37話 いっときの休息を

 かしこまった双子に目を白黒させるアレッシアだが、彼女の口から出たのは困惑だ。

 トリュファイナの背中に手を回しながらも、しどろもどろになって答える。


「わ、私は何もできなかったんだよ。だって、本当は何も……」


 無力感に苛まれているからこそ、お礼を言われて情けなさが増して泣きそうになっている。しかし否定しようとするアレッシアに双子は熱心に言った。


「いいえ、いいえ。トリュファイナはきっと、貴女様だからこそ大人しく頭を垂れ続け、言うことを聞いてくれたのです」

「私たちは死んでいたそうですが、見ていなくてもわかります。貴女が彼女のために働いていていなければ、迂闊な言葉を口にしていたに違いありません」

「誰だって主神を前にすれば、命乞いをするのが当たり前でしょう。トリュファイナの口を海底の貝のように噤ませてくれたからこそ、いま、この時があるのです」


 彼女達の話が本当なら、トリュファイナの母捜しのためにアレッシア行動したことが、命を救った要因らしい。必死だったアレッシアには「たったそれだけ」の気持ちを隠せないが、双子達には重要らしい。そしてそれはトリュファイナも同様だった。

 アレッシアから離れた彼女は、なぜか悔しそうに言った。


「命を助けてくれて助かったわ。ありがとう」

「なんか、そのわりに全然ありがとうって顔じゃないんだけど……」

「……そんなことはないわよ。落ちこぼれだった貴女が時を操ったのが悔しいなんて事はないんだから」

「悔しかったんだ」


 素直にお礼を言ってくれないものか。

 半分呆れたけれど、神妙になって涙を流しお礼を言うトリュファイナを想像すると、怖気が走り肩をさすりたい気分になってくる。よくよく考えてみれば、アレッシアもお礼を求めて時を遡ったわけではないのだ。こちらの方が彼女らしいと思えば、やっと安堵した様子で笑った。


「でも、こっちの方がトリュファイナらしいね。助かって良かった」


 アレッシアは喜ぶのに、肝心の彼女は複雑そうに視線を逸らす。まだ何かあるのかと首を傾げれば、疑惑の眼差しで問われた。


「身体」

「え?」

「身体よ。いきなり成長したみたいだけど、異常はないの」

「あ、うん。ちょっと調子は悪かったけど、神殿で治してもらった」

「……本当に?」


 疑いの眼差しでぺたぺたとアレッシアの頭から手先まで触ってくる。アレッシアはルド達に助けを求めたが、彼らも巫女を止めるつもりはないようだ。一方でトリュファイナはいたく真剣な眼差しで、手首の脈を測るように親指を添えながら呟いた。


「運命の女神は身近な存在のわりに、謎が多い神よ。力のことは、私も詳しくないけれど……でも、だからってこんな風に年を取るなんて……」

「でも、大丈夫だったし」

「……貴女は馬鹿なの。本来在るべき姿じゃなくなってるのよ」

「泣かないでよ」

「泣いてない。いい加減なこと言わないでもらえるかしら」


 アレッシアの体調を気にしているのだろう。しばらく触り続けるも、問題がないとみるや踵を返した。寄っていけば良いのに帰るつもりらしい。

 アレッシアの誘いを断った彼女は、複雑そうな表情で振り返り言った。


「……気をつけなさいよ」


 深々とお辞儀をする双子を連れ、本当に帰ってしまった。最後まで素直じゃないとアレッシアは苦笑しきりだが、なんともいえない空気を醸し出していたのはトリュファイナだけではなかった。ルドやヴァンゲリスも同様で、つまり大人達がこぞってアレッシアと距離を置いている。理由を教えてくれたのは、ひょいと彼女を持ち上げたリベルトだった。

