第26話 異例の五人目

 三階から人間達を見下ろすその神は、爽やかな笑みを浮かべ、意地悪な目で何も言えない人間達を見下ろしている。

 アレッシアも同じだ。さっきまで観光案内をしてくれた少年がニルンの最高神だとはいまだに信じられない。ちらりと神官長ソフィアに視線を送るが、彼女は明らかに狼狽しているから、知っていたとは考えがたい。唯一動揺を示していないとなればディオゲネスであり、男はどの者達よりも真っ先に膝をついた。彼に習って一同が膝をついて行くから、まるで波のようだ、と呑気な感想を抱いていると、アレッシアの頭を上から押さえつける者がいた。

 強い力に負け、身体が滑って、ほとんど転ぶように膝をつく。上体はかろうじて両手で支えるも、一同の中で誰よりもみっともなく膝をついたのはアレッシアだ。文句を言ってやろうと横を見れば、人狼ギーザが殺気立った目でアレッシアを睨み付けてている。その圧たるや、同じ人狼でもルドの比ではない。口は目ほども語ると言うが、血走った瞳は溶岩の様に熱く、鋭い刃となって抉り込んでくるほどだ。逆らったらマズい、と瞬間的に口を噤み、俯いたまま姿勢を戻す。そんなやりとりもつぶさに観察していたのがマグナリスであり、青年の姿をした神は笑う。

 成熟した麦穂と同じ色の髪房を、肩に優雅に触れさせた女神が口を開く。


「まったく、早く来いと言ったり、待てと言ったり。呼び出された私達の身にもなってくれないかしら」

「そうはいうけどね、ヘレネ。こんな機会は滅多にないものさ」

「その面白いって、案内人に扮装して人間を騙す見世物のこと? だったら本当にくだらない。私達を待たせるほどの価値があるというのかしら」

「少なくともミールケの宝物庫で飲む麦酒よりは価値がある」

「ああ、あの品の欠片もない下品な酒。豊穣の感謝にしたってもっと良い酒を作れば良いものを、ここ数百年は必ず供物に混ざっているの。たまったものではないわ」

「ヘレナ、ミーリケの前でそんなことを言ってやるな。豊穣の女神はお前の姪っ子だぞ?」


 楽しげに笑う主神につらつらを文句を言い立てるのが大地の神ヘレネだ。年は三十ほどの見目を保っているが、教師然とした厳しさと美しさを兼ね備えている。主神の姉であり妻でもある女神は、マグナリスにずっと苦言を呈しているも、麦酒の話題には露骨に眉をしかめた。主神に「なぁ?」と問われたのはゆるく長いくせっ毛を流し、花冠を被った、柔らかい雰囲気を持つ女性だ。やはり笑みは崩さずに、主神の問いに花の如く笑う。


「お気になさらずに、ヘレネ様の麦酒嫌いはいまにはじまった話ではありません。そもそも原因は主神にございます」

「やあ、もしかしてセタのことをまだ根に持っているのかな?」


 彼らは特に声量が大きいわけでも、マイクを使っているわけでもない。普通に喋っているだけだが、声は全員に届いている。

 神々の顔は見えないが、アレッシアはある逸話思い出す。ヘレネは大地の女神であると同時に、非常に悋気深い神としても有名だが、彼女を嫉妬の代名詞として押しあげた原因のすべてが主神にある。天上に名を轟かせるほど女に目がない神は、むかし人間の女を身篭もらせた。これ自体は珍しい話ではなかったのだが、娘の父親が、見事な麦畑を作る農民だったためにヘレナが許した逸話がある。その後に生まれた子供はやがてセタという神になり、娯楽と暴力の象徴とも言える存在になった。その神の信奉者が麦酒を発明したものだから、ヘレネに麦酒を捧げてはならない、といわれている。

 神を知る人達なら常識だろうに、供物に加える人がいるとは意外だ。

 なお、セタは十二柱には数えられないが、豊穣の女神ミーリケの娘を襲ったため、滅多打ちにされた挙げ句、百年ほど神の座を追放されている。

 彼らは軽口をたたき合っている。

 まるで人間と変わらない軽快なやり取りだが、これで気を緩めるのは本物の馬鹿だ。そのくらいはアレッシアでもわかるので、大人しく頭を下げ続けている。

 マグナリスとヘレネの争いはまだ続くと思われたが、これに両手を叩き、待ったをかけたのが、褐色肌で坊主の、筋骨隆々の男神だった。


「はいはい、主神もヘレネ様も、本題から逸れていらっしゃらない? ご覧になってくださいな、この子たちみぃんな怖がって頭もろくに上げられやしない」


 明らかな男性なのに、声は艶やかで奇妙な色気がある。即座に思い浮かべたのは「そっち系の人」だったが、ヘレネが男神を「ヘストヌハ」と呼んだときは心底驚いた。それは美神の名であり、書物では女性の姿で描かれているためだ。声の主とは明らかにかけ離れているし、錯覚を疑うも、耳がおかしくなったわけではないらしい。

