第29話 竜殺し

 決めてしまえばやることは決まっている。


「どうする? とりあえずうちに行って明日からのことを考えよっか」


 約束を取り付けようとするアレッシアに、トリュファイナは最後の抵抗と言わんばかりに視線を落とす。

 

「本気なの?」

「うそついてもしょうがないじゃない」

「貴女の護役は、きっと良いこととは思ってないわ」

「護役だから仕方ないんだとおもう。だけどルドは私がこうって決めたら、いざってときは反対しないから。いまがそうでしょ?」


 アレッシアの意思が変わらないとみるや、とうとう諦めた様子でため息を吐く。

 胸の前で手を合わせて、半分恨めしそうにジト目で睨むのだ。


「…………あとから撤回したら、恨むわよ」

「撤回はしない。トリュファイナのお母さんを見つけるまで手伝う。なんだったら指切りしようか?」

「指……?」

「あ、こっちにはないんだっけか。指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ますってやつ」

「どこのまじないか知らないけど、随分えげつないわね!?」


 ただの歌のつもりだが、随分大仰に驚く。どうやらトリュファイナ相手にこの手のものは口約束では済まないらしく、大真面目に叫ぶ。少し面白くなってしまったが、トリュファイナは機嫌を損ねてそっぽを向いてしまった。


「ごめん、ごめんって。でも手伝うのは本当だよ。だからとりあえず場所を変えて、お茶でもしながら話そうよ」


 などと誘ってみたのだが、ゆるく首を振られた。


「今日は疲れてしまったし、ドリとグラが心配してるから、帰ることにするわ。母については、明日、別の場所で会って話しましょう」

「うちじゃなくていいの? おいしいお菓子、たくさんあるよ?」

「ばか。私だってモラリス家に知られないようにしてるのよ。ストラトス家に迷惑がかかるでしょう」

「ああ、そっか。じゃあどこかのお店にしよ」


 そして約束を取り付けると、家まで送るといったアレッシアには断りを入れて帰っていった。アレッシアも帰路を辿るのだけど、トリュファイナいなくなってから感じる視線に顔を上げる。


「最後まで続けるよ」


 ルドはアレッシアがトリュファイナの母親探しの協力を申し出たことを不服に持っているけれども、彼女の意を汲んだから黙っていた。しかし納得しているかと言われたら違う。険しい表情を隠せないまま言った。


「マルマーの意に背くことになる」

「私、マルマーの巫女じゃないもの」


 このときには空を飛んでいた鷲の姿もなくなっている。聞かれて困る会話をしているつもりはないが、内心で胸をなで下ろしながら続ける。


「なぜあの巫女へ協力を申し出た。お前は軽く考えているが、マルマーの意に反するとは神々への冒涜だ。もし神々がこのことをしれば……」

「命はない?」


 アレッシアの真っ直ぐな視線が人狼を射貫くと、彼は一瞬気圧されそうになって足を止めたが、それを彼女に悟らせることはない。

 ルドはわからなかった。先ほどまで男の暴力に怯え、ショックのあまりトリュファイナと喧嘩し、あまつさえ吐いてしまった少女がいきなり目の色を変え、別人のように立ち直った。神殿ひいては神の定めた法に逆らうなど、大人なら止めてやらねばならなかったが、ただ若さに任せた行為にしては様子がおかしい。長い間、闘争に身を置いたからこそ伝わる本能が、生半可な覚悟で言っているのではない、と教えた。

 アレッシアもまた、トリュファイナが目の前で殺されたいまだからこそ、たとえささやかであっても法に触れる恐ろしさを知った。ルドの懸念はもっともでも、自身も譲れないものがある。


「元は神殿の体質がトリュファイナにああいう行動を起こさせたんでしょ」

「アレッシア、それは神殿を非難する言葉になる」

「非難はしてない。ただトリュファイナはいまの環境が原因で信仰心を失ってる。だったらお母さんをみつけてあげれば、神々に感謝するかもしれないよ」

「それをお前が助けてやる理由が……」

「あるよ。手助けしたいと思ったからそうするの」


 詭弁かもしれないが、とにかくトリュファイナの根底の意識を変えねば話にならない。

 ――改心しなかったらどうする。

 ルドはそう尋ねかけたが、ぎりぎりで言葉を呑みこんだ。もしそうだったとして、アレッシアは傷つくかもしれないが、有事の場合の責任はトリュファイナに押しつける。そのための算段をリベルトと立て、ストラトス家にも協力を仰いでおくべきだ。

