨拶もそこそこに準備が始まり、心の準備を整えるだけで、すぐにその日は訪れてしまった。
アレッシアはヴァンゲリス達の見送りを受けるのだが、その前にイリアディスだけを呼びだし、こう告げている。
「あのね、私はヴァンに味方しなきゃいけない立場なんだろうし、イリアがどんな思いがあったのかも、聞けずにいるんだけど……」
アレッシアが慰めようとしていることに気付いたのだろう。少し驚いた様子だが、優しく頬を撫でてくれる。
「大人の事情を気にしてはだめよ。あたしのことは気にせず、貴女は貴女のことだけを考えていってらっしゃいな」
「そういうわけにはいかない……ええと、私はイリアのことも好きだもの」
大人だったときの名残はどこに消えてしまったのだろう?
自分で言葉にできないもどかしさを抱えながら、イリアディスの手を握る。
「ひとりで抱え込まないでね。私はヴァンの味方でもあるけど、だめなことはだめってちゃんと叱るし、イリアにひどいことをしたら、ちゃんと怒るんだから」
ヴァンゲリスの味方だと言った手前、イリアディスの味方面するのは八方美人になるのだが、二人が好きであるがために極力傷つかずにいてほしいのだ。想いをうまく言葉にできない焦りを感じ取ったのか、イリアディスは柔らかく微笑んだ。
「そう、ね……なら、試練が終わって戻ってきたら、あたしの話を聞いてもらえないかしら」
「……うん! 聞く!」
頼られたのが嬉しいのか、アレッシアは顔がほころぶのを自覚する。彼女はイリアディスのことだって好きなのだ。少しでも力になれるのならこれほど嬉しいことはなく、彼女の話を聞くためにも、早く試練を終わらそうと決意を固める一助になる。
当日同行するのはルドやリベルトの他にカリトンが加わる。護役以外の者が同行するのは如何なものかと問われそうだが、カリトンとて女神より直々に託された使命がある。行きはカリトンの狼を出してもらい二人乗りで神殿へ向かうのだが、ルドはリベルトの出した鷹に騎乗した。番のため二匹いたおかげか、むさ苦しい男の相乗りを見なくて済んだのは幸いだ。
何度か空を飛べば、いくらか余裕も生まれてくる。
カリトンに支えてもらい、髪をたなびかせながら問うた。
「新しい試練ってどんなのでしょうねー!」
「呑気にしてないで、もう少し緊張を持って取り組め」
「緊張したってどうにもなりませんよー。なんにもわからなかったんですもの」
「だからなおさら言ってるんだ、この愚か者!」
神殿に到着すると、早速神官の出迎えを受けた。
案内された先は謁見の間で、いままでと違うとすれば、広間にはずらりと若い娘達が揃っていた点だろう。全員巫女服を纏っているも顔を隠すためのフードを被っており、広間を囲むように壁に沿って跪いている。頭を垂れ、祈るように両手を組み合わせており、まるで孤児院で行っていた祈りの時間のようだ……と感想を抱いた。
あの中にアレッシアが知る五人もいるのだろうか。
探してみたくはあったが、緊張感漂う雰囲気の中では、いくら子供の無邪気を装っても行けるものではない。いくらなんでも馬鹿にはなりきれず、大人しく神官長ソフィアの元へ歩を進めた。
階上ではすでに女神が座しており、足を組んで目を瞑っていた。
先頭に立つアレッシアはストラトス家で教わったとおりに頭を下げる。背後では、ルド達が膝をついているだろう。腰を曲げた状態を維持していると、神官長ソフィアから頭を上げる許しをもらえる。
「よく来ましたね、勤勉なる候補者アレッシア。護役達に、女神の戦士カリトンもよく務めを果たしているようです。貴方がたの祈りが我らが女神に届いている証でしょう」
「――過分なお言葉、ありがとうございます」
子供でも世辞を答えねばならないのが候補者のつらいところだ。多くを語らないアレッシアを、ソフィアは緊張していると思ったらしく、にこりと微笑む。
「すでに他の者達が旅だったのは聞いているはず。しかし貴女へ連絡が遅れたのは、貴女が他の候補者より一歩抜きん出たことに理由があります」
言葉の意味を掴みかねていると、後ろでカリトンがこっそり教えてくれる。
「つまり、此度の試練はひとりだけ内容が違うとソフィア様は言いたいんだ」
「あ、なるほど…………私だけ違ったんですね?」
「僕が知るか」
聞こえていたのか、ソフィアに若干苦笑された。
「……失礼しました。ストラトス家も他家同様に情報収集に優れていると考えたわたくしが悪かったようです」
他の人達の試練内容まで知っていると思わないでもらいたい。ストラトス家はたしかに優秀かもしれないが、他の家々に比べると人手が不足している。
釈然としない思いを抱えるも、頭の中では冷静に、今後は情報戦も必要になるらしいと納得した。マグナリスの神殿後、本来ならなんらかの情報収集を行わなければならなかったのだろうが、ストラトス家は家を建て直すのに必死だし、いまもその最中だ。呑気に構えていた己にも問題あったが、これは帰ってから要改善だ。
ただ、いまはこれから与えられる試練に備えねばならない。
ソフィアの話が終わると、女神が瞼を持ち上げる。
彼女と目が合う瞬間は……いつだって不思議な心地だ。
居ても立ってもいられないむず痒い気持ちで見つめ合ったものの、相手が何を考えていたのかはようと知れない。女神が下した試練は簡潔だった。
「追放地に行きなさい。そこにお前が学ぶべきものが待っています」
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