第23話 ほしかった言葉

 主神に面通しなど、一体どうなってしまうのか想像もつかない。いきなりお腹がムズムズしはじめ、厠に閉じこもりたい気分だ。そして許されるなら閉じこもっていたいが、きっと護役達に連行されるのは目に見えているのだし、逃げても無駄だった。

 豪快に笑うディオゲネスを羨ましく思いながら腹部を押さえていると、ある人がアレッシア達を睨んでいると思い、すぐに誤解に気付いた。

 白と灰色の毛を持つ人狼ギーザだ。

 たしか「狩人」と呼ばれていたか、背中には長弓、腰には短弓や弓を下げており、飾りなどではなくしかと手入れされている。格好も動きやすさを重視した単調なもので、あらかじめ言われてなければ彼女が女神の候補者とは信じられなかったはずだ。 

 その人は、その人狼はアレッシアなど見ていない。

 ギーザの視線はまっすぐルドに向かっていて、まるで忌々しいものを見るような、嫌悪感にまみれた表情だ。ルドはといえば、ギーザの視線に気付いていないはずはないのに、わざと無視しているようにも感じる。

 同じ人狼だから仲間意識があるのかと思ったけど、険悪な雰囲気は絶対に違うと訴えていたし、知り合いでもなければあんな憎悪など見せるはずもない。

 そもそも彼らは知り合いなのか。

 アレッシアの視線に気付いたギーザは、不快そうに舌打ちした。護役にしてはずいぶんか弱そうな少年に話しかけられ睨むのを止めたが、頭の中は疑問で一杯だ。


「ところで聞きたいのだが」


 ディオゲネスの顔が視界いっぱいに広がった。

 思わずのけぞるも、人好きされそうな笑顔は止まらない。きっと元来より人づきあいが得意なのだろう、その活発さも見る分には心地よいが、筋骨隆々の男性にいきなり視界に入られると驚く。


「び……っくりしたぁ。聞きたいことってなに、ディオゲネス」

「貴殿の護役のリベルトなのだが、元気にしているか」

「リベルト? 元気もなにも、すぐそこに……」


 振り返って姿を探すのだが、いない。馬車を降りるまではたしかに姿があったはずなのに、広い庭園のどこを探しても姿が見当たらない。

 周囲を見渡すアレッシアに、ディオゲネスは豪快に笑った。


「あやつめ、きっと俺と顔を合わせるのが気まずかったに違いない」

「え、ええ……なんで……」

「おや? まさかその様子では聞いていないのか」


 ディオゲネスはリベルトを知っているらしい。意外なところでの思いもよらぬ関係に目を見開いていると、その様子がおかしかったのかディオゲネスは低く喉を鳴らす。


「なるほど。なぜ俺のもとを離れたのか解せなかったが、これでは確かに守ってやらねばならんのだろうな。庇護欲などに傾く男とは思えんのだが、まあ、貴殿はあまりにも知らなすぎるようだから」

「世間知らずは認めるけど……」

「加えてお人好しとみた。護役に信頼を置いているらしいが、信じすぎるのもどうかと思うぞ」


 笑われるほどお人好しのつもりはない。

 勝手に人柄を論じられたのもあり機嫌を悪くしたが、ディオゲネスは気にした様子もなく驚愕の事実を述べた。


「あれは俺の護役だったのだぞ? 貴殿が現れたから俺の護役を辞任し去って行った。いわば俺は貴殿に護役を取られた形になる」


 理解が追いつかないためか、しばらく声も出なかった。ディオゲネスはリベルトのことを語る折、すこし試すような物言いだったのだが、アレッシアの反応に満足したのか笑顔で頷いている。おそるおそる尋ねていた。