 まるで小さな子供を持ち上げるみたいに、片腕に抱きかかえたのだ。アレッシアが彼を見下ろす形となるのだが、そんなことをされる理由がわからない。


「え、いや、ちょっと、私歩けるんだけど」

「まあまあ、まあまあまあ、疲れてるだろうから」


 などと意味のわからないことを言って屋敷へ引き上げる。彼一人だけが、湧き上がる喜びを隠せないと言った様子で微笑んでいた。


「ねえリベルト、どうしてルドやヴァンは落ち込んでるの。私、なんか悪いことした?」

「いや? 何も悪い事なんてしてないさ。今回は私だって流石に驚いたけど、ストラトス家にとっては望外の喜びだろうし、君が女神の後継として頭角を現したのは、ルドも鼻が高いはずだよ」

「でも、喜んでるようには見えない」

「それはトリュファイナ嬢もだね」

「トリュファイナは、女神になりたいから悔しかったんじゃないの?」

「違うよ」

 

 簡潔に呟くリベルトの足は早く、少しだけ皆と距離を置くと、アレッシアにしか聞こえない囁き声で言った。


「……君が立派になったのは嬉しい。だけど主神に目をつけられてしまったから、みんな心配している」


 まるで禁忌でも話しているかのようだ。アレッシアも、皆が迂闊に主神の話題をするわけにはいかないのだと気付き声を潜めた。


「そんなにまずいことなの?」

「少なくとも、陽気に構えていられないんじゃないかな。普通なら喜ぶところなんだろうけど、私もルドも、それにヴァンゲリスも、望みは君が君のままで過ごしてもらうことみたいだからね」


 主神に目をつけられた、の意味を真実理解しているわけではないけれど、あの傲慢な主神の危うさは実感している。やだなぁ、と心の中で呟いて、必要以上に皆の心配をかけぬように明るく振る舞った。

 ひとまずは無事の帰還を喜んで食卓を囲むことになったのだが、その場で、いまだになぜか留まり続けるカリトンが言った。


「女神の命により、僕はしばらくストラトス家に滞在させてもらう」


 うぇ!? と叫んだのはアレッシアではなく当主のヴァンゲリスだ。いかつい護役達に加え、女神の戦士であるカリトンの滞在は、彼にとって窮屈になるものらしい。

 アレッシアも、なにかしら裏があるとは思っていたが、まさか一緒に住むとは思わず驚いた。

 ヴァンゲリスの感情など気にも留めないカリトンは、ルドの質問を受ける。

 

「任務の内容をお伺いしてもよろしいだろうか」

「お前達と一緒でアレッシアを守る……そんな類と思って良い。だから世話になる以上は同様の働きをしてみせるつもりだが、護役の役目を奪うつもりはない」

「それは……」

「手足が一人増えた、くらいに思ってくれ。それに力になるといっても、できないことはできないとはっきり言うし、これはお前達の矜持にかけてあり得ないだろうが、頼りにはしないでもらいたい。僕の務めは我が女神から託された役目をこなすことだ」


 両腕を組んでいたリベルトが身じろぎする。アレッシアと対峙していたときとは違い、その眼光は鋭く厳しい。


「内容が曖昧過ぎはしないだろうか。詳細をお聞かせ願いたい」

「言えない。だが、お前達にとって不利になるものではないとは誓おう」

「女神付きの戦士として、貴方の方が立場が上だ。状況によっては私達にしたがってもらう状況もあり得るが……」

「僕の任務に抵触しない限りは従おう」


 それに、と年の差を感じさせない泰然とした態度でカリトンは告げる。


「神によって与えられた命を、自らの感情のために揺るがせるつもりはない。同じ神に仕える以上、僕とお前達は同等だ」

「……その言葉が真実であることを祈ろう」

 

