第22話 心の準備ができていない
なんとかする、といって即アイデアが出るくらいなら苦労していない。
「ぐう」
情報過多に根を上げた。
身体の半分を包んでくれるふかふかの椅子に腰掛けるのだが、足元にはあちこち本が転がっている。どれも内容は己の能力を高め、心の成長を目指すことを目的とした本だ。所謂自己啓発を目的とした書物なのだが、以外とこの手の本は探せば見つかる。しかし目を通した限り、問題はどれも最終的に神への信仰を厚く歌ったものなので一向に参考にならない。なんとかヒントを得られないかと縋ってみたのが先人の知恵だったが、三日ほど図書室を漁ったいま、これはもう得られるものはないと見切りをつけた。
ひとりがけの椅子は大きい。無理矢理だが横になっていると、くたびれているアレッシアの横でリベルトが散らばった本を拾い上げた。
「その様子では参考になるものはなかったらしいね」
「とりあえず全然役に立たないのはわかったぁ」
酒クズやギャンブル癖の治し方の本がないように、臭いものに蓋をする主義が強いのかもしれない、とは感じている。生まれ変わり先の閉鎖的な側面を感じてうんざりしているところだ。
「ルドは?」
「ご当主を見張っているよ。イリアディス嬢は実家に帰ったままだし、パパリズは忙しい。彼を監督できる人がいないからね」
「そっか。早いところなんとかしなきゃね」
間違ってもヴァンゲリスを優先することなどあり得ないルドだが、アレッシアが命令として決めたから律儀に従っているのだろう。
どことなく寂しげなアレッシアに、リベルトは含み笑いをこぼす。
「ルドにずいぶん懐いたね」
「そんなことないよ。がみがみうるさいから小姑かって思う時があるもの」
否定はしたが内心で同意した。街の散策以降、ルドに対するアレッシアの態度はかわった。信頼しても良い相手だと思ったのかもしれない。
そこに聞こえたよかった、の言葉に顔を向けた。
「なにがよかったの?」
「彼は子供が苦手そうだったから、どうしたら良いのかわからないんじゃないかと思ってね。ほら、仏頂面が多かったろう。あれはずっと困っていたからだと思うよ」
「じゃあルドは私のこと嫌ってない?」
「嫌ってたら小言なんて言わずに最低限の口しか利かない種類じゃないかな」
やった、と思わず呟いていた。
予想は当たっていたし、ルドに親しみを覚えていたからなおさらだ。リベルトはそんな少女をあたたかく見守っていたが、黒い瞳に見上げられているのに気付いた。
「私になにか聞きたいことでもあるのかな」
「聞きたい事っていうか、リベルトってどうして私を女神の候補生として認めてくれるのかなとおもって」
「候補生とは思っていないよ」
「まさか本当に女神と思ってる?」
にこりと笑顔で返されたが、言葉には驚かなかった。このあいだはどさくさで流したが、彼がアレッシアのことを「私の女神」と評したのをしっかり覚えている。
なれる「かも」しれない候補生と本物の女神との違いは顕著だ。あまりに違和感が勝っていたから、ルドとリベルトの違いを顕著に感じていた。
「おかしな話でもないさ。自分の守護する対象を信じるのは悪いことじゃない」
などと言うが、アレッシアには誤魔化しにしか聞こえない。少女にしてみれば、信仰が関係しているといっても出会って間もない半熟者を信じ切れるリベルトは少し薄気味悪いのだ。ただ彼が親身になっていること、守ろうとしてくれることは伝わるから、そんな風に感じてしまうのが申し訳なく、同時に謎が拭いきれずに彼に接する。
ルドにいっそう懐くのは、もしかしたらリベルトに対する不安を拭いきれないからなのかもしれない。
「そう持ち上げられると調子に乗っちゃうんだけどな」
「調子に乗るのは困る?」
「すっごく困る。だって私、なにもかもうまくやれる人じゃないもん」
「なら叱る役目はルドに任せようかな」
「そういうのいいとこ取りって言うんだー」
「良い言葉を知ってるね。そう、私はいいとこ取りをして君に格好良く映りたいんだよ」
