第25話 捕らわれの巨人

 未知の場所は探検したい。

 まさに興味本位が勝ったとしか言い様がない。勢いよく護役達に振り向くと、ルドは仕方ない、といった様子だが、リベルトとヴァンゲリスには遠慮されてしまった。リベルトは何を考えているかわからないが、ヴァンゲリスは部屋で休みたいらしい。

 せっかくの見学、皆で回れないのは残念だが、この機は逃したくない。鼻息荒く意気込んだアレッシアだが、そんな彼女を呼んだ者がいた。

 トリュファイナだ。腕を組みながらアレッシアを見つめているが、その不服そうな表情の中に恐れを宿している。迷いを宿す彼女は、アレッシアが駆け寄ってきても迷いを見せていたが、意を決した様子でアレッシアに顔を寄せるよう人さし指を動かした。案内の少年や、別室に下がろうという候補者達にも背を向け、内緒話をはじめたのだ。


「貴女ね、馬鹿みたいに騒ぐのは自由だけど、もうちょっと慎重になりなさい」

「……見学のこと? なんで?」

「ここが主神の神殿だからよ」


 などと言われるが、アレッシアには彼女が何が言いたいのかを掴みかねている。

 否、無論知ってはいる。他の人より信仰心がないこと、この世界に対する神々への考え方、人々の在り方と、なにより前の自分を無下に扱ってくれた連中への意趣返しも忘れていない。

 なぜか保たなくてはならない殺意を、他人事のように感じてしまう現状はさて置いても彼女はきちんと覚えているのだから。

 だからこそアレッシアは疑問は口にしても、極力神を貶める発言はしないようにしている。このあたりは孤児院の教えより、ストラトス家の人々を観察し、ルドやリベルトの忠告や教えを守った結果と言えるだろう。

 つまりどう見積もっても何かをやらかすはずがない。険しさを隠せないトリュファイナにも疑問を投げようというものだが、彼女はアレッシアに苛立ちを隠せないらしかった。

 後ろで二人を眺め、にこにこ笑っている美少年を一瞥し、そっと耳を寄せる。


「どんなに美しい少年だろうと、素晴らしい景色があってもここは一番危険な場所なの。悪いこと言わないから早く終わらせて休んどきなさい」

「……そうかなぁ」

「…………忠告はしたわよ」


 そう言って今度こそ行ってしまった。せっかくトリュファイナが気を遣ったらしいから、素直に受け入れればよかっただろうか。申し訳ないことをした……と少年の元に向かうのだが、彼は不思議そうに首を傾げるばかりだ。ふと空を見上げれば、空には鷲が数匹飛び交っている。太陽に目が眩み、手で庇うアレッシアに少年は笑いかけた。


「トリュファイナ様は、なんとおっしゃってたのでしょう」

「うーん……はしゃいで失礼のないようにって言われました」

「わざわざアレッシア様にご忠告になるとは、仲がよろしいのですね」

「仲がいいというよりは……あれ、なんで名前を」


 名乗った覚えはないのに知られている。少年は声を上げて笑うが、あけすけに笑う姿すらも光り輝いているようだ。


「お迎えにあがるのに、運命の女神の候補者様方の名前を知らないなんてありえません。アレッシア様はもちろん、皆さまのお名前だって存じてます!」

「あ。だったらあなたのお名前を……」

「ただの案内役です、名乗るに及びませんよ。それよりも、皆さま早速行きましょう!」


 そう言って少年はアレッシアの手を取った。邪気のない笑顔で案内をはじめようとしてくれるのだが、少年がパチンと指を鳴らすと、瞬きの間にどこかの庭にいた。

 白い大理石でできた美しい古代の宮殿の中に、青々と茂る木々と花々が咲き誇っている。庭園には穏やかな風が吹き、アーチ状の階段がいくつもかかっていた。中央の噴水は水しぶきを上げ、太陽の光を受けてきらきらと輝き、小鳥の歌声が風に乗って聞こえ、まるでこの庭園が自然そのものとなって幻想的な雰囲気を醸し出している。

 ルドでさえ軽く目を見張り、アレッシアはあまりの壮大さに感嘆の声が止まずにいる。


「お……わ、ぁ……」


 運命の女神の神殿の庭も美しいが、ここはそれに輪を掛けて壮大だ。

 アレッシアの反応に、少年は大いに満足した様子でにっこりと笑んでいる。

 

「まだまだ序の口なのですが、庭だけでも満足いただけるとは嬉しいです。ここは主神の妻であらせられる、大地の神ヘレネ様の庭園。世界で一番尊い庭です」

「えっ、ヘレネ様の……」


 孤児院やストラトス家で習った知識を総動員するまでもない。ニルンこの世界十三柱の一柱である大地の神ヘレネが主神マグナリス=ソルの妻であるのは少年の説明の通りだが、同時に彼の神の姉でもある。神々においては、現代日本人の倫理観的には複雑な関係を築いている。神々の関係図を思いだして顔を引きつらせると、少年は不安になったようだ。