「もしかして、ディオゲネスってそれで怒って……?」

「怒る? いや、理解はできんが怒ってはおらん」


 すぐに判別がつく嘘をつく理由はないから、言葉は真実として受け入れられた。

 ディオゲネスはリベルトを気にしていた理由をこう語る。


「運命の神となるのはこの俺をおいて他にはいるまい。ゆえにわざわざ命を捨てるような真似をするならきっと古い知り合いなのだろうとも考えたが、その様子では違いそうだ」


 理由などアレッシアが聞きたいくらいだ。

 改めてディオゲネスを見つめた。

 まともに話をしたのがはじめてだが、彼はただの自信家ではなく性格に見合っただけの実力を有している……はずだ。たとえトリュファイナ曰く「みそっかす」であろうとも肌で実力を感じ取れるのだから、候補者とはこういうものらしい。

 ディオゲネスはリベルトに暴言を吐きに来たのでも、アレッシアに恨み言を吐きに来たのではない。姿を見せない元護役に苦笑しつつ、アレッシアの肩を寄せ耳打ちした。


「まあ、俺が言うのも何だがよくしてやってくれ。あれはけっこう気難しい男だが腕は立つんだ。せめて良き最期を迎えられるようにしてやってくれ」

「そういう不吉な任され方は困るんだけど……」

「悲しいことを言ってくれるな。この俺の頼みなのだから、素直に受け取れ」


 白い歯を見せると、次はトリュファイナに絡むべく背を向けた。肝心のトリュファイナはツンと澄まし顔を見せていたが、ディオゲネスは人の神経を逆撫でする天才らしい。すぐにトリュファイナが烈火の如く怒りだしていた。

 出立にはもう少しかかるようだし、足を向けたのは馬車の影だ。ちょうど皆からは見えぬ位置で、ぽつりと隠れているヴァンゲリスが立っている。

 その隣にちょこんと立ち、彼と同じ景色を見た。

 かける言葉はないし、いまも特に思いつかない。

 だから尋ねたのはごくごく当たり前の一般的なものだった。


「元気?」

「元気にみえるかい」

「全然」


 あれ以来、ヴァンゲリスとはまともに話していないから、こうして話せただけでも及第点だ。なんとなく思いついた言葉を並べ立てる。


「カラス家の当主さん、すごい睨んできてたね。あの人がヴァンのこと嫌いって言ってる人?」

「そうだね。兄さんと仲が良かった人だ」

「どのくらい仲がいい人だったの?」

「……親友くらい」

「ああ、そっか。それは恨まれるかもね」


 喋ることがなくなった。

 ぼけっと神殿の庭を見渡し「綺麗すぎるな」と失礼な感想を抱いた。まるでテーマパークみたいな、整えられた庭園は機械的な印象さえ受けて、いますぐこの場を離れたくなってしまう。

 そういえばここの奥で『アレッシア前の自分』殺されたんだっけともう一度あの出来事を思いだして――あの老婆は誰だったのか、思い返す度にぼやける記憶に思いを馳せた。

 アレッシア前の自分が殺されるときの感情は時々ぶり返す程度で、基本的には忘れがちだ。だから戦神が出現する前のあたりの記憶も定かではないのだが、この世界に馴染んでロイーダラーナで街並みを見たからこそ断言できる。

 あの老婆は間違っても神殿の人ではない。

 どんな会話をしたのか、なぜ「頑張って」と言われたのか、どれだけ思考を重ねても意味がわからない。それにあの言い草は――。

 

「信じるんだね」


 思考の海に沈もうとしていたから、ヴァンゲリスの言葉に虚を突かれた。

 顔を上げれば、どんよりとした男と目が合う。

 つい尋ね返していた。むろん周囲に気を使って、小声でだ。


「信じるって?」

「私の言葉を、全部信じたんだねって」

「全部って、もしかしてヴァンの行動の理由?」

「そうだよ。にい……ストラトスを全部欲しがった私の嘘と疑われるんじゃないかと思ってたから」


 一度も疑っていなかったから、むしろヴァンゲリスにそう感じられていたのが驚きで、同時にそれまでの彼の境遇に眉を顰めた。前の自分はもちろん、孤児院育ちのアレッシアも高貴な家とは無縁の育ち。誰かに猜疑をかけられる前提で話すなどは思いも至らない。