 だがルドの目論見はストラトス家に戻った途端に失敗した。

 アレッシアもしまった、と顔を顰め、そして走り出した。いままさにストラトス家を飛び出してきたのは、大粒の涙を零しているイリアディスだ。

 すっかり忘れていたが、この日はトリュファイナの他に、ヴァンゲリスの兄追放の真実が明らかになった日だ。

 トリュファイナとのやりとりが長引いたから帰る時間が遅れてしまった。そのせいでイリアディスがひとりで真実を聞いてしまったのだろう。

 必死に追い縋ったアレッシアは、彼女の手を掴んだ。

 あのさ! と大声で叫び、彼女がなにか喋る前に告げる。


「いまイリアディスを止めることはしないよ。だけど、思い出してほしいの!」

「…………アレッシア?」

「ヴァンは凄くヘタレで口下手で、大事なことを口にできないお馬鹿さんだけど、たぶんイリアのことは大切に思ってる」


 付き合いは短いけれど、ヴァンゲリスがどれほど馬鹿を行っても、彼女が見放さないのが良い例だ。惚れた弱みだけではない。使用人達も、なんだかんだで彼を支えている。


「婚約してからのヴァンがどれだけイリアを大事にしたか、そこを忘れないでいてあげて」

「……あなた、なんで」

「私はイリアディスとヴァンゲリスの味方だからね!」


 戸惑うイリアディスであっても、ストラトス家にはいたくなかったのか、馬車に乗り去ってしまった。ストラトス家においては、流れは若干かわるものの、この後の大体の流れは同じである。ただ、やはりヴァンゲリスが語る話は同じで記憶の通りだった。ヴァンゲリスにはマグナリスの神殿に向かう日と同じ言葉を語りたかったが、いま送るべき言葉なのか……迷っている間に、リベルトが彼を殴り、騒動で場は有耶無耶になってしまった。ヴァンゲリスは自室に引き上げるとルドに担ぎ上げられ、リベルトに事情をバラされてしまうので、それどころではなくなってしまったのだ。

 恨めしげにルドを見つめるアレッシアだったが、リベルトの反応は淡泊だ。


「君が決めたのならそれでいい」


 あまりにもあっさりしすぎて、ルドが驚愕したくらいだ。アレッシアもたまらず聞いた。


「いいの? 自分で言うのもなんだけど、マルマーの神殿の掟を破るんだよ」

「だからないんだい?」


 平然と言ってのけてしまった。


「ここは運命の女神が統治する都市だ。そしてその女神になるかもしれない候補者たる君が決めたのなら、私は従うだけだよ」


 こんな感じで、あっさり見逃されてしまったのだ。甘すぎる、とルドは言いたげだったけれど、リベルトは動じない。それより彼が重視したのはストラトス家の内情で、後見替えを提案されるも、アレッシアはこれに断固反対した。ヴァンゲリスが持ち直したのなら、きっと良い当主になると断言したのだ。

 翌日になると二人を伴い約束の場所に出かけたのだが、待ち合わせ場所に、いつまで経ってもトリュファイナが現れない。何杯目かの飲み物と、追加の軽食を頼み待っていると、やっと彼女が姿を現した。


「トリュファイナおそーい」


 小言のひとつでも言ってやろうとしたら、気まずそうな彼女の後ろに立つ二人の女性に目を丸める。短髪と長髪と対照的な髪型の双子は、トリュファイナの護役に相違ない。

 アレッシアはすぐに事態を悟った。


「ああ、そっか。昨日行方不明になって、次の日に見逃がしてくれるはずないもんね」

「妙な納得しないでちょうだい!」

「でも、ここに来られたってことは話したの?」

「それは……話さないと、行かせてもらえなかったから……」

 

 口ごもるトリュファイナ。その様子はどこか落ち着かなく、浮き足立っている様子でもある。アレッシアの護役とは正反対の若々しい女性達は仕方ない……といった雰囲気だ。丁寧に頭を下げたのだが、短髪の女性はルドに対し、緊張気味に話しかけた。

 頬は紅潮し、瞳はきらきらと輝いている。一体何事かと眺めていると、胸の前で指を弄りつつ早口になった。


「ご、ご挨拶をしていなかったのですが、あた……わたくし、トリュファイナの護役は表の光を賜りました、ドリと申します。トリュファイナにアレッシア様の話を聞いて、貴方があのルド様だと知りました」

「……気のせいではないか」

「いえ、そんなはずは! 人狼の狩人ルドといえば人の身でありながら、火山に居座った悪しき竜殺しを成し遂げた偉大なる勇者。風と狩人の神シカオンに勇気を称えられ、神の戦士として新たな命を賜った……」


 熱くなったところで、ルドが彼女の言葉を遮る。他の人にはそうとはわからないが、アレッシアにはわかる。これは頭痛を堪える面持ちで、知られたくなかったという顔だ。

 興味津々な主をよそに、ルドは長い息を吐き、若い護役に告げた。


「すまんが、それは過去の栄光に過ぎず、いまの俺は、お前と同じ護役に過ぎん」

「えと、それはつまり……」

「……敬語はいらん。普通にしていろ」


 本人は早く終わらせたかったのだろうか、これになぜかドリと名乗った女性は感激し、両手を組み合わせ、顔を輝かせた。嬉しそうに双子の隣に戻るのだが、その所作は明らかに浮かれており、頭をぐるりと回すアレッシアはじいっと自らの護役を見つめる。

  

「へー……竜殺し」

「なんだ」

「なんにもー」


 ふぅん。とわざとらしく呟いて、絞りたてのジュースを飲み干す。

 そっとリベルトの方を見やると、意地悪そうに笑っていたから、きっと知っていたに違いなかった。

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