第30話 敵だから仲良くしたら駄目なんて理由はない

 気を取り直して、アレッシアが広げたのはメモ代わりの羊皮紙だ。この世界、製紙技術については動物の皮を加工した羊用紙が優れている。あるいは絹布をそのまま紙として使用する技術だが、少なくとも一般的なのは羊用紙になる。

 冊子状になっており、中身はこれまで学んだアレコレを記載している。新しい頁を捲り、最先端のインクを内包したペンを出すのだが、彼女ののたくった文字にトリュファイナは呆れた。


「…………下手くそねぇ」

「ううううるさいな」


 文字は読めるとはいえ、書くのは別だ。おまけに多く流通しているのはガラスペンで、普通の筆でも万年筆に似た形状になる。慣れない文字が簡単に上達するなら苦労はない。

 下手でもやっておかねばならないことはある。


「大事なことはちゃんと記しておくの。あと、長くかかりそうだからご飯も頼もう。トリュファイナ、何食べる?」

「…………任せるわ」


 沈黙が気になるも、果物の盛り合わせと、潰した芋を羊乳バターに絡めたマッシュにほろほろの焼いた肉を載せたものを頼んだ。芋と肉と油分がたっぷりの食事だが、恐るべき事に、ロイーダラーナではこれが軽食である。リベルトが小皿に取り分ける間に、イチジクを摘まむアレッシアは話を整理した。


「トリュファイナのお母さんについては、他に覚えてる事ってある?」

「……どうかしら。なんとなく見れば思い出すかしら……って感じ」

「そっかー。じゃあやっぱり直に見ないと駄目か」

「それをやろうとしたら……」


 悪漢達に絡まれたわけだ。食べながら話を再度整理すると、トリュファイナは母の容姿や家の内装はぼんやり記憶しているが覚えているが、他についてはわからないらしい。

 以前と違い今回は護役が四人もいる。直接見に行くのが早いと結論づけたが、ここでリベルトが言った。


「娘を売りに出す……となればあまり良い環境にはなかったはずだ。その上、マルマーとなれば大金を出したはずだし、一気に生活環境も変わったはず。長く住んでる者にあたれば、見当は付くんじゃないかな」

「リベルトはわかりそう?」

「うーん。私はロイーダラーナには疎いから、やはり地道に当たるのが一番だと思うよ。幸い強面がここにいるし……」


 笑顔の彼が視線を向ける先は、一人しかいない。ずっと腕を組み、仏頂面を続けていたルドが「おい」と突っ込んだ。


「まさか強面とは……」

「君以外誰がいると? 残念ながら、若い女の子は舐められやすい傾向にあるのが現状だ」

「お前がいるだろうが」

「私? いや、自分で言うのもなんだけど、私は人間にしては容姿が良いからね。大概、最初に喧嘩をふっかけられて、やり合ってからが本番だ」


 たしかにトリュファイナの護役の双子も、戦士の格好ではあれども見目麗しいので、なおさらよからぬ企みを持たれる方が高い。ルドならば人狼なのも相まって威圧感を与えるには充分だ。

 ここでアレッシアが挙手した。


「はい。リベルト、私はついていったら駄目?」

「駄目じゃないけど、外套をしっかり被って顔を隠すべきだろうね。トリュファイナ嬢もだけど、アレッシアも充分目立つ顔立ちだから」


 嬢、と初めて呼ばれたらしいトリュファイナは微妙な表情で呟く。

 一度実物を見学に行く。

 すでに失敗済みのトリュファイナに異論はなく、彼女の護役達も、姿を隠すのであれば了解済みだ。ただし、と長髪の女性が付け加えた。


「ロイーダラーナの、とりわけ貧しい者達の中をうろつく理由だけは示し合わせておきましょう。モラリス家、ストラトス家に向けてです」

「女神候補としてロイーダラーナの実状を知っておく必要があった。女性だけだと絡まれやすいし、意気投合したアレッシアの護役が同行した、でいいさ」


 リベルトはすでに理由も考えていた。スラスラと並べ立てると、アレッシア達には遅れてくるよう指示を出し、先に出立してしまう。

 アレッシア達はゆっくりと食べ終えてから出立するのだが、以前と同じように細路地に進入しても、誰にも絡まれることはない。フードを目深に被っていても女子供と知れる容姿の彼女達だが、人狼のルドが堂々と立っていれば、絡んでこようという愚か者はいないためだ。時間軸的に、昨日に男達を痛めつけたのも理由の一つかもしれない。


「女だけだといきって絡んでくるくせに、これだから弱虫共は……」


 この現状にドリは腹を立てていたのは、やはり性別で苦労したことがあったからなのかもしれない。転がっていた石を蹴飛ばした。

 アレッシアは鼻を押さえながら周りを見渡す。

 トリュファイナを助けたときは、実は奥深くまで入り込んでなかったらしい。奥に進むにつれて、色々な臭いが混じった、形容しがたい異臭が鼻につく。狭い通りは、風が吹くと汚れたぼろくずが舞い上がる。古びた壁は年月と雨風に侵され、ぼろぼろと内部の土が露出し、無理に建築を重ねた壁は太陽の光が遮った。路地の片隅には排水溝があるものの、ほぼゴミに埋もれている。壁際に座る人々は、不慣れな客人達の一挙一動を観察していた。