 このときには運命の女神の神官長ソフィアも我を取り戻していたから礼は失しない。


「我らが神マグナリス=ソル。偉大なる神よ、この尊き瞬間に、我々は感謝と謙虚な心で立ち会っております。我らが神、星々の中でもっとも輝く存在であるあなた様に、どうか無限の愛を賜る名誉をお与えくださいませ」

「うん、許す許す。今日はそのために来てもらったのだし、ま、固いことはいわないさ」

「ご慈悲に感謝申し上げます」

「お前と五人だけ顔を上げるのを認めるよ」


 言われ、他のものを習って顔を持ち上げた。

 こうして初めて神々の顔を確認したのだが、彼らは割合、個性が豊かだ。基本どの神も白を基調とした薄布仕立ての装いだが、大地の女神ヘレネは蔦を片腕に絡め、豊穣の女神ミーリケは花冠を被るなど、それぞれ特徴が現れている。美神ヘストヌハらしい筋肉神は、ばっちり化粧を施し、色とりどりの羽がついたショールを羽織っていた。

 主神はいつの間にかふわもこの豪華な肩掛けを羽織り、宝石が嵌まった金の腕輪などで飾り立てているが、恐るべきことに、顔面が金銀宝石に勝利している。大変調子が軽いから、軽薄で浅薄な無責任者としか映らないが、対峙すれば確かに神であるとしか認めようのない、不思議な雰囲気があった。

 主神マグナリスは面倒を嫌うらしい。人間へ直接言葉を投げるという、人によっては気絶しかねない事態に耳を傾けた。


「まあ、君たちにかける言葉は、そんなにない。これもついでの用事だし、神になりたければ与えられた試練を越えれば良いだけだからね。ニルンこの世界にとって敬虔な者に、私は恵みを与えるさ」


 それでいいのか、とつい心でぼやくも、そう思うのはアレッシアだけらしい。全員馬鹿真面目に耳を傾けていて、この調子に大地の女神があきれ果てたため息を吐く。

 

「…………主神、もうすこし飾った言葉をお使いなさいませ」

「……神の血を引かぬ者が神になるなんて、千か万に一度の機会だから、ガンバッテネ」


 こんな調子で終わるから、混乱したのは神官長ソフィアだ。アレッシアも、主神にお目通りが叶うという名目で連れて来られた。もっと壮大な儀式があると思ったのにこれでは拍子抜け。なぜ一同が呼び出されたのか、その答えはマグナリス自身がもたらしてくれる。

 神は肘をつき、頬杖を付きながら、どこにもいない誰かに向かって話しかけた。


「こうでもしないとお前は神殿には来ない。――疾く現れろ、運命の」


 一瞬で背筋が粟立つ威圧感は、全員が感じたに違いない。人狼のギーザでさえ緊張に拳を握るのを目の端に留めるその奥で、蛇と花が絡みつく杖が、カツン、と床を鳴らしたのをアレッシアは見た。

 不自然に空間が揺らぎ、いるはずのない神が姿を顕現させる。

 運命の女神と呼ばれる女が、アレッシア達の近くに立っていた。瞼は閉じられており、青銀の髪には相変わらず白い花々が絡みついている。やがてゆっくり瞼を持ち上げるが、表情に感情は乗っていない。女神は人間達を見ようともせず、まっすぐに最高神を見上げる。玲瓏とした声で淡々と言った。


「何用ですか、マグナリス」


 マグナリスは間違いなくニルンの最高神のはずだ。敬いなど欠片もない問いかけだ。他の神々でさえマグナリスには敬う態度を見せているのに、この女神だけは堂々と挑んでいる。神官長ソフィアさえはらはらを隠さないのだが、不思議と神々は怒りを見せなかった。

 マグナリスも大きく足を組み直し、鼻を鳴らす。

 

「何用って、お前、お前の不始末を確認するためだけに私を出張らせておいて、その台詞か? 不出来なそこの馬鹿でも、まだマシな言い訳を考えつく」


 マグナリスが顎で指したのが、彼の息子である戦神ロフだったのは、なにかの間違いだろうか。アレッシアは公然で罵倒されたロフが、わずかに瞳を揺らがせたのを見逃さない。

 女神は戦神の感情の揺らぎなど気にも留めず続けた。


「貴方の疑問はいつもくだらないが、今回はとびきりのようです。不始末もなにも、そのような事実はひとつもない」

「ひとつもない、とはよくも言えたことだ。たしか三百年前だったか? お前、今回の試練に現れる者は四人だと私たちに言っていたろう」

「それがなにか?」


 運命の女神は泰然としており、マグナリスは傍目にも不機嫌になる。

 

「なにか、じゃない。神託を違えておいて、選出されたのは五名。この違いを説明すらしないとはどういう了見だ」


 三百年前から人数が決まっていたとは聞き捨てならないが、本来ならいるべきではない五人目、アレッシアの心臓が悲鳴を上げた。マグナリスが不機嫌である事実も本能に警告を与えている。

 アレッシアには決して無関係ではない話だ。

 これからどんな問答が行われるのか、緊張に身を固めながら見守っていた。

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