 カリトンの派遣は、下手をすれば、護役達にとっては自分たちを信用されていないと同義の命令だ。しかしアレッシアは単純で、顔なじみと再び共に過ごせることを喜んだ。


「じゃあ、じゃあ、これからもカリトン様とたくさんお話しできますよね!」

「まあ、そうなるが……アレッシア、僕のことは呼び捨てで良い。僕はただ女神の戦士の一人に過ぎないし、いまとなってはお前の方が上の身分なんだから」

「様付けをやめろと言われても、いまさら過ぎて慣れません」

「ならこう言おうか。直せ」

「はぁい……あ、そうだ、エレンシアへのお手紙は……」

「問題ない。そのくらいなら届けてやる」

「やった」


 アレッシアが喜ぶから、顔を顰めていた護役達も容認せざるを得なくなった。

 皆も、いつまでもひりついた空気でいるのはよろしくないと悟ったのだろう。無事の帰還と、アレッシアが一歩抜きん出た喜びに乾杯の一杯を掲げる。

 意外な事に、過去に遡った話を聞きたがったのはヴァンゲリスだけだ。カリトンは聞いていたらしいが、ルド達は踏み込んで聞いてこようとはしない。

 アレッシア自身も詳細を語るのは難しいと言葉を濁したが、一同の空気は悪くなかった。ヴァンゲリスは話題の提供に事欠かないし、リベルトが話し上手のため、いつの間にかマグナリスの一件を忘れられてくらいだ。それにもっとも女神から遠いと思われていた番外、あるいはおまけことアレッシアの活躍は、ストラトス家にとっては喜ばしい出来事になる。

 主神に目をつけられた点は差し置いても、彼女が一歩抜きん出たことは、彼らにとっても喜ばしい。使用人間でも噂はあっという間に駆け巡ったらしく、パパリスが楽器を持ちだし、演奏が始まると一気に和やかになった。

 唯一イリアディスがいない点だけが、アレッシアを寂しくさせたが……。

 婚約者の不在には、ヴァンゲリスがそっと微笑み、彼女にこっそりと語っている。

 

「私たちには話し合いが必要だった。遠くないうちに……また会えるさ」

「イリア、大丈夫かな」

「……私の頑張り次第なのだろうけど、君は私の味方でいてくれるんだろう?」

「う、うん。それはもちろん。ねえ、だけどヴァン」

「うん?」

「私が言った言葉、覚えててくれるんだね」

「変なことを聞くね。もちろん覚えているさ、君のあの言葉が私に、また立とうと思わせてくれたんだから」


 時を遡った影響は、過去をどこまで変えたかわからなかった。しかしこうして確認するに、ヴァンゲリスに語った言葉はなくなっていないようだ。

 後に方々確認しているが、変わったのはトリュファイナに関わる事項のみで、他に関わった過去や会話は変わっていないらしい。もし過去が変わっていたらと案じていたので、ほっと胸をなで下ろしたアレッシアである。

 夜になると自室に引き上げ、バルコニーに出ると星空を見上げた。

 キラキラと輝く空は、こころなしか星が近いようにも感じられる。主神との出会いをはじめとして神や顔なじみとの再会。宴という名の食卓を経て、興奮し通しだった一日がようやく落ち着くのだ。

 少し成長した身体は、少しだけ身長が高くなった。目線の違いに違和感を覚えながらも、いまになって自身の変化に目を向ける。


「まあ、神様とか魔法とかありきの世界だし、ちょっと成長したくらいじゃそんなに驚かれないのかも」


 アレッシアの変化。ストラトス家のパパリズや使用人なども驚きはしたが、大仰に騒ぎはしなかった。ヴァンゲリスも彼女の衣類を心配していたくらいだ。前世の世界だったら病院に放り込まれるくらい大事件のはずだから、こういうところが異世界情緒を感じさせる。

 たった一日では、今日あった出来事をすべて受け入れるのは難しい。贅沢に湯を浴び、ふわふわのタオルで全身を包み込む。灯りを消して寝台に潜り込むと目を瞑る。興奮して眠れないと思っていたが、睡魔はすぐに襲ってきた。

 すっかり忘れていたはずなのに、眠りに就く直前に思いだしたのは、振り返らない女神の後ろ姿と、戦神の横顔だ。

 今日のアレッシアは皆に祝ってもらえた。

 けれど反対に彼らは……わけもなく、寂しそうだったな、と思いが浮かんで……心は睡魔に紛れ、海底深くに落ちるように意識はなくなって行く。


 この日が、アレッシアの名が初めて歴史書に刻まれた出来事だった。

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