第35話 アレッシアとは"何"なのか

 この質問に女は不思議な反応をした。


「その質問をしたいのであれば、まず私に教えるべきでしょう。貴女はどのように過去を変えたのですか」

「え?」


 それこそ意外な反応だ。てっきり女神はすべてお見通しなのかと思っていたのに、なぜアレッシアに問う必要があるのだろう。思わず身を乗り出していた。


「なんで私に聞くの。それこそあなたは神なのだし、全部わかってるはずじゃない」


 女はじっとアレッシアを見つめ、反応を探っている様子でもある。ゆっくりと茶器を口に運ぶと喉を動かし、しばらく置いてから言った。


「調べようと思えば可能です。ですが、私はその必要性を感じていない」

「必要性、って……」

「お前は遡り、トリュファイナという娘の命を救った。私はお前から時織りの力を感じ、その反応からあの娘の運命を変えた事実を知っただけ」

「なら……」

「あの娘が生きるも死ぬも、ニルンに大きな影響はありません。ひとつの命が消えるだけの事実に、運命の女神が干渉する理由がどこにあるか、お前は答えられますか」


 難しく、そして嫌な問いだった。

 答えられないアレッシアに女は続ける。

 

「ゆえに事象を探る必要を感じていない……マグナリスも同じ見解でしょう」


 アレッシアは手の平を握った。彼女にとってはあれほど大事だった事件が、取るも足らない事象なのだとこともなげに語られてしまったせいだ。

 わかっていたことだけど……と、なぜか失望している自身に気付き女を睨み付けるが、当然ながら堪えてすらいない。

 なぜ女神の態度を残念と感じてしまうのだろう。

 私は、と強めに言った。


「トリュファイナが目の前で殺されるのをみた」


 返事はないし、それに無感動だ。

 なんら感慨を抱かない瞳に下唇を噛むも、すぐに続きを喋る。


「マ……あの神に、無残に、虫けらみたいに殺された。トリュファイナはちょっと捻くれて、いじけてただけなのに……だからそれが許せなくて、認められないと思ったら、神殿から招集がかかる前の過去にいた」


 過去に戻って何かできた、と問われたら「ない」としか言い様がない。アレッシアにできたのはせいぜいトリュファイナに協力することで、本当にやろう、と決めたことはなにもできなかった。実際は行き当たりばったりで行動しただけで、決め手になったのは女神の一言である。

 自分でできたことはなにもなかった。

 だからこの女が二人の命を救ってくれたときは嬉しかったのに、いまは「興味を向ける価値すらない」と言外に言われて失望している。

 この胸に湧き上がる感情は何なのだろう。

 女神を目の当たりにし、無性に胸を掻きむしりたくなる感情を持て余して、それを誤魔化すために睨み付ける。けれど相手はやはり……瞳にすら、なにも感情を抱いていない。


「そこで会ったのですね」


 その上、この「会った」が誰にかかっているかは明白だ。女の後継となるはずのアレッシアやトリュファイナより老婆を優先する発言に、つい叫んだ。


「なんであなたが守るべき私たちより、そんなこと気にするの!」

 

 冷静さを欠いていた。

 ましてこの女神が誰を気にかけようが関係ないはずなのに、なぜアレッシアは怒鳴っているのだろう。自分自身に戸惑いを隠せずいると、女神は彼女の心中など意に介せず問うた。


「老婆はお前に何を示しましたか」


 どこまでも人に興味がないのだろうか。

 アレッシアは答えられない。

 それはわけもなくズキリと痛んだ心臓に気を取られたからでもあるし、深く傷ついた事実を受け止めがたかったせいかもしれない。

 胸のあたりを押さえながら、熱くなった己を誤魔化すように俯いた。


「……言わない」

「そうですか」


 聞いて来たのに素っ気なく終わる。この態度に不満が態度になり、アレッシアの身を硬くさせる。


「…………あのおばあさんは、なに」

「それを知りたければ、試練を超えなさい」


 なぜこの女神を前にすると感情の自制ができないのだろう。

 アレッシアは苦々しい気持ちを隠せずにおり、しかし食ってかかるのも悔しい気がして口を閉ざしてしまう。

 そんな彼女に女神は訊いた。


「時に、お前を連れてきたのはもう一つ理由があります」

「……もう一つ?」


 老婆のことがそんなに重要な話だったのだろうか。訝しむアレッシアに、女はひたりと彼女を見つめる。


「お前には、世界はどう見えていますか」


 この世界の人間は、本当にわけのわからない問いばかり投げてくる。

 辟易しながらも答えたのは、いつか神官長に習った模範的回答だ。マグナリスをはじめとした神々に規律を定められた世界では、人は道を違わず、正しく生きて行くことができる。与えられた恵みを享受することが人間の幸せであり、繁栄の道。これを違え逸れれば神々に罰を与えられる。それがニルンでの在り方……そこら辺の本を探せば、容易く見つかる回答になる。

