第28話 過去を変えろ
涙を流し嘔吐し続ける中で、トリュファイナは逃げなかった。アレッシアの背をさすり、落ち着かせようとする。
目の前で死んだはずの本物のトリュファイナが生きている。この事実はアレッシアの心を揺らし、吐くものがなくなるまで嘔吐き続ける。話すのも疲れる程にげっそりとやつれていると、トリュファイナが水を飲ませて容態を確認する。
「気分が悪いのならはじめから言いなさいよ」
「ごめ……」
「無理に喋らなくていいから。ちょっと、そこの人狼も、護役なのになんで気付かなかったのよ」
「トリュファイナ……違う、いきなり、具合が悪くなっただけだから……」
ルドを庇うも、アレッシアの調子は良くない。嘔吐は死んだトリュファイナを思い返したフラッシュバックによるものだが、思考が渦を巻いたみたいに定まらなかった。トリュファイナはアレッシアがルドの手を離さないとみると、おもむろに東屋を離れた。手が汚れるのも厭わず、嘔吐物に土をかけ、先の固い草の穂で汚れを落とす。臭いにも嫌な顔ひとつせず淡々と処理し、二人に言った。
「もう少し落ち着いたら、早く家に帰しなさい」
「トリュファイナは……」
「わたくしのことはどうでもいいの。護役でも呼んで帰るから、気にせずに自分を優先するべきよ。だいたい貴女、いまもつらそうなのに、人を気にする余裕なんてないでしょう?」
トリュファイナはそう言い、アレッシアも従おうとした。
なぜなら試しに自分の手の甲を摘まんでみたが、しっかり痛かったのだ。だからアレは、主神マグナリス=ソルに出会った出来事は夢だったのかもしれない。
でもそれにしてはひどくリアリティ溢れる、悪夢のような出来事だ。自分は存外想像力が豊かで、夢想家の才能があったのかも知れないと仰向けになったところで、ソレを目にした。
鳥が飛んでいる。
その大きさ、雄大な翼はどこかで見た覚えがあった。
太陽に目が眩み、手で庇う動作を行う自分に既視感を覚え、鳥の正体が鷲だと気付いたときに、アレッシアは勢いよく身を起こす。そしてトリュファイナの腕を掴み、言った。
「お母さん探そう」
トリュファイナとルド、両者の目が点になった。実を言えば、引き留めた当の本人すら、己の発言の意味をよく理解していない。頭にあったのは、いま上空を滑空している鷲とマグナリスの関係で、彼女を行かしてはならないという焦りだ。
彼女の死に、艶やかな笑みを浮かべるマグナリスの姿を思い出す。
いくら夢のようだったとしても、現実に思えてならない。いま、トリュファイナの神へ対する言葉を改めさせねば彼女は殺されるのではないか……そんな不安がアレッシアの体を動かし、行動に移させた。
だがそんな思いをトリュファイナが知る由もない。彼女は訝しげにライバルを見て、ルドに不信感一杯の目を作った。
「……早く休ませたら? 自分の言葉の意味も理解できていないみたいよ」
「ち、ちち違う! ちゃ、ちゃんと言葉の意味くらい知ってる!」
ただ、他に上手い言葉が浮かばなかっただけだ。
「……アレッシア、疲れたのか?」
「違うよ。ルド、わ、私ね、なんだかわからないけど……」
言いかけて、止めた。
トリュファイナがマグナリスに殺されたなど、ただでさえ信憑性の薄い話なのに、そのうえ鷲の存在があるのに、正直に話してしまって良いのだろうか。
迷いがアレッシアの口を閉ざし、ルドはいっそう戸惑いを深くする。顔には出していないが、無理に連れ帰ろうとせず、手を出しあぐねているのが証拠だった。
彼の迷いを見て取り、アレッシアも自身の混乱を悟った。
――そうだ、いまパニックになっても何にもならない。
お腹から息を吸って、冷静に、と平静を保とうとする。
まず状況を確かめた。
これは、どうみてもトリュファイナを助け、己の無力に打ちひしがれた日に違いない。服装はいつもと同じ、白を基調としたワンピースに似たスカートで、首のチョーカーから伸びる薄衣がアクセントだ。羽織っている外套は地味目で、お忍び外出のあの日と変わらない。