 行き先はルドに任せている。トリュファイナにこっそり耳打ちを行った。


「なにか、こう、ピンと勘に囁くものはある?」

「いまのところはこれといって……でも、そうね……」


 トリュファイナ自身、戸惑った様子で辺りを見回す。建物の二階を見上げ、心臓の辺りを抑えて言った。


「母のことだけはずっと思い出すわ。あの人の泣き顔が頭から離れないの」


 そっか、と呟くと、ルドの外套を引っ張り止め、その辺りにいた人に話しかけた。

 食事の間に聞いておいたトリュファイナの母の特徴を含め、子供がいなくなった後、生活がガラリと変わった夫婦はいないかを尋ね回ったところ、路地で寝ていた老婆で正解を引いた。


「人を探してるんです。十七年くらいまえにこの辺りに住んでたはずなんですけど……」


 老婆はアレッシア達を頭のてっぺんからつま先まで見て、手の平を向けて差し出すと、戸惑うアレッシアよりも速く、ルドが老婆の手に銀貨を置く。

 銀貨の裏表を確認する老婆は、黄色い歯を見せながら言った。


「十七年かははっきりしてないけど、そのくらい前なら子供を売った親は大勢いる」

「それってどのくらい?」

「無数さ。ただ……探してるのは、年齢的にあんたの親じゃないね」

「それは……」

「あんた達みたいに親を探す子供は珍しくない」


 老婆は不安げなトリュファイナを見やり、当たりをつけた。


「まだ幼い娘を売る親だったら、娼館のおかみが覚えてるだろうさ。知りたきゃ大通りのところにお行き」


 トリュファイナを娼婦と間違えたのか。彼女の護役達が声を上げようとしたら、ルドに止められ、その間にアレッシアが質問を重ねた。

 

「娼婦じゃないの。神殿に娘を渡した夫婦はいない?」


 神殿、と聞くと老婆は眉を顰めるも、考え込んだ様子で教える。


「そうかもしれない、って連中はいるけど、神殿に娘を渡せば大金が入るだろ。だから金のアテがあるなんて、周りに言うはずないよ。帰ってこなかったやつらはわからないね」

「どこに行ったかは知らない?」

「知るはずないよ。大方、豪遊してどっかでおっ死んだんじゃないかい」


 トリュファイナの親となれば目立って印象深く、情報収集も簡単かと思われたが、十年以上前ともなれば、簡単に手がかりを得られるものではないらしい。結局情報収集は上手く行かず、ひと休みとなった広場で、腕を組みながらベンチに腰を落とした。


「帰ってこなかったって可能性は考えなきゃいけないのか」

 

 少し辟易としていたのは、思ったより人身売買が当たり前に横行していたからだ。なんだかんだで人道的な現代人の感覚があっては、子供を売るのが当たり前、と平然と言ってのける大人がいる感覚は拒否感が強い。

 トリュファイナも緊張のためか疲れ気味で、双子の片割れに慰められている。グラという護役は、アレッシアに皮袋に入った水を渡してくれた。

 待ち合わせは朝早かった。いまは天高く太陽が昇っており、それまでずっと動きずくめだったのだ。

 礼を言って受け取ると、彼女は少し感心していた様子だった。


「失礼ですが、アレッシア様は活発的でいらっしゃいますね」

「活発?」

「ああいえ、変な意味ではなく、社交的と申しますか……貧しい者達にも臆せず話しかけるので、正直、驚きました」

「だって必要なら聞かなきゃならないし、普通じゃない?」

「そうでしょうか。トリュファイナは慣れていないから当然として、私たちでさえ話しかけるのは戸惑っていたのに……。その、てっきりルド様に任せるのかと」

「あー……そっか。なるほどね」


 つまり後ろで見学するだけだと思われていた。流石にそれは、手伝いを申し出た言い出しっぺとしては物見遊山が過ぎる。

 アレッシアはやるしかない、の心意気で挑んでいるも、女神の候補として様々相応しくない行動をとっているのは、薄々感づいている。

 

「すみません。過ぎたことを……」

「ううん、そう思うのも無理ないかも」


 グラ曰く、アレッシアの行動にはトリュファイナも驚いていた、と語った。


「トリュファイナは強がっていますが、神殿から出たことがないので、実はいつも不安だらけなんです。優しい子なのに素直になれないのもあるから、昨日も帰ってから寝込んでしまったくらいで……」

「え、そんなので今日出てきて良かったの?」

「ああー……それは、その、人と待ち合わせをするのが楽しみだったみたいで……街中の食事も初めてだったから恥ずかしがっていて……」


 グラ! と顔を真っ赤にしたトリュファイナが厳しい叱咤を飛ばす。長髪の護役は苦笑気味に頭を下げ、自らの巫女の元に駆け寄る姿に、ふうっと息を吐く。

 後ろに立っていたルドに声をかけた。


「女神の候補者らしくないかな?」

「……知らん。ただ神に昇格するならともかく、候補者が出現するなど滅多にない例だから、らしい、らしくないなど判別がつかん」

「投げやりぃ」

「品格を問うていてはお前は真っ先に失格だ」


 この後は聞き込みを続けるかどうかを悩んでいると、どこからともなく飛来した小鳥がルドの指に留まった。人狼はぴくりと耳を傾けると、全員を集めて告げた。


「全員準備しろ、リベルトが当てを見つけた」

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