 だがこの返答は、女神の求めるものではなかったらしい。


「それが本心ですか」

「もちろんです」


 嘘である。

 実際人々を目の当たりにすればものは豊かで、人々はそれなりに優しく、生きて行くのに困らない世界ではあるが、現代日本人の感覚では、この教えだと人は管理された家畜だと思えてならない。

 だがそれを神の一柱の前で声にして良いはずがない。

 大人しく猫を被り、文句は言わせないと言わんばかりに胸を張って主張していると、女は頷いた。 


「なるほど。質問を変えましょう。であれば先ほどの巫女達……お前には、あの子達はどのように見えましたか」


 質問の意図が読めない。否、巫女というのが孤児院の仲間達だと伝わったが、なぜそんなことを問う必要があるのかがわからなかった。


「どの――? って、みんながなんだって言うの」

「…………そうですか」


 女神は小さくつぶやく。心なしか寂しそうで、わけもなく胸が揺さぶられるのだが、次の瞬間にはひゅっ、と息を呑み、呼吸ができなくなり、それどころではなくなった。


「では、お前の中にもうひとつ、見慣れぬなにかが混ざっているのは覚えがありますか」


 見慣れぬなにか――。

 この瞬間まで前の自分アレッシアの仇をとることなど頭から抜け落ちていたのだが、思いもよらぬ一言で思いだした。

 それはもしかしなくとも、前の自分のことだろうか。否、それにしては「もうひとつ」の言葉が気に掛かってならない。女の言葉はまるで過去と現在では、アレッシアという存在が違うものだと語っているようで……。


「し、知らない」


 頭痛に襲われた。

 これ以上考えたらいけないと危機感が胸に迫り、降りかかる圧すら振りかぶってはね除ける。ぎゅっと目を閉じ呼吸を落ち着ける頃になれば、女神はアレッシアから興味を失っている。

 視線はアレッシアから外れ、足先から身体の向きまでも外が見える方角に向かっている。しばし質問が続くのかと待ってはみたが、声をかけられることもなく、おそるおそる席を立つと、その場を後にしようとして――ふいに足を止めた。

 女神を後ろから見つめて「ねえ」と声をかける。

 振り返らない女神だが、声が届いていないはずはない。

 アレッシアはことここにおいて、失念していた、最も重要な質問を声にした。


「時織りって、どういう意味」


 運命の女神という名前や、自らが体験した過去改変から、言葉の意味は掴んでいる。けれども女神が音にした「時織り」なる言葉は、アレッシアが考えるものとは何かが違う気がする。真実の一端を掴みたくて尋ねたのだが、女は微動だにしない。

 ただ、あの老婆の存在同様に確実な答えはないと思っていた。落ち込みも、狼狽もせずにさらなる疑問を――若干、戸惑いながら口にしている。

 マグナリスの言葉を想起する。


 「……あなたは、私の、なに」


 ――この娘はお前にとって特別だ。

 あの主神は確かにそう言った。アレッシアには意味がわからないけれど、女と対峙していると湧き上がる、言葉にし難い感情の数々があの言葉を証明しているように思えてならない。

 女神はわずかに身じろぎし、少しだけ首を傾けた。

 決して振り返りはしないけれど、たしかにアレッシアの方を気にかけたのだ。

 

「……知りたければ追いなさい」


 何を、とか、誰を、なんて親切な言葉はない。

 それだけが答えとしてもたらされたが、アレッシアは満足だ。女神の後継として進むだけなら答え合わせはいずれ成されるはずなのだから。

 そしてその時までに、アレッシアもひとつ、答えを見つけなければならない。

 踵を返し去る間際、再度胸を押さえながら、心の中で呟く。

 ――あんなに憎かったはずなのに、こうして直に話してしまったら、いまは懐かしいとさえ感じている。

 この心は一体何なのだろう。

 いまのアレッシアには、孤児院で目を覚ます前の記憶がない。

 少女の身体に生まれ変わってしまったのが理由だと、深く考えていなかったけれど、欠損した記憶に自分自身のルーツが隠されているのだとしたら、それは見過ごしてはならない大事な欠片なのではないか。


孤児院にいたわたしアレッシアって、何だったんだろう」

 

 つきんと痛む頭でかぶりを振って、彼女は神殿を後にした。

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