顔がいいから誤魔化されそうになるが、これはどうやっても真面目に話すつもりがない。
ダメだ、とお手上げ状態で首をぶら下げる。
行儀が悪い、と注意されたが直す気はなかった。
沸騰した頭で考えるのは、ストラトス家で起こった過去の事件だ。
それは七十年前、次男ヴァンゲリスの告発によって発覚した長男アイオロスの謀叛計画。実際は計画ではなく〝主神への直訴〝なる、アレッシアにはとらえどころのない大罪を犯しかけたアイオロスを、ヴァンゲリスが止めるため捏造した告発だ。
普通の人間と同じ寿命の人々にとっては忘れ去られようとしている事件だが、長男アイオロスが追放される際にあたって、遺された爪痕は大きい。
まずこの一件で各名家とストラトス家の仲が険悪になった。
一般には公開されていないが、五大家の当主にはヴァンゲリスの告発はバレているらしく、彼らは全員がアイオロスが謀叛を企んだなと考えていない。兄と比較すると次男が落ちこぼれだったこともあり、ヴァンゲリスによって陥れられたと考えている。
特にアイオロスと親友と言っても差し支えなかったカラス家当主の怒りは凄まじく、以降ストラトス家はつまはじき状態。ヴァンゲリスも口を噤んだものだから誤解は解けず、横の繋がりも薄れて徐々に収入口も潰れていったのが真相だ。
「ヴァン的には事情を説明するわけにもいかなかったんだろうからなぁ」
思うにヴァンゲリスはコンプレックスに苛まれていたが、完全に兄を嫌っていたわけではない。嫉妬心がないと断言はしないが、彼の性格を鑑みるに告発に至るまでは葛藤があったはずだ。
そこから立ち直る機会があればよかったが、当主の座は転がり落ちてきただけで、婚約者のイリアディスはいわば兄のお下がり。せめて彼の両親が次男を見てあげればよかったが、気落ちするばかりでろくに会話もなかったらしい。
幸いルドの監視があるからヴァンゲリスは大人しいが、すっかり口数は減ったし、家の中はイリアディスが戻ってこないのもあって雰囲気が暗い。
アレッシアは子供である特性を活かし元気よく振る舞ってみるが、完璧とはいかないのが実状だ。
座りっぱなしで足がむくみそうだ。ばたばたと両足を動かせば、スカートが揺れてふわりと舞った。
「もーこれどうしたらいいのかさっぱりわかんない」
「ではやめる?」
「やめない!」
意気込むとくの字を作って丸まった。
髪をぐしゃぐしゃにして悩んでいると、パパリズがやってきて神殿の使いが来ていると告げる。予定になかったのか困惑気味だった。
「ご支度をなさってください。いまから主都ソルに向かうそうです」
「ソルって……」
書物などで見聞きした名前だ。首を捻る間にリベルトに起こされた。
「アレッシア、急いで。パパリズ、任せたよ。私はルドとヴァンゲリスに伝えてこよう。彼の動向も必要だろう?」
「お願い申し上げます。アレッシア様はお任せください」
パパリズには抱え上げられ衣装部屋へ一直線だ。あっという間に服を剥かれると冷水を浴びせられ、全身に香油を練り込まれた。いつもの白い衣装には金糸を織り込んだ帯が用意され、候補者の証となる腕輪に意匠を合わせている。髪は一部編み込まれ、首に巻かれたリボンと同じ飾りが結ばれた。可愛らしすぎやしないかと思ったが、羊の角をもつ女性には有無を言わさない迫力がある。
着替え終わると同じく支度を整えたヴァンゲリス達と合流したが、三人共に表情は固く緊張感に溢れている。
玄関にやってきていた迎えとやらは無人だったが、馬車が用意されており、馬には鳥の翼が生えていた。幻想動物を代表するだろうペガサスの存在は知っていたが、実物を見るのは初めてである。ペガサスに近寄ろうとしたら、チョーカーにリボンを引っ張られた。
「ぐぇ」
「やめろ。ストラトスを出たら少しでも大人しくしておけ」
「何にでも興味を示すのは君の良いところだけど、今回はルドに同意だな。やめておきなさい」
護役二人に注意されるが、ヴァンゲリスは変わらず借りてきた猫のように大人しい。イリアディスの見送りがないことに寂しさを覚えつつ馬車に乗りこめば、しばらくおいて馬がいななき馬車が浮き上がる。