 

「いったいどうされました?」

「あ、いや、そんなすごいところに通してもらっていいのかなと……」

「もちろんですよ。皆さまをお招きになったのは主神であり、アレッシア様には正当な権利があるのですから、ヘレネ様もお許しになられます」


 乾いた笑いで礼を言って誤魔化した。

 このあと案内してもらったのは神殿や祈りの間といった様々な場所だ。間取りの一つ一つがいちいいち信じられないまでに大きく、移動はすべて少年による転移魔法。歩いていたら間に合わないのが理由らしいが、神殿の規模を目の当たりにすれば納得である。

 世界の中心と謳われるだけあって、マグナリス=ソルの神殿は偉大だった。

 死者が行く国、死界へ繋がっているという柱。それを繋ぎ止める鎖は巨大どころの話ではなく、一本だけで大人が何十人が囲まねばならない太さだ。それを支える動く巨大な像は荘厳で、同時に得体の知れない不気味さを感じさせる。

 他にも登るのは許されなかったが、世界を見渡せるらしい、ロイーダラーナよりも高い位置に備わっているとされる塔に、昼夜を入れ替えられる水盆など様々みせてもらえた。

 どれもロイーダラーナにいては、そして現代人であったころには、見られなかった光景だ。アレッシアはどれにも新鮮な反応を示し、少年はそのたびに満足げに微笑む。

 アレッシアにはどれも、すべてが新鮮だったが、特に驚かされたのはどこぞとしれない、人気のまるでないバルコニー。周りには茶けた荒野が広がっていて、マグナリスの神殿ではないことがわかる。少年が指し示したのは、荒野の空に浮かぶ人だ。

 ごうごうと風がふくなかでも、ルドが絶句したのがわかる。


「…………まさか、あれは」


 意匠や繊細さで言うなら、それまで見てきたものが上だ。驚くには値しないはずだったが、彼女が目を疑ったのは、天や地、あらゆる場所から伸びる金の鎖によってがんじがらめにされた「巨人」がいる。まさにアレッシアなどミジンコにしかならない強大な人が、鎖によって繋がれていた。足元には踏みつけたらしい、無残な山の跡がある。巨人は男で、腰に古く汚れた布を巻いている。全身傷だらけの、いまだ生々しい傷が残る姿だった。


「あれがマグナリス様の宝物庫です」

「人が……宝物庫?」

「いいえ、人ではなく巨人です。むかし神々と覇を争い、マグナリス様によって滅ぼされた巨人の生き残り。マグナリス様はあそこにいる巨人に宝物庫となる役目を与えました」

「え、え、と……」


 改めて「宝物庫」なる巨人を見た。とても大きい人だから、遠くからでも胸の鼓動が見て取れる。巨人は人と分類するにはやたらいかつく、肌は岩のようで、顔の造形もすこし違和感を覚える顔立ちだ。しかし人と造形が似ているのは違いなく、目や鼻に口は当然備わっている。巨人はじっと地面を見つめ、ただただ縛られているだけで、何かを所持しているようには見えなかった。


「ごめんね。私にはあの人がなにかを……持ってないように見えないんだけど……」


 これに少年は大笑いした。嫌味なわらいではなく、何も知らないアレッシアの反応を純粋に喜んだ笑いだ。


「もちろん、あの巨人が何かを持つという行為は許されません。彼はただ宝物庫であるという役を与えられました。そして現にいまは宝物庫という役目を負っている、そういうことです」

「そ、そう。……そういう、ことなんだ」


 ちなみになにがなんだかサッパリわかっていない。

 少年は含み笑いをルドにも向けた。


「驚かれましたか?」

「それは、無論、驚こう。巨人族の生き残りがいるかもしれないとは聞いたことあっても、それこそ酒の肴の……おとぎ話だ。まさか主神が捕らえられているなど……」

「ですよね。一般には公開してませんし、彼らは人を脅かす存在です。そんなものがまだ生きてるなんて、知らせる必要もありませんから」

「う、うむ。巨人が生きているなど知ったら混乱を招きかねない。主神の人をお守りになろうというお心は、痛いほど伝わった」

「はい。主神はまさに世界のために働いておられます」


 ……あんな風に傷だらけで縛り付ける行為が?