 だがヴァンゲリスは違う。

 彼は疑い疑われる環境で育ったから、アレッシアにはわからない苦悩が多く存在したのだろう。

 それは少し悲しい。

 余計なお世話かもしれないが、ヴァンゲリスに疑われることも、疑わなければならないヴァンゲリスも悲しい。


「信じるよ。だってヴァンだもん」


 やはりいまも良い言葉は浮かばないが、率直な言葉にヴァンゲリスは苦笑した。


「私だから、というのは少し……安直だね」

「そうかもしれないけど、ヴァンにだったらいいでしょ」

「そっか。いや、でもよかった」

「なにが?」

「下手な説得なんてされてたら、私は逃げてたかもしれないから」


 下手な説得、といわれてぎくりとした。

 実は考えなかったわけではない。

 たとえばカラス家の当主が親友と呼べる人なら止めてもらえばよかったんじゃないとか、パパリズに言って一緒に説得していれば、とか。

 考えを改めたのはヴァンゲリスは馬鹿ではないからだ。

 普通に考えれば優秀な兄を告発した、一般的には愚か者と罵られてもおかしくない行為を行ったが、彼は実は思慮深い人だ。同時に思慮深いからこそ、イリアディスには話せなかった。家の将来を考えれば簡単に話せる事情ではないのだと考えたはずだ。

 それにアイオロスが誰にも話さず計画を遂行しようとしていた時点で、親友にも教えていなかったのなら尚更のこと。ヴァンゲリスなりに悩んで実行したのなら、「なぜ言ってくれなかった」と言葉をかけられるのはアレッシアではない。

 すべては過ぎてしまった出来事、変えられない過去、苦悩はかれひとりのもの。アレッシアが理解しようと努めた時点で傲慢になりそうだから、欲したのは違う言葉だった。

 すなわち「元気がない人にかけることば」だ。

 服の裾を握りしめる。


「なんとかしてあげるなんて偉そうなこといっておいて、私さぁ、全然良い案は浮かばないし、あんまり口が上手じゃないからヴァンを元気付けてあげることできないんだけど」

「うん」

「私はヴァンの味方をするよ」

 

 なぜならお兄さんを知らないし、と言って、言葉が足りなかったと反省した。ただ真剣なのはわかってほしい。

 理解を求めたいのは相手が好きだからだ。真っ直ぐにヴァンゲリスを見上げる。


「だってお兄さんを頼ってストラトス家に来たわけじゃないし、私はヴァンが好きだもの。ばかなことはたくさんしても、私がストラトスに来てからの時間は本物でしょ」


 ……女神を目指すなら優秀なアイオロスの方がよかったなぁなんて思ったのは反省している。ただ、いざアイオロスとヴァンゲリスを並べられたら、アレッシアはきっとヴァンゲリスの手を取るだろう。

 なぜか戸惑いがちなヴァンゲリスに続けた。


「いっしょにがんばろうよ。私も半人前どころかみそっかすって言われてるけどさ、最初から底にいるんだったらあとは浮上すればいいだけだよ」


 きっと悩みは尽きない。

 なにを伝えてもヴァンゲリスは兄を追放した罪に煩い続ける。彼の求めるだろう贖罪はアレッシアには与えられない。

 だからできるのはただ寄り添うだけ。その意思を伝え、あとは態度で示すだけだ。


「たぶん、私たちに近道はないかもだけど、この先も頑張ろうね」


 気恥ずかしくなって前を向いた。

 返事を期待していたつもりはなかったが、ヴァンゲリスが身動きすると意識はそちらに向かう。


「……アレッシア」

「なに」

「君は、説得が下手だな」

「人が一生懸命考えたのにそれはあんまりじゃないかなぁ!?」


 声を荒げていたが、ヴァンゲリスは笑っている。

 下手な説得でもしないよりはましらしいと、アレッシアもまた笑った。

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