これが神殿の、神々の乗り物というやつらしい。狼の背に乗ったことはあるが、空を飛ぶ乗り物はいつだってわくわくする。窓を開ければストラトス家の屋敷が段々と遠ざかっており、ロイーダラーナの街並みが小さくなって目に飛び込む。自然と感嘆の声があがっていた。
馬車は運命の女神の神殿へ向かったが、下ろされたのは中庭だった。驚いたのはトリュファイナをはじめとした女神候補者達が揃っていた点で、他にも見知らぬ面々が揃っていたが、おそらく彼らは五大家の当主達だ。一部の者がストラトス家の当主を見るなり露骨に顔を顰め、ヴァンゲリスは視線を逸らした。
「あ、トリュファイナがいる。トリュファイナー」
見かけたから手を振ったら、こちらにも顔を背けられた。
当主のいくらかはアレッシアの行動に目を見張るか、微笑むかといった素振りを見せたが、護役のルドは頭痛を堪えているらしい仕草を見せる。
出発にはまだ時間があるらしい。
皆の視線から逃れるように馬車に隠れたヴァンゲリスを追おうとしたら呼び止められる。
日に焼けた肌が健康的な男性は笑顔は爽やかで、唇の隙間から覗く歯は白く、万人から好まれそうな明るい印象だ。見た目は二十代中頃か、むき出しになった二の腕が逞しい。
やはり男も身長が高い。首を持ち上げながら、生気に溢れた瞳を見つめ返す。
「……えーと、カークルハイのディオ、ゲネス」
「覚えておったか。いかにも、俺がカークルハイのディオゲネス、貴殿と同じ運命の神の候補者だ」
「そっかー。合うのは神殿以来だよね。私はアレッシアです、よろしくね」
元気の良い人だ。アレッシアの体勢に気付いたのか、すぐに膝をついて顔を付き合わせる。片手を差し出されたので握り返すと、腕が取れそうな勢いで握手を交わした。
「うむ。よろしくな、アレッシア」
きっと本人的には加減しているので悪気はないのだろう。
遠くから男性がジト目でディオゲネスとアレッシアを見ているが、その人がおそらくディオゲネスの後見人、カラスの当主と思われる。
アレッシアが忌避なく挨拶を交わしたのに気を良くしたか、ディオゲネスは明るく笑う。
「いやはや、他の連中が辛気くさくてどうしたものかと思っていたところだ。貴殿は小さくみそっかすとは聞いていたが、なかなかどうして。礼儀正しい者であってくれて嬉しく思う」
「そのみそっかすって評価したの、誰?」
「そこのトリュファイナとうちの後見人だ。なに、だがうちのやつはストラトス家が憎いだけで貴殿を嫌っているわけじゃないから安心すると良い。基本的には良いやつだ」
たしかに場の雰囲気は一触即発と言わざるを得ないほど張り詰めている。いわば全員がライバルだからこの空気も致し方ないのかもしれないが、アレッシアとしてはディオゲネスみたく明るい人の方が嬉しい。
「ちょっとくらい仲良くしてもいいのにね」
「まったくだ。もしかしたら殺し合う仲になるかもしれずとも、我らが話をしてはならない、などと決まりはないのにな」
「……それはちょっと聞きたくなかったかも」
「そうか? だが覚悟は必要だぞ、いまのうちに腹を括っておくと良い」
どうも距離感がバグっている様子だが、不思議と嫌な感じはしていない。それはディオゲナスの雰囲気の成せる技か、つい質問を投げていた。
「ねえディオゲネス。なんで私たちはソルに行くのかな」
準備で慌ただしく、馬車内はピリついていたから聞き逃したが、ソルといえば主神マグナリス=ソルの神殿が座する都だ。
かつて闇が蔓延し、荒廃していた世界はマグナリスが安定させ、人に知恵と住むところを与えたと言われている。世界最古の首都であり、世界の中心たる場に呼ばれる理由をディオゲネスは言ってのけた。
「ま、神々への面通しだろう。緊張するのはわかるが、怖じ気付いたところで何も変わらんだろうに、なぁ?」
「私はお腹痛くなってきたかも」
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