第34話 そのひとを見ると胸が苦しい

 周りの者は驚くも、事態が上手く飲み込めないのは彼女自身だ。

 ぽかんと口を開き、唖然と女神を見上げている。

 いまだ立ち上がることができない彼女に手を貸そうとしたのはディオゲネスであり、続いてルドが反応を示した。トリュファイナも遅れて反応を示したが、彼らを遮ったのは女神本人である。


「ソフィア、他の者を連れて帰りなさい」


 名を呼ばれた神官長が、ここでようやく存在感を取り戻した。女神に対し物言いたげではあるが、逆らう様子はない。言われたとおりその場を後にすると、残されたのはアレッシアと神の二人だ。

 これはどういう事態なのだろう。

 当惑を隠せずにいると、神と目が合う。不思議なことに、以前のような見えない圧はない。それどころかどこか人間味が感じられ、話しかけがたい雰囲気が取り払われている。

 ――これは誰。

 そんな感想を抱いてしまったくらいには別人だ。

 女は誰もいなくなるとわざわざ膝をつき、目線の高さを合わせて話しかけてくる。


「足に力が入らないでしょう」


 表情筋は動いていなかったが、やはり先よりも親しみを感じる。

 腰から下は力が入らない。「立てない」と答えようとして、思いだした。

 アレッシア前の自分はこの神が原因で殺されたのに、なにを素直に答えようとしているのだろう。


「立てるに決まってるでしょ」


 突き放すように顔を背けた。まるで素直になれないトリュファイナのようだ。内心でぼんやりそう感じつつも、地面に手をつくと立ち上がるべく力を込める。


「ぐ……この……」


 が、どれだけ踏ん張ろうとしても立てない。足の感覚はある、頑張れば足先もわずかに動く。だがそれ以上が進まない。額から汗を流し奮闘する姿に何を思ったか、女は軽くため息をつく。

 これにいっそう躍起になると、なんとか立ち上がることはできた。


「ほ、ほら、で、ででできた!」


 が、生まれたての子鹿の如く足が震えている。すぐに「あっ」と小さな声を上げると、バランスを崩し、倒れたところに女が手を出していた。

 少女とはいえ、それなりの重みのあるアレッシアを片手一本で、こともなげに支えている。


「成長したばかりで肉体がついて行けていないのです……まったく、無理をするからそういうことになる」

「無理って、そんなのあなたに言われる必要ない」


 反発してみたものの、為す術もなく横抱きに抱えられた。絶世の美女にお姫様抱っこされる現実に、つい目を白黒させる。手を激しく上下させるもびくともしないし、ルド以上に力強さを感じてしまう。


「た、立てるってば。自分で歩ける!」

「ここはマグナリスの領域。騒ぎ立てれば再び彼の注目を引くでしょうが、また興味を引きたいのですか」


 こう言われてしまうと黙るほかない。あの主神に比べたら、まだこの女神の方が幾分マシだ。この場に留まり続ける勇気はなく、口を噤めば、突如目の前に鏡が出現する。

 楕円形の縁が立派な鏡だ。だが鏡面があるべき場所は青白く輝きうねっている。女神はそこに躊躇せず踏み出すのだが、扉を潜る要領で鏡を跨ぐと、まったく違う場所に居た。

 簡素な、白い丸机と椅子が備わった広い空間だ。

 壁といったものはなく、仕切りは幾重にも重なり、どこから垂れているかもわからない薄布。太い柱の向こうに青空と、吹き抜ける風が鼻をついて気付いた。


「うそ。ここ、ロイーダラーナ?」


 返答はないが、間違えてはいない確信がある。椅子に下ろされるも女は薄布の向こうに消えてしまうし、残されて不安になっていると、時を置いて被り物を目深に被った少女達がやってきた。

 神官長ソフィアと似たような格好だから、おそらくは神殿に仕える巫女達だ。おもわず逃げ腰になったものの、彼女達が身につけていた腕輪に目が留まった。金に赤い宝石をあしらった腕輪にあっと声が上がる。

 ふふ、と少女達が軽やかに笑う。

 その子たちがベールを持ち上げると、間違いない。顔や髪型がわからないから気付くのが遅れたのだ。

 女神候補になる前、同じ孤児院にいた仲間達。神殿仕えになった五人が茶目っ気たっぷりにアレッシアへ微笑みかけていた。


「みんな!」

「ひさしぶりね、アレッシア」


 アレッシアが表情を晴らすと同時に、少女は嬉しそうに手を取る。


「ああ、じゃあここは、やっぱりロイーダラーナで間違いないんだ」

「もちろんよ。女神様があなたの状態を見かねて、連れてきてくださったのね」


 安堵いっぱいに胸をなで下ろすと、乱れていた髪を直してくれる。他の子達もアレッシアのきつくなった服を緩めたり、茶器を持ってくるなどして、手ずから飲み物を用意し始めた。ひとりだけは彼女を落ち着けるためか、手を握り続けている。

 