身体に変化はない。意識すれば男に殴られた箇所がちょっとひりひりしているが、それもあの日の通り。
違うといったら心臓がバクバクとうるさいくらい脈打って、頭痛は止まないくらい。
つまり、アレッシアは中身だけがあの日に戻ってきてしまっているようだが、本当に戻ってきているかの証明が出来ない。
だがそこまでは、まだよかった。なぜこのタイミングなのか、そもそも彼女を行かせてはならないと考えたのか……それはきっと、トリュファイナと会う機会がこの日以降ないためだ。後日面会を申し入れるかも考えたが、受けてもらえるかがわからない。焦りと不安を心に抱え、それでもやはり、と導き出した結論はひとつだった。
「うん、やっぱり、私も協力した方がいいと思う。一緒にお母さんを探そう」
アレッシアはトリュファイナを見つめる。彼女の眼差しは真っ直ぐであり、実はトリュファイナが気圧されてしまった程だと、本人は知らない。少女を知っているつもりのルドでさえ、軽率な発言を止められなかったのだから。
トリュファイナは言葉の意味を簡単に受け止められなかった。ルドも述べたが、彼女の行いは神殿の誓い、ひいては神々への背信行為に他ならない。マルマーの誓いとあらば、どんな人だって絶対に怖じ気付く行為、それを自ら手伝うなど、頭の正気を疑う。なのにアレッシアは熱意を瞳に称えている。わずかに見せる怯えの色が決して考えもなしに発言したのでは無いと如実に語っており、そのためにトリュファイナは目を白黒させてしまった。
「あ、あああ貴女、もうちょっとよく考えなさいよ! わたくし達の話を、聞いてなかったわけじゃないでしょ!」
「全部覚えてるよ。それでも私はトリュファイナを手伝いたいの。人が多いなら、もっと手が広がって見つけやすくなるでしょ」
「ば……!」
「……あ、知られたらまずいなら、私とルドくらいしか手伝えないけど……」
アレッシアは本心から言っている。
嘘じゃない、と乙女の心に伝わってしまったとき、目の端に一瞬だけ光るものがあった。雫はすぐに拭われてしまったが、明らかに狼狽したまま、アレッシアを罵倒する。
「ばっっかじゃないの!?」
「馬鹿でも人手がいるでしょ!」
「そういう意味じゃない! 落ちこぼれのくせに、なに自分から不利になるようなこといってるのよ! 貴女はわたくしたちの誰よりも劣ってるのだから、その分だけ、時間を無駄にしてはいけないの!」
「無駄じゃないし!」
「いいえ無駄よ。もっとちゃんと訓練を積んで、この先なにがあっても耐えられるようにしなきゃいけないのに、他人に時間を割いてる暇ないでしょう!」
この言葉で、アレッシアもまた驚いた。
「トリュファイナ、もしかして私の心配してる?」
「してない! 誤解しないでちょうだい、馬鹿! っていうか、手を離してよ、わたくし、もう帰るから!」
「だからそれはだめだってば、今日はもう無理かもしれなくても、このあとのために作戦を練ろうよ!」
「だから乗らないって……」
「じゃあ明日家に押しかけるよ」
悲鳴を上げるトリュファイナに、アレッシアは内心で首を傾げる。正直なところ、なぜこんなに必死になっているのかは、本人ですら不思議だった。けれども、いま己の必死さを鑑みれば、きっとアレッシアはこの素直じゃない巫女を無為に死なせたくないのだろう。前の自分と同じように、いいように命を弄ばれ、無下に殺されてしまうなんて状況を認めたくないのだ。
この世界に対する知識、マグナリスの発言、それらを短い時間で鑑みて、導き出した答えはひとつ。
せめて表向きでも良い。トリュファイナに、神々に対する発言を改めさせれば、生存の芽が生まれるのではないか。
なぜ過去に戻ったのかは後回しだ。あれが現実なのか、白昼夢だったのかの検証がかなわないならわからないことを考えても仕方がないのでどうでも良い。そのくらいの図太さがいまのアレッシアには備わっている。
――今度は間に合わせる。
密かな決意に拳を握った。
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