 疑問は声に出さないが、沈黙は驚愕として受け止められた。少年を満足させるに充分なものだったらしく、それはもう大喜びだ。

 パチン、と指を鳴れば最初の庭に戻るのだが、彼はそのまま神殿を見た。


「ああ、神々がお揃いになったみたいです。このまま神々に会いに行きましょう」

「おあ゙っ……!?」


 てっきり休憩を挟めると思ったのに、心の準備ができていない。アレッシアの奇っ怪な悲鳴に少年はまばゆい笑顔を向けた。


「大丈夫ですよ。すぐ終わりますし、アレッシア様なら間違いなく大丈夫です」


 根拠のない自信を放つと先を行ってしまう。案内役とはいえ、指先一つであちこち瞬間移動してしまう存在だ。逆らうなどできるはずもなく、また己の立場はわきまえているため、アレッシアは大人しくついて行く。どうやら神々の間までは歩きらしい。

 少年は羽のような足取りの軽さで言った。


「アレッシア様はお可愛らしい方ですね。将来は美しく成長されるでしょうし、きっと主神のお気に入りになるに違いありません」

「あ、ありがとう?」

「あれ、いま、褒めたつもりだったんですけど、だめでした?」

「駄目ってわけでは……なんていうか、あなたみたいにすごく綺麗な子をみたことなかったから、なんか、それに比べたら霞んじゃうかなって」


 少年は一度立ち止まった。振り返る面差しが喜びを隠しきれないのは、おそらく自身の姿を正しく理解しているためだ。たいそうな自信家の側面が垣間見えたが、事実、指先から足の爪まで、計算され尽くした容貌はどんな人物よりも優れている。ほくろひとつない滑らかな肌は、誰だって羨むものではないだろうか。


「アレッシア様はニルンにとって、とても良い民ですね」

 

 少年は自慢げに鼻を鳴らし、浮き足だった様子で奥へと進んで行く。

 あまりに嬉しそうだから何も言えずにいたが、流石に厳かな雰囲気漂う、たくさんの神像に囲まれた広間の入り口前では慌てた。少年は呑気なばかりで、いまから神々へ拝謁するのに相応しい態度ではない。

 そこには神官ソフィアをはじめとして、候補者達や護役が揃っていたが、ヴァンゲリス達後見人たちの姿は見えなかった。彼らは立ち入りを許されなかったのだろう。

 少年は足を止めず、しっかりと頭を垂れるソフィアに気軽に声をかけた。


「では神官殿と候補者、あと護役も中にお越しください」


 これにソフィアは驚いた。少年の言葉は想定外だったらしく、ひどく狼狽したのだ。

 

「は? あ、あの、護役も、でございますか」

「今日は特別ですし、ちょっと主神からみなさまへのお話もあるので、ついでにです」


 朗らかに言うと、石でつくられた二枚扉がひとりでに開かれた。

 少年は止まってくれないので、ソフィアは異をとなえる暇もなく、他の護役たちに頷いてみせる。待機前提で、まさか招かれると思っていなかった者達は一気に姿勢を改めた。

 アレッシアも全員をちらりと見渡したが、違和感を覚えたのは、カークルハイのディオゲネスだ。同じ候補者でも唯一陽気だった男性、他の皆と同様、神々への拝謁を前に緊張しているのは伝わるが、この人だけが少年が越えた扉の向こうを苦々しく、睨むように見つめている。

 思い詰めた態度が妙に引っかかるが、聞いているだけの時間はない。

 アレッシアは他の者達同様に、ソフィアの背後について列に加わった。神妙さを装って神々へ拝謁賜るべく進むのだが、意外にも女神に対峙したときのような圧はやってこない。

 それどころか全体を見回すだけの余裕もある。

 神々の間は、とても天井が高かった。

 アレッシア達は傷一つないつるりとした円状の床の上に立っているが、上には二階、三回と席が設けられている。しかしそれは観客席などではない。たった十三席しか設けられておらず、その十三人のためだけに用意された椅子だ。すべて大理石と思しき素材で作られた彫り細工の固い石の上に、ニルンこの世界の神が座している。

 その総数十二。

 年齢の幅や性別は様々で、誰もが奇妙に目を引く魅力に溢れている。ひとつの席に戦神である青年を見つけたが、あのときの乱暴さは形を潜め、神に相応しい毅然とした態度で座している。

 唯一、ひとつの席だけが空いている。

 そこが誰の席かは、神々の顔を知らないアレッシアにすら明白だ。

 主神はこれから姿を現すらしい……と構えていたら、異常が起きた。

 案内役の少年が、神々に向かって歩き出したのだ。 

 しなやかな足がスラリと伸びた大人のそれへ、一歩一歩進むごとに、少年が年を取って行く。そこに階段はなかったが、見えない光が彼を持ち上げ、階上まであっというまに運んでみせるではないか。

 少年は二十代前半頃の青年の姿で肉体の成長を止めた。大胆に足を組むと、手すりに肘を立て、雄大に座ってみせる。その姿は若々しくも自信に満ちあふれ、躍動感を感じさせ、その場にいる誰よりも力強さに溢れていた。

 彼の座る席こそ唯一空白だった、他の十二柱に囲まれる中心の席だ。

 まさに彫像の如き美を放っているが、その人、否、神はしかと生きている。

 他の神々を見渡し、全員の視線を集めた神は目元を細めて笑った。


「よぉし、じゃ、はじめよっか」


 主神マグナリス=ソルが、そこにいた。

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