「あなたのことは聞いているわ。わたしたちも誇らしい思いで一杯よ」

「聞いてるって、どんな風に?」

「当然、女神様の後継に選ばれたことよ。さあ、こちらのお茶を飲んで。特別に栽培されたお花から作ったお茶なの。こっちは蜂蜜よ、気分が安らぐわ」

「むぐ」


 茶の飲み心地はやや爽やかさが強いが、蜂蜜を固めた飴の甘みが口内を助けてくれる。あたたかい飲み物を含んだためか、張っていた気まで抜けるようだ。

 アレッシアが力を抜いたのを見て、いまや巫女となった少女は微笑む。


「あなたはわたしたちの中でも素晴らしい子だったけれど、やっぱり特別だったのね。お話を聞いてからいままでずうっと、あなたの無事を祈っていたの」

「あ、わ、わ……」


 よほど嬉しいのか強く抱擁される。逆にアレッシアといえば、顔なじみと再会できて嬉しい反面、相手が喜びを見せると共に一気に複雑な心地になった。彼女達は誇らしいと言ってくれるが、その動機はあの女神に謝罪させてやりたいといった、いわば正反対のものだ。喜ぶ仲間たちを騙しているようで、申し訳ない気持ちが顔に表れてしまうも、少女達は気付ない様子でアレッシアを案じている。


「まだ気持ちが落ち着かない? それともどこか痛いかしら」

「あ……ううん。むしろ……良くなってるよ。足も動くようになった」


 それでも五人に再会できた喜びは、いつの間にか身心に活力を取り戻させている。あれこれと世話を焼いてくれる間に立てるまでに回復している。あまりに急激に疲れが取り除かれたら、たまらず両手を握りしめ、驚きを一杯に目を見開いた。


「あっという間に元気になったんだけど、もしかしてこのお茶、なにか不思議な力でもあるの?」

「ふふふ、それはまたいずれ、ね」

「あ、どこいくの?」

「あなたが元気を取り戻したから、女神様へご報告に行くの」

「え、え、待ってよ。まだ話したいことがあるんだけど」


 例えば孤児院の様子とか、彼女達の近況だ。

 不思議だった。

 孤児院にいた頃は彼女達に対し、執着や仲間意識は薄かったはずなのに、こうして再会すると話していたい気持ちが強い。知ったような口を利かれるのも変だと思い、どことなく苦手だったはずが、いまは心細ささえ感じている。

 狼狽えるアレッシアを、彼女達は目を細め、眩しいものをみるように微笑んだ。


「そばにいてあげたいところだけど、まだお務めが残っているの。あなたはあなたのお務めを頑張って? わたしたちはここに居るし、あなたがあなたである限り、いつだって会えるのだから」


 胸を張り、疑う様子もなく、心から言ってのける姿。

 それを聞いた瞬間、ズキンとこめかみが痛み、無性に悲しくなる。

 喉元まで何か言葉が出かかったけれど声にはならず、咄嗟に持ち上げかけた手は理性によって押さえられた。

 涙こそ流しはしなかったものの、己ですら制御できない感情に惑っている間に、仲間達は姿を消している。悲しみはすぐに消えたが、アレッシア自身、心の変化について行けず黙りこくっていると再び女が姿を現した。

 今度は杖を持っていない。

 運命の女神と称される神はアレッシアの真向かいに座り足を組み、その姿を見て、また人間臭いなとぼんやり感想を抱く。

 会話はない。目も合わない。女はいつの間にか用意されていた杯を傾け喉を潤し、ずっと瞼を閉じている。警戒心もへったくれもない姿だ。

 アレッシアは神々と対峙しておいて学習能力がないようだが……神の力を知ってなお、不謹慎にも悪い考えが過った。仲間達には申し訳ないけれど、復讐を果たしてはどうだろう。前の自分の無念を晴らすために、せめて一発殴ってやる……そう思ったのに、なかなか手が出ない。

 しかも決して好きになれない相手のはず。居丈高な嫌な女神だと信じていたのに、この女を見ていると、わけもなく泣きたくなってくるのはどういう事か。まったくもって情緒が慌ただしい。ぐっと奥歯を噛みしめていると、女が杯を置いた。


「会いましたか」

「え?」

「時を織る間にお前は“道”で会いませんでしたか」


 何を言っているのかさっぱりだったが、冷静になれば、問いには思い当たる節がある。


「まさか、あのおばあさんのことを言ってるの?」

「…………なるほど」


 ほんの一瞬、女神の瞳が揺らいだのは気のせいだろうか。なぜか悲しそうだったと感じてしまったけれど……瞬きの間に元通りだ。女神はアレッシアの発言を吟味したようで足を組み直す。一挙一動さえ目を釘付けにされてしまいそうな魅力があった。


「時織りを行ったことはわかっていた。その上で会ったというならば、ならばやはりお前は、正しく第九試練を越えたのでしょう」


 不思議な物言いにたまらずしかめっ面を作る。

 

「そうだ……それよ、それ。試練ってなんなの」

「そのままの意味です。私がお前達候補者達に課すつもりだった試練。そのうちの九つ目を、早くもお前が突破しました」

「そういうの、聞いてない」

「たしかに知らせる前でしたが、いつ何時であろうと、成したのであれば認めるべきでしょう。それが私の務めというもの」

 

 この女の変わり様は何なのだろう。

 精一杯険しい表情を作った。そうでもしないと、なぜか相手に懐かしさを覚え、従いたくなってしまう感情に負けてしまうためだ。


「あのおばあさんは何なの」

「それは私が答えるべきものではない。お前が自ずと答えを導き出すべきものです」

「それも試練?」

「お前が聞きたいのはそんなことですか」


 鉄面皮といおうか、まるきり感情が読めないので察することさえできない。どうやらこの問いは間違っていたらしいと黙り込む。

 決して短くはない時間をかけて考えた。そして女が、アレッシアが問いを導き出す時間を設けている事実に、わけのない感情を覚えてしまう。

 やがて、喘ぐように口を開いた。


「私、本当に過去を変えられたの?」


 自分にいま必要なのは答え合わせだ。

 そう信じて口を開